●第6話 捕虜 (前編)
薄汚く汚れた日干し煉瓦の建物。小さな窓がある。中は暗く、埃っぽく、家畜臭く、汚れている。以前は牛小屋だったのかもしれない。土間には藁が敷かれている。
窓の外に、ニワトリが走る音が聞こえた。そして銃声と、兵隊達の下卑た笑い声……ふざけて、放したニワトリを撃ち殺してるようだ。
ダルトは、藁に寝転がったまま不愉快な気分になって、手で額をぬぐった。が、汚れた手で触ったから顔がさらに汚れ、いっそう不愉快な気分になった。
不愉快に不愉快が重なって嫌になっていたところで、木の扉がいきなり開いた。
「起きていただきましょう、バウオン=マ=ダルト元大尉殿」
そこに、見知らぬ軍人と、彼に付き従うように立っているラーン=ダ=カイン少尉の姿があった。
軍人は緊張した表情で帳面を手に持ち、カインは苦渋の滲み出したような表情をし床机(折りたたみ式の椅子)を小脇にしている。
ダルトは身を起こすと、わざと暢気そうな響きの声を漏らした。
「メシ? それとも、また尋問?」
「確かめたいことがいくつかありまして」
軍人がカインに顎で命令すると、カインは床机を開いて、ダルトの前の藁の上に置いた。軍人は座る前に形だけの敬礼する。
「ドザレス=モイル中尉です」
ダルトも、藁の床に腰を下ろしたままいいかげんな動作で答礼を返した。ドザレス中尉はどっかと座ると、帳面を開いた。
「ご気分は、バウオン元大尉殿?」
「最悪……でもないな。想像してたよりは扱いがいい」
「しかるべき身分の捕虜は相応に扱います」
「ああ……捕まったのがあんたたちでよかったよ、ドザレス中尉」
中尉は頬をピクッとさせて目を向けた。が、ダルトに皮肉を言った感じはない。むしろ、小さな子供のような無邪気な笑顔を見せている。
つられて笑顔になりそうになる自分を抑えながら、ドザレス中尉は軽く咳払いをした。
「さてバウオン元大尉殿、貴官は……エルメンの町で略奪を働きましたね?」
「軍需物資を強制挑発した」
ダルトにはまったく悪びれる様子がない。
「その際、カイン少尉の隊と交戦しましたか?」
「した」
「戦況は?」
ペンを走らせながらドザレス中尉が尋ねる。
「アイアンウォーリャー同士の格闘戦になった」
「それで?」
「はっきりとは憶えてないけれど、3機ほど撃破したように思う」
「相手の搭乗員を憶えていますか?」
「一人はそこのカイン少尉だ」
カインがビクッと身を固くした。
「カイン少尉を捕虜にした理由は?」
「人手が足りないから、ちょっと働いてもらうつもりだった」
「彼女を信用したのですか?」
「おかしな真似をしたら殺すと脅かしたよ」
ドザレス中尉のペンの動きが止まった。
「ふむ…………だいたいまちがいないようです」
ダルトも少し息をつく。
「ってとこで、俺からも尋ねていいかい?」
「なんでしょう?」
「俺はこれからどうなるんだ? 知っててもいい範囲でかまわないから」
ドザレス中尉は帳面を閉じて、姿勢を変えてから言った。
「即銃殺を主張する参謀が多かったんですが、連隊長は軍事裁判にかけると決定しました。上からの指示もありまして」
ダルトは不服そうな顔を見せる。
「軍事裁判……俺、もう民間人じゃねーの?」
「反乱罪と脱走罪のある将校です」
「なぜ?」
「帝国陸軍は共和国軍に接収された。それに逆らって出ていった奴らは全員、脱走兵と見なされます。貴官は、実質はともかく書類上では軍籍を離れていません」
理屈は通っている。が、思わずダルトはため息をついた。
「一方的だなァ……」
「戦争はたいてい一方的ですよ」
トザレス中尉が立ち上がった。カインが椅子をたたむ。引き止めるようにダルトが言う。
「脱走しなけりゃ殺されるところだったんだぜ?」
「貴官の事情は関係ありません。勝手に指揮を離れれば脱走罪です」
「そういうもんか……」
ドザレス中尉は足を止めて振り返り、
「調べによれば、軍需物資略奪3件、将校誘拐1件。……これじゃ、銃殺は免れませんね」
カインの肩がビクッと動いた。が、ダルトはため息をついて見せただけだ。
「……よきにはからってくれ。どっちにしても、殺される運命なんだろ、皇帝家の一族は?」
ドザレスは背を伸ばして、今度はきちんと敬礼した。
「個人的には、元大尉殿のご一族に同情します」
ダルトは座ったまま答礼する。
「一族を代表して、感謝する」
そして、扉が閉じられダルトはまた一人になった。
そこから離れた首都・レバルタの大統領執務室では、今日も、数人の官僚や秘書官に指示を与えながらライニーが書類を裁いてた。
「サンベイルの上水道は? 壊れたままになってるでしょう?」
「いえ、それは4日前に直したはずです、大統領」
「昨日の日付での陳述書が出てるんだけど?」
「少なくとも報告では直ったということです」
秘書官のかたくなさに、ライニーはため息をついて書類をデスクに置いた。
「できるだけすぐに調べてください」
「直ったという報告が来てるんですよ?」
「直ってないという陳情が来てるんです。実際はどうなのか、調べて」
だが秘書官は不服そうな顔を見せる。
「優秀な官僚たちを信用しないんですか?」
「官僚の報告と市民の陳情の、どちらを信じてどちらを疑うということではありません。とにかく現状を調べてください!」
秘書官はぶつぶつと文句を言いながら執務室を出て行った。
次に、武官に向かって尋ねる。
「第6軍の展開状況は?」
「順調に進撃しています」
「予定ではもうヴェストリ山地を突破してるはずだけど、まだ先鋒が山地に入ってもいないようね?」
「作戦については、軍にお任せください」
予定と現況が違う……間違った情報に基づいて判断すればリーダーは指示を誤ってしまう。そのことを、相手のメンツをつぶさずにどう説明したものか、とライニーが考えていたとき、電話が鳴った。秘書官が受話器を取る。
「はい、大統領執務室……はい、すぐにお伝えします。」
そしてライニーに向かい
「大統領、コメリカ領事から緊急の連絡だそうです。」
「コメリカ……たしか、大使館を引き上げて領事だけ置いて……中立だったかしら、あの国?」
「敵です」
武官が即座に反応した。彼の脳内には、敵と味方しかいないのかもしれない。
秘書官が補足する。
「公式には中立と言ってます。ただ、心情的には王統派に近かったかと……」
「とにかく、用件を聞きましょう」
ライニーが、受話器を取った。
「はい、アウテス=ライニーです。 ……はい? は、はあ。……そうですか。」
ライニーの表情が歪んだ。何事かと一同の視線が集まる。
「いえ、その件はもちろん聞いてはいますが、確認がまだ…………では、急ぎ確認してお返事します」
ライニーは電話を切って、右手のひらを額にあてた。
「……どうしました?」
秘書官の質問に、困惑した表情で顔を明ける。
「第5軍がエレマイルの近くでバウオン=マ=ダルト皇子を捕らえたって、本当?」
「そんな報告は入っていません」
武官の反応はそっけない。ライニーはもうイラつきを隠しきれなくなった。
「急いで事実関係を調べてください」
「しかし、これは軍事の問題ですから…………」
「いいえ、もう外交の問題です。もしもマ=ダルト皇子が死んでたりしたら…………コメリカ軍が侵攻してくるわよ!?」
あの牛小屋では、夜の闇の中で低く口笛が響いていた。
革命派の兵士たちの間に流行っている歌のメロディだ。
「♪ゴキブリ ゴキブリ
もう歩けない
それはなんで?と尋ねたら
紙巻が一本も無いからさ」
脂汗で汚れた兵士を油虫に例えた、自嘲的な歌だった。が、なぜかこの曲で兵士たちやシンパの民衆の士気が上がる。
「♪ゴキブリ《クララーチャ》の髭で
帽子飾りを作って
つば広帽子に飾ろう
名高いアウテス=ライニーの……」
ノックもなく扉が開き、月明かりが差し込む。ドザレス中尉たった。
「起きてください。移送します」
「こんな夜中に……銃殺かい?」
「移送です」
その村では、月明かりの下にライトが入り乱れて、3台の装甲車にエンジンかかけられていた。中に1台だけ軍用っぽくないキャンピングカーが混ざっている。
2人の将校と数人の兵士がイラつきながら打ち合わせしている。将校のうち1人はカインだ。
「護衛にはこれだけしか割けんのだが」
「ここからレバルタまでの道に王党派の出没報告はありません、大丈夫だろうと思います」
そこへ通った担架の方へ将校が
「こら、そおっと運べ!」
担架には負傷しているベローズ=ホルヘ大尉が乗せられていた。
カインが将校に尋ねた。
「ベローズ大尉殿も?」
「報告と入院のために同行する」
そこへ、ドザレス中尉に連行されてダルトもやってきた。手を縛められている。
担架の上のベローズ大尉は、体を起こそうとして苦痛を表情に出した。それでもかすれそうな声をはりあげて、
「おおい、そこの人!」
ダルトは声に気がついて立ち止まった。
「バウオン=マ=ダルト、元大尉」
縛られた手で、不自由そうに敬礼の形を作る。
ベローズも担架の上から敬礼を返した。
「ベローズ=ホルヘ大尉だ。こんな状態でスマンが……ありがとう。結果的には貴官のおかげで、スッキリしたよ」
「いえいえ。……こっちはあんまりスッキリしないけどね」
笑いながら、ダルトは縛められた両手を見せる。
「200人くらいの兵士の命が助かったと思う。裁判では弁護させてもらうよ」
「それはどうも」
ダルトの声はどことなくなげやりだ。
「ま、レバルタまでは『同じ舟』。よろしく」
この世界にも「呉越同舟」のような故事があるらしい。二人は再び敬礼を交わした。
ドザレス中尉に促され、ダルトはキャンピングカーに乗り込んだ。
岩砂漠の旅は、本来、快適とは言いがたい。が、キャンピングカーはそれでも可能な限りの快適さを確保していた。少なくとも装甲トラックよりは揺れない。
ベッドに腰掛けてるダルトの前には、かなり豪華な食事が並んでいる。
サラダ、パン、チキンステーキ、炒め野菜に果物。
「昼までとはずいぶん違う食事だね」
ダルトはそう言いながら手の縛めを上げて見せた。
給仕してくれたカインはすまなそうに首を横に振る。
「……上の命令ですので」
ダルトは溜息を吐いて、縛られたままの手でフォークを取った。カインは
「ワインもあります。ブラウンベアの12年物ですが……」
「悪くない。いただこうか」
フォークを置き、錫のグラスを手に取る。
カインのそそいだ中級のワインを味わいながら、
「高級車に、ふかふかのベッド、そして一応の料理とそこそこのワイン、か……それに美女将校のお酌なんて、もう言うことないな」
「そうですか」
ウィンクまでして見せたのに、カインの返事はそっけない。ダルトは、「敵の反応が鈍かったときの戦術」の定石どおり、もう一歩攻めてみることにした。
「あとは、君と朝まで愛し合えたら最高なんだけど?」
さすがにカインの頬に朱が刺す。
「ばっ…………ふざけないでください、そんな命令は受けてません」
「愛は命令とは関係ないよ?」
隣のユニットから苦しそうな爆笑の声が聞こえた。ベローズ大尉だ。
「ベローズ大尉殿にも食事を出さないといけません。では、これで!」
逃げるように出ていくカインを見詰めながら、ダルトは不自由な手でフォークを口に運んだ。
「カワイイやつだな」
首都レバルタにあるコメリカ領事館の一室では、トーンとジュディカがくつろいでいた。テーブルにはたくさんの空き皿が並んでいる。
「ねえねえ、コメリカ人って、普段からこんないいもの食ってるの?」
「……まあね」
ジュティカは素直に驚いていた。
「すごいね~……味付けが少し甘すぎるけど、量も料理もすごい!」
「30年以上も平和な国だし貿易も盛んだから、いろいろなものが手に入るんだ」
「こうなると、いっそコメリカに住みたいな~……」
そこへ領事が入ってきた。年配の、少し神経質そうな男だ。
「報告の件は処理しておいた。君たちは単に巻き込まれただけけってことも」
「何から何までお世話になりまして、有り難うございます」
トーンが丁寧に礼を言う。領事はしぐさだけでそれに答え、用件を続ける。
「それで、バウオン=マ=ダルト皇子がコメリカ連邦へ亡命の意思があるというのは、間違いないんだね?」
「え?」
疑問顔のジュディカを制し、トーンは真顔で答える。
「ええ……個人的な友人である私に力添えを頼んできまして」
「我が国は、救いを求める者を見殺しにはしない、安心したまえ。すでに革命政府にも連絡し、交渉を開始した。ところで、ザイン国内にいる民間人には、国外退去の勧告が出てる」
「適当なルートが確保できるまでは、このレバルタにいようと思います」
「現在、国境地帯も港町も安全とは言い難いしな。その方がいい」
ジュディカが肘でトーンをつついた。トーンはそれに気がつい領事に、
「で、マ=ダルト皇子について、なにか情報は?」
「ああ、生きてるそうだ。明日の朝、レバルタに送られてくる」
パッとジュディカの顔がかがやいた。
領事が腕時計を見る。
「他に何かあれば」
「別に何も……あ、いえ、ひとつだけお願いが」
<つづく>