4『精霊の愛し子』
洸夜は、突然様子の変わったヨルダを見つめながら、困ってしまった。
彼女は真剣な顔で、高そうな小箱から、これまた高そうで、手の甲くらいの大きい宝石を取り出した。不思議な光沢を放つ、元の世界でいうオパールに似ている。昔、母親が小さい指輪についていたオパールを自慢気に見せてくれたことがあった。なんでも、若い頃父親が送ったものだとか。生活に困ったら、これを質に入れてやるわ!と叫んでいた。
ヴァインと名乗った彼女の父親である壮年の男性も、困り顔で彼女を見つめていた。
本人は、先程と同じように、耳に石を当てて目を閉じている。海岸で拾った貝殻に耳を当てるかのように、そっと。聞えない波の音を、聞こうとするような仕草だ。
しばらくするとヨルダは静かに目を開け、琥珀と青の両目で、こちらをじっと見上げてきた。
「『精霊の愛し子』……」
ポツリと呟かれたヨルダの言葉は、意味がわからなかった。ヴァインに説明を求めようと見やると、今度は何故かヴァインが茫然としている。だから何なんだ。
「まさかコーヤくんがそうだと?」
「うん。間違いないみたい。……コーヤさん」
付いていけない会話にそろそろ口を挟もうと考えていたところに、急に話を振られた。
ヨルダが、そっと高そうなオパールもどきを差し出す。
「受け取って」
「は……?」
「受け取って!」
「は、はい……」
強く言われて、思わず言われた通りのオパールもどきを両手に取った。ごめん、ほんとごめん、先に説明してほしい。
そんな願いも空しく、ヨルダは更に注文を加える。
「そのまま、地面に落して」
「は!?割れるぞっ」
「いいから、落とす!」
ダイアモンドは何よりも固いと聞くけれど、他の石はどうなんだろうか。
(母さんの指輪は百万程度つってたな……。これもっと高そうなんだけど!いいのか!?)
持っているだけで緊張するのに、これを割れと。いやでもさっき、ヨルダは『割ったって精霊は出てこない』と言っていた。
「落として、コーヤさん!」
もうわけがわからず、父娘2人がじっと見つめてくるのもあって、洸夜はヤケクソ気味に、両手を開いた。
ぱっと石が落ちてゆく。
地面に引かれるように落ちてゆき、地面に触れる―――
その時確かに、何かの割れる音がした。
◆◆◆
昨日のような閃光ではなかったが、またひどいことになった。
ガラスが割れるような音が響き渡った直後。
「……。
この木なんの木気になる木ー……じゃなくて!!」
思わず歌ってノリ突っ込みという高等テクニックを使ってしまったが、現実逃避している場合ではない。
目の前には、屋久杉もかくやというほどの巨大樹が立ちはだかっていた。
人間を束にしても足りないくらいの太い幹、豊かな葉を何枚も揺らす梢。
ヴァインのお店は潰されなかったものの、広場の空いていた空間が、すべてこの樹で埋め尽くされている。
梢の間から、キラキラと日差しが零れて、綺麗だった。
歴史ある佇まいに感動。
している場合ではなく、慌ててヨルダに説明を求めた。
「おおおい、どうなってんだ、いいのこれ!!」
「あ……、うん、きっと大丈夫」
「いやいやいやいや!そんなアバウトなこと言ってないで説明!」
落とせと言ったくせに、この事態は予測していなかったらしいヨルダが曖昧に頷いた。
「精霊にも格があって、そのトップにたつ5つの精霊は、5大精霊って言われるの。火と水と木と金と土。彼らは、普通の人には召喚できない。『精霊の愛し子』って呼ばれる、特別精霊に好かれる人でないと」
「それが、オレってコト?」
「うん。精霊たちが、コーヤさんのこと嬉しそうに呼んでいたから」
「それで、コレがどうやら木の大精霊?試しに召喚させてみたってコトか」
先に説明してくれるともっと良かったんだけど、と呟きながら大樹を見上げる。どうやら、精霊を召喚してしまったらしい。つまりこの樹は、自分のせい。
その証拠なのか、太い幹の真ん中に、小さくオパールもどきが挟まっている。まぎれもなく、さっきの精霊石から出た精霊なのだろう。
「うわ……。どうりゃいーの」
頭を抱えてくなった。というか、実際に抱えた時、
『案ずるな、若き主よ。そなたに全ての木々と植物の加護を与えよう。我と我の眷属は、いついかなる時もそなたに力を与えよう』
どっしりした男の声が、降り注いだ。張りのある深く響く声。
聞くものを全て包み込むような声に安堵し、洸夜は堂々と話しかけることができた。
先程までの途方に暮れていた気持ちが、するするとほどけていく。
「大精霊ってやつか?なあ、頼む!協力してくれるなら、とりあえずこの巨大樹なんとかしてくれないか?立派なんだけど、ちょっと邪魔なんだよね」
頼むと、返事はない代わりに、巨樹が一瞬揺れるように葉をざわめかせて―――消えた。
驚きの表情をした人々が、ざわめきながら広場に集まってくる。
巨樹の残りだろうか、はらはらと一枚の緑の葉が舞い降りてきた。
両手で受け止めると、
『いよっ!驚いたかー?俺が噂の大精霊さま!まぁ、コーヤに加護を与えてやっから、これから宜しくってな』
……喋った。茎のところで、手のひらの上にピンと立ちあがり、跳ねる。
漫画やアニメでは、よくある表現だと思うが、デフォルメされていない実際の葉っぱがぴょんぴょんコミカルに動くと、はっきり言って気持ち悪い。
なんとも言えず、そのまま眺めていると、葉っぱは焦れたように体を揺すった。
『おいおい聞いてんのかぁ?驚くのも無理はねぇか。ホントの姿は、さっきの馬鹿でかい樹なんだけどよ、あれじゃちっと動きにくいから、この姿のほうが気に入ってんだ』
威厳たっぷりのあの深い良い声はなく、渋いもののどこか軽いおっさんのような声で、ぺらぺら喋りつづける。ちょっと頭痛がしてきた。
「さっきまでの偉大な態度はどこへ……」
『あん?ああ、あれはお約束っつーか。固い挨拶な!』
「……どうすりゃいーの、これ」
さっきとは別の意味で途方にくれた。茎の部分をつまんで、逆さに持ちあげ、ヨルダにぴらぴらと振ってみる。
「大精霊の加護は絶大で、とても有り難いんだよ」
ヨルダは、受付嬢のようににっこり笑って、説明してくれた。張りついた笑みがとても嘘くさい。
洸夜は、眉間に皺を寄せて、今度はまだ茫然として口を開きっぱなしのヴァインに、同じようにぴらぴら葉を振ってみた。
「見たがってた精霊です」
「あ……。いや、すごいな……」
色んな意味で。
『おお、そっちの姉ちゃんは、女神んとこの子かー。これから、ずっとコーヤの傍にいるから宜しくなっ』
「勝手に決めるなって。こんな葉っぱぴょろぴょろ纏わりつかれてたら、メーワク。ていうか失くしそう」
『なんだってぇ!そして振るな!遊ぶなっ』
無意味な争いをしていると、ようやく落ち着いたヨルダが、葉っぱをつまんだ。
「落ち着いて。初めまして、葉っぱさん。ヨルダと言います」
不気味な葉っぱにも、律儀に挨拶する。度胸があるというか、細かいことを気にしないというか……。
洸夜は呆れ顔で見ていたが、葉っぱはまともに相手をしてもらって、嬉しそうに跳ねた。
『おう!礼儀正しいな!ただ葉っぱって呼ぶのは止めてくれよな』
「じゃあ……どう呼べば?」
『そうだ、名前を主に付けてもらわねえと。これも決まりなんだよ。おい、名前!』
年季の入った夫婦みたく、『おい』だけで呼ばないでもらいたい。名付けるとなると、思い浮かぶのは一つだった。
「フレディ」
『おお、いい名前だな!』
「良い名前。さすがコーヤさん」
「元の世界で有名な、切ない葉っぱの主人公だ。世界中が泣いたはず」
『おおおい!感動話は良いけどよ、それって人に付ける名前としていいのか!』
「葉っぱ風情が。じゃあダニエル」
即答すると、まだ葉っぱはごちゃごちゃと言ってきた。
『絶対お前、ダニエルもなんかあるんだろ!』
「まあまあ。いいじゃないですか、ダニエルで」
ヨルダが宥めていると、冷たい風がひゅうと一筋流れた。
その途端、ヨルダの手のひらで踊っていた葉っぱが、飛ばされる。大精霊が風に負けた。
落ちて行った葉っぱをヨルダが慌ててつまみあげる。
「確かに、葉っぱの姿じゃ不便ですねえ」
「飛ばしとこう」
すぐに吠える葉っぱにいい加減疲れてきた。投げやりな態度をとると、ヨルダが苦笑しながら、葉っぱをそっとテーブルに置いた。
「コーヤさん。その首飾り、ちょっと貸して?」
「うん?ああこれか」
すっかり忘れていた黒石のペンダントを首から外し、手渡す。
ヨルダは、ペンダントもテーブルの上に置き、奥から工具箱のようなものを取り出した。さらにそこから、釘を一本取り出すと、今度は葉っぱに向き直った。
(嫌な予感……。)
「ダニエルさん、ちょっと我慢してくださいね」
釘を構えて、ヨルダは安心させるようにほほ笑んだ。
『怖えええええっ!何するつもりだ、ちょっやめっ』
「さくっとな」
言いながら、言葉通りさくっと、葉っぱの上の部分に釘を刺して穴を開けた。
『別に精霊だから痛くないけど怖えええっ』
「痛くないならいいじゃないですか」
『笑って言うなー!』
喚く葉っぱをスルーしながら、今度はペンダントの紐を解いた。葉っぱの穴に紐を通し、再び結ぶ。
黒い石と葉っぱのアクセサリー完成。森ガールが着けていそうだ。
「はい、これで飛ばないよ」
名案とでも言うように、洸夜に首飾りを手渡した。流されるまま、首に掛ける。
この日から、喚く葉っぱと黒い石がオレの胸にいつもぶら下がっているようになった。
意外に容赦ないヨルダちゃん。
フレディはそのまますぎるので、あえてのダニエルになりました。