3『女神の愛し娘』
ヨルダとコーヤしかいない食堂は、がらんとしていた。食堂の人も、今は広場で開かれている市に行っているだろう。
ヨルダも本来ならば、市で忙しく働くはずだが、昨日、不思議な青年を召喚してしまったために、お休みを頂戴した。
青年の案内と世話が、今日の予定だ。
食器を片づけながら、ヨルダは横目でコーヤを観察していた。
短い黒髪に、同じ真っ黒の瞳。さっぱりとした、しかしどこか賢そうな端整な顔立ち。
見たところ、ひどく落ち込んだり取り乱したりする様子はないものの、その表情は冴えない。
(まあ、当たり前だよね。突然、異国に飛ばされたのと同じ感覚なら……。ううん、帰れないなら、もっとだよね。
だがしかし!私まで落ち込むわけにはいかないっ!)
一人で気合を入れなおし、コーヤの向かいに座った。
これからする話に必然的に、胃が痛くなる気持ちがするが、こっちが暗い顔をしていては、コーヤがますます不安になるだろう。
ヨルダは、にこにこと笑みを絶やさずに切り出した。
「あのね、ちょっと話があるんだ」
「うん」
「はっきり言うのは辛いけれど、今のところコーヤさんは帰り方が分らない。そうだよね?」
「……だね」
コーヤは諦めたような苦笑を洩らした。コーヤの表情をしっかり見つめながら、慎重に話すことを考える。
傷つけないように、これからのことを相談しなくてはならない。
「これから、どうしたい?何か考えはある?」
「無理って言われても、帰る方法を探したいかな。何年掛ってもいーからさ」
「……そっか、わかった。でね、それなら、どれだけになるかは分らないけれど、ここにいる間は暮らしていかなきゃいけないでしょう?
だから考えておいて欲しいの。どうやって暮して行きたいか。まだ、全然見当もつかないだろうけど、私達キャラバンは、数日間はこの街にいる。その間にどこで、どう暮らしたいか、じっくり考えて。
何か、やりたいことやなりたい者があったなら、私の父さんが出来る限り取り計らってくれる」
そこまで一気に喋って、コーヤの返事を待つ。冷静な人なのか顔に表情が出にくいのか、苦悩を外には漏らさず、少しだけ俯いて何かを考えているようだった。
少しの間、沈黙が流れ、外の市の喧騒に耳を傾けた。
まだ勇者や魔王が存在したと言われる時代。およそ、千年近く前。その頃には、異世界からの迷い人はいたと言われる。彼らは必ずこの世界に、様々な発明や影響を残してくれたらしい。そのうちの一人が、勇者であると。
けれどその中で、帰ったという話は全く残っていない。語られていないだけかもしれないが、その代わりに生涯こちらで過ごした人の伝説などは残っている。
ヨルダたちが知らないだけで、帰れるのかもしれない。しかし、期待は全くもてないだろう。
コーヤは、ゆっくりと顔を上げて、口を開いた。
「まだ、どうやって暮らせるのかも分らない。けど、しばらく考えておくよ」
「ありがとう。分らないことがあったら、何でも聞いて頂戴」
ヨルダは、安堵の笑みを浮かべた。
これで、ひとまずは大丈夫。身の振り方さえ決まれば、いつかこの世界の暮らしにも慣れるだろう。まずは、生活の安定が必要なのだ。
そうと決まれば、あまり時間はない。数日のうちに、決めてもらわなければ、ヨルダたちはこの街を離れてしまう。長老にもお願いはしておくけれど、やはり、ヨルダがきちんとそこは世話するべきだ。
先程までと変わって、ヨルダは元気な声を張り上げた。
「よし!じゃあさ、市に行かない?キャラバンが到着すると、しばらく市を開いて、貴重品から日用品まで色んな物を商売するのよ。勉強にもなるし、みんなの暮らしも見れるわ」
◆◆◆
小さな石畳の通りは、大量の露店で埋め尽くされていた。色とりどりの商品が雑多に並べられており、目移りしてしまう。
昼過ぎの暖かな日差しの中で、商人たちはせかせかと、街の人々はゆったりと市を楽しんでいるようだ。
コーヤを連れて、ヨルダは一軒の露店に、顔を覗かせた。
床のシートの上に、様々な品物が並べられ、さらに簡易の棚にもずっしり商品が詰まっている。そのどれも貴重品というわけではなく、普段から見慣れた日用品ばかりだ。雑貨屋さんだから当然なのだが。
「セムットおじさん、こんにちは」
「おお、ヨルダちゃん!そこの兄ちゃんは、昨日の方かい。なんか入用かね?」
「うん。地図をちょうだい。王国のものと、世界地図の両方」
「あいよ。1500リゾだが……まあ、ヨルダちゃんだ。1200でいいよ」
「ありがとう!」
キャラバンは、様々な商人たちが旅を安全に過ごすための集団だ。旅の間は、命運を共にする仲間だけれど、街では別々の商売仲間となる。オマケはしてくれるが、基本的に商品はお互い普通に売買し合っている。
買ったばかりの地図を、そのままコーヤに手渡した。
「もらっていいの?」
「うん。コーヤさんに必要だと思うから。ちょっとこっち来て。それを開いてみて」
人の少ない道の端に手招きして、地図を開かせた。
3つの大陸と数々の島が描かれてある世界地図。その中で一際大きい三日月型の大陸を示す。
「ここが今いるクランセクト大陸。左下半分くらいのここが、クレスト王国。歴史、文化溢れる王国って言われるよ。で、その北側のこの川辺りが、この街ミスティルド。
ここまでで、何かわからないことあった?」
「や……けど、やっぱり全然別の世界だって再認識だ」
コーヤは、ちょっと堪えるなーと言いながら、軽く目を伏せて見せた。その顔が苦しそうで、無理していることがありありとわかった。
ヨルダが返事をできないうちに、コーヤは慌ててこっちを向いて言葉を繋いだ。
「あ、でも!新発見!……オレ、どうやら字読めるみたいだ。地図に書いてある地名、日本語――オレんとこの言葉じゃないのに、普通に読める」
「言葉違うの?」
コーヤの発音に問題はないし、スラスラと話しているから、てっきり同じ言語かと思っていた。さらに、字が読める人は普通の町人などでは少ないため、驚きだ。
ヨルダは商人の娘として、手伝いのために一応読み書きはできるが、幼い頃の父の躾のおかげである。
「うん多分。なんか自動で翻訳されてる気がする。便利だよなー」
「それなら、働き口はいっぱいあると思う!良かった!」
「へへ、ありがとー」
普段の他人行儀なお礼ではなく、気軽な、けれど嬉しそうなお礼だった。笑顔もカチカチの綺麗な笑顔ではなく、崩れるようなにへらっとした顔。
ようやくコーヤの柔らかい表情を見れて、こちらまで嬉しくなる。
地図をたたみながら、先程より軽い足取りで、さらに露店を廻った。
異国の骨董品に、高価な装飾品。主食の穀物に、手に入りにくい南国の果実。
ありとあらゆるものを一つ一つ説明しながら、ゆっくり歩く。途中で、軽い帳面と筆記用具を購入し、コーヤは必要なことを書き留めながら進んだ。
広場の真ん中辺り、一番いい場所に、父とリュークの店がある。
他の露店とは違い、床に直接商品を並べず、簡易のテーブルの上に綺麗に整頓して置いてある。少し上品で、高級な店に見える。
近寄ると、商品を整理していた父が顔を上げた。
「父さん、調子は?」
「まあ、見ての通りだな。次の街の方が売れそうだ。コーヤくん、調子はどうだい?」
「あ、はい。えっと大丈夫です」
いきなり話を振られたコーヤは若干しどろもどろになりながら答えた。
ヨルダは、商品の様子を素早くチェックする。売れ行きのもの何個かは減っているが、その他に変わりはなさそうだ。高級品だから、この街ではあまり売れないのは予想済みだ。
商品を一つ手に取り、コーヤに見せる。
日差しを受けて、精霊石が一瞬きらりと輝いた。
「見て。これが精霊石の本物。うちの店では、精霊石を商っているんだ」
「へえ……。じゃあこの中にホントに精霊が入っているの?」
「物理的に入っているわけじゃないけどね。割ったって出てこないし」
ヨルダは言いながら、そっと両手で包み、右耳にあてる。
―――くすくすくすっ
どこからでもなく、頭に直接可愛らしい笑い声が響いた。悪意のこもった声ではなく、くすぐったがるような無邪気な高い声。
「こうするとね、私には精霊が居るってわかるの。これは、果物の精霊さん」
「いいなー。オレも聞きたい!」
コーヤがいつになく、目を輝かせている。興味津津だ。
父が嬉しそうに、呆れたように苦笑した。自分の商売に興味を持ってもらえて嬉しいのだろう。手を休めて、ヨルダ達の傍に寄ってきた。
「それは、残念だな。『女神の愛し娘』と言ってな。銀髪に琥珀の瞳を持つ女性は、女神の恩寵を受けているとさ。
その女性たちだけが、石の中にいる精霊を感じ取れる。ヨルダみたいにな。だから、精霊石かどうかの鑑定はヨルダの役目なんだ」
「ふぁ、ファンタジー……」
「俺も一度は聞いてみたいものだが。召喚された精霊なら見えるが、精霊は加護を与えた召喚者以外にはあまり姿を見せんしなあ」
髪と同じ砂色の無精ひげをさすり、父が溜息と共に説明した。ちょっぴり残念そうだ。
そもそも精霊石を買えるような裕福な人間は、周囲にあまりいない。商品の石ならともかく、召喚された後の精霊を見たことはヨルダにもなかった。
―――くすくすくすっ
こんなにもはっきりと声は聞えるのに、父やコーヤには聞えない。ヨルダにはとても不思議に思える。
――くすっ、コーヤ!
笑っていた精霊が、嬉しそうに隣りに立つ青年の名を呼んだ。
ヨルダは、思わず石から耳を離してしまう。ヨルダの様子に、父とコーヤは首を傾げた。
「どうした?」
「なんか……今、ありえないことが……。でも……?」
うーん、と一人で唸る。果実の精霊石をテーブルの上に戻し、試しにもう1つ手に取り、耳にかざした。葡萄色の霧の精霊石だ。
―――あら……コーヤ?
綺麗な大人の女性の声が、やはり青年の名を呼んだ。霧の精霊石も、テーブルの上に戻す。そのままへなへなとテーブルに寄りかかった。
茫然と腰を抜かすヨルダに、傍らの2人が慌て始める。
「おい、どうした!体調でも悪いのか?」
「父さん、コーヤさんが……。もし、そうなら……」
「おい?」
「……父さん!センの箱はどこにある!?」
「は?いや、いつも通り――」
「出して!」
勢い込むヨルダに気圧されたように、父が釈然としない顔のまま、言うとおりにセンの木箱を取り出した。センは、良質の木材として有名であり、そんなセンの小箱に入っているのは貴重品と決まっている。
商う品の中で、最も貴重な値段のつけられない……いや、市場に出せない商品。
5大精霊の1つ、植物の大精霊が眠る、乳白色の地に虹色の輝きを抱く精霊石だ。
おそるおそる取り出すと、いつもより慎重に耳を近づけた。
宝石の例え方に迷います。
そもそも知ってるほど宝石もってないよ!設定作る前に考えようよ!