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追放と覚醒、崩壊世界の入口で狐神と出会う

 ジジ、と耳障りな低周波の音が、無機質な廊下に響いていた。

 日本中央支部ベース、最深部。

 分厚い防護壁と、幾重にも設置された自動消毒装置の向こう側にある幹部室から、斎藤道夫は放り出されるようにして出てきた。


「決定だ、斎藤。君の近くにいると、探索隊の強力なスキルがことごとく不調を起こす。ログにもはっきりと異常値が出ているんだよ」


 あの冷酷な幹部の声が、まだ耳の奥にこびりついている。

 道夫の手元にある薄汚れた端末には、彼が歩くたびに周囲の『スキル値』がガタガタと低下していく異常なエラーログが残されていた。


「戦闘スキルも持たない雑用係のおっさんが、まさか『スキル無効化』なんて最悪のハズレ能力を隠し持っていたとはな。能力者が頼りのこの終末世界で、お前のような邪魔者をベースに置いておくわけにはいかないんだ」


「待ってください、俺は何も……!」


 反論は、無慈悲に遮られた。

 二人の武装した防衛隊員に両脇を抱えられ、道夫はベースの外郭ゲートへと引きずられていく。

 温厚で真面目なことだけが取り柄の三十代のおっさんにとって、この理不尽な現実を受け入れるには、あまりにも時間が足りなかった。


 カシャリ、と冷たい金属ロックが鳴り響く。

 プシューという気圧遮断の音が鼓膜を震わせ、目の前の見上げるような隔絶壁が完全に閉ざされた。


「嘘、だろ……」


 道夫は振り返り、硬質な金属の門を何度も叩いた。しかし、向こう側からの反応は一切ない。

 追放だった。


 *


 一歩、足を踏み出した瞬間、肺を焼くような感覚に道夫は激しく咳き込んだ。

 第三次世界大戦によって崩壊した、外の世界。

 空気中には、核と新型生物兵器の残滓である灰色の微粒子が、まるで霧のように視認できるほど濃く漂っている。


 見渡す限りの荒野。植生は完全に失われている。地面は生物の死を象徴するように、どす黒く変色した土壌に覆われている。遠くの地平線には、汚染によって異形化した巨大な生物の影が時おり蠢いていた。


「はは……まともな防護服もなしに、こんなところに放り出されたら、数日だって持ちゃしない……」


 道夫は絶望に押しつぶされそうになりながら、その場に立ち尽くした。水も、食料も、まともな武器もない。完全な孤立無援だった。


 その時、カサリ、と黒い土を踏みしめる音がした。


 背後から近づいてくる殺気と、おぞましい気配。

 振り返った道夫の目に映ったのは、人の姿をした、異形の『キメラ』だった。

 頭部からは猛々しい獣の耳が生え、身体のあちこちが黒い汚染物質に侵食され、ドロドロと融解しかけている。その瞳は狂気に染まり、血走っていた。


 キメラが、鋭い爪を振り上げる。捕食行動。

 おっさんの鈍い身体では、避けることなど到底不可能だった。道夫はただ、死を覚悟して目を瞑った。


「――が、あぁぁぁっ!?」


 突如、キメラが苦悶の悲鳴を上げた。

 道夫の身体を中心に、半径数メートルほどの局所的な『光』が、爆発するように広がったのだ。


 それは地味ながらも、決定的な変化だった。

 道夫の周囲の空気が、一瞬にして澄み渡っていく。肺を刺すようだった灰色の微粒子が霧散し、じっとりとまとわりついていた濁った色が消えていく。足元のどす黒い地面さえも、わずかにその黒色を退色させていた。


「う、あ……?」


 光に包まれたキメラの身体から、ドロドロとした黒い汚染物質が剥がれ落ちていく。

 やがて光が収まると、そこにいたのは、先ほどまでの凶暴な怪物ではなかった。

 白い髪に美しい狐の耳、そして立派な尾を持った、息を呑むほど綺麗な少女――半獣半人の神体が、そこにいた。


 彼女は自分の両手を見つめ、それから道夫を凝視した。


「……我は、何をしておったのじゃ?」


 狂気が完全に消え去った透き通った声で、彼女はぽつり。と呟いた。


「何が起きてるんだ、これ……」


 道夫は座り込んだまま、掠れた声を出した。状況が全く理解できない。


 狐の耳をピコピコと動かしながら、少女は衣服のあちこちに残る汚染の痕跡を確認し、それからふん、と鼻を鳴らして道夫に歩み寄ってきた。じっと覗き込んでくるその瞳には、深い知性と、威厳が戻っている。


「ぬし、妙な男じゃな。汚染によって理性を失い、神格を落としておった我が、まさか正気を取り戻すとは」


「俺は、ただの無能力者で……スキルを無効化するからって、ベースを追い出されたんだ」


「無効化? クク、そ奴らは節穴か」


 狐神はくすくすと不敵に笑うと、道夫のすぐ目の前で地面を指差した。


「ぬしの周囲だけ、穢れが薄れておる」


「え……?」


「それは“無効化”ではない。……浄めじゃ。核の毒も、生物兵器の呪いも、すべてを無に帰す、至高の力じゃよ」


「俺が、原因ってことか?」


 道夫が呆然と呟いたその時、二人の足元で、小さな奇跡が起きた。

 完全に死に絶えていたはずの黒い土壌から、微かな緑色の植物片が、ピョコ、と小さな芽を吹いたのだ。


「おお……見よ、植物が息を吹き返したぞ! 素晴らしいのう!」


 先ほどまでの威厳はどこへやら、狐神は子供のように目を輝かせ、もふもふの尻尾をパタパタと振って道夫にすり寄ってきた。


「決めたぞ。我はぬしに同行する! これほど清浄で心地よい空気の側を離れるわけにはいかぬからの。ぬしも、この荒野で一人では生きていけまい?」


「いや、言われても困るんだけど……」


「拒否は許さぬぞ! 我が、ぬしにふさわしい拠点へ案内してやる。さあ、行くのじゃ!」


 状況が飲み込めないまま、道夫はぐいぐいと手を引かれ、立ち上がった。

 お人好しなおっさんは、結局その頼みを断りきれず、狐神と共に歩き出す。


 二人が歩き出すと、道夫の歩幅に合わせて、周囲の汚染された空気が断続的に、波打つように澄んでいく。しかし、その浄化現象はまだ安定せず、綺麗になってはまた少し濁る、という変化を繰り返していた。


 のんびりとした復興への第一歩。

 だが、その微弱ながらも確実に世界を書き換える『浄化の波動』は、汚染地帯のさらに奥深く、狂気に満ちた「何か」を、確実に引き寄せ始めていた――。

不定期で出していく予定です


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