フェム・ファタール
7 フェム・ファタール
大通りを二人で駆ける。よしつねが走りづらそうにしているのがわかる。学校でも足の遅い方のわたしに速度を合わせているからだろう。
「気ぃ、はぁ…付け…んや」苦しそうな声。
「そっち?」
「何や、どないした?」
「ううん、何でも」と速度を落とす。
「はぁ…ふぅ…」と、回復しつつあるよしつね。
「せっかくよしつねが助けてくれた命だからね。早歩きで」
「せやな、ありがとうな」
「そっちこそ」
やがて、アーケード街に入り、店までもうすぐ。
「もう見えたから、急がんでもええな」
「でもこの距離だとさ、逃げられちゃうよ」
「せやな、でもこの辺りに泥棒とか悪いやつ、おらん…とええな」
「うん、そうだね」
よしつねに先んじて店に入る。バッグは…?椅子のフックに掛けられていた。
「どや?」
中身を確認する。真っ先に勾玉を確認する。あった。普通そこは財布だろうと思いつつ。財布もポーチも全部あった。持っていたぬいぐるみはバッグにしまう。
「うん、あった」
「ほっとしたわ。すまんな」
「もうほんと、戸締り、した方がいいよ?」
「気ぃ付ける」
「よろしい。でも急いだからさ、汗でビチャビチャだよ。服重っ」
「わしはミツコ行くときから、もうひどいもんや」
「臭くない?わたし?」
「わしの方が…」
「そういう問題じゃないの。ここシャワーとかあるの?」
「え、ああ、奥、住んどるからな」と店に入って右奥の方向を、右の親指で差すよしつね。壁際にある冷蔵庫のさき、三和土を上がったところにスペースが見える。
「えっと…借りてもいい?」
「ええけど、着替え、ないで?」
「あ、そうだね。でもよしつねのTシャツとかハーフパンツとか?何かあるでしょ?用意しといてよ。あとドクペも」
「ああ、冷やしてるわ」
靴を雑に脱いで上がる。右にキッチン、左にフローリングのリビング、境目辺りをまっすぐ進む。靴下まで湿っていて、床に跡がつく。
「ごめん。床が」
「気にせんでええよ」
突き当たりに玄関、左にすりガラス調の樹脂のドア、入ると脱衣場兼洗面所、奥に同様のドアの向こう、浴室がある。
着ていたTシャツに手を掛けてから、思い直して、ドアを開け、よしつねのいる三和土辺りに向かって
「あのさー、覗く?」
「へ?何を?」
「お風呂?」
「いいや」
「嘘」
「嘘はつかんて」
「信用させといて、いざというときに嘘つくとか?」
「いざって?」
「今だよ?絶対見ない?」
「絶対見いひん」
中に戻ってドアを閉めて、またドアを開けて、よしつねを見る。三和土から上がって、リビングにいる。
「本当?」
「ほんま」
「近づいてるよね?」
「そりゃ、着替えたり、準備…あるからな」
「本当は見たいんでしょ?」
「見いひんて」
「見るかどうかじゃなくてさ、見たいかどうかを聞いてるの!」
「見とうない」
「えー!何で?子どもだから?」
「見る理由がないからや」
「ふ〜ん」
「ほな、見たい言うたらどうなん?」
「通報するよ」
「危ないとこやったな?」
「ふふっごめんね。意地悪して」
「ええから、はよ入り」
「うん」ドアを閉めて、ようやく準備を始める。脱いだ服は…空のカゴがあるからいったん掛けさせてもらう。
ひとの家のシャワー、初めて。
シャワーから湯を出そうとする、水が出るがなかなか暖かくならない。が、この暑さだから、水浴びでも問題ないだろう。
いったん止めて、ラックを確認する。シャンプー、ボディーソープ、あとボディータオルが掛かっている。トリートメント、洗顔料は見当たらない。
「まいっか」
再びシャワー、暖かくなってきたところで髪を洗う。知らないシャンプーの香り。何か落ち着かないけど、嫌いじゃない。少し指が引っかかるので優しく洗う。
少しぬるま湯にして顔を洗う。さっぱりするけどもの足りない。なぎさがくれた洗顔シートを思い出す。
ボディータオルを手に取る。こういうのは使っていいのか。あとで濡れているかどうかで使ったらわかるだろうが、おそらくよしつねは気にしない。でも、わたしが気にしていると思われるのも癪だから使う。
ボディーソープをつけて泡立てる。体に触れる。ただのナイロンなのに何だかこそばゆい。ボディーソープを追加して、泡だらけにして一気に洗い切った。
最後、身体中にシャワーを当てる。今日あったことが思い出される。どうしてここにいるんだろう。いろいろあったせいか、はしゃぎ過ぎたのを自分でも感じる。普段学校では騒いだりできないのに。どちらが本当のわたしなんだろう。どっちもだ。よしつねのいた前世のわたしもこうなのだろうか。
今日はいつもの休日より少し早く起きた。まいち…わたしのことをたまに姫って言うけど、彼女の方がかわいいし、ずっと大人。なぎさ…優しくて、気が利いて、たぶん不器用な人。よしつね…
ふと、ドアの外に動いたものを感じる。シャワーを止める。嘘?鼓動が速い。
「よしつね?いるの?」恐る恐る声を出す。
「あ、着替え置いとく」
「見たー?」
「何を?」
「中ー」
「見てへんて」
「服はー?」
「服て?」
「そこのカゴ」
「あ、今見た」
「もう、何で見たの?」
「言うから」
「恥ずかしいよ」
「布やん」
「布だけど」
「…すまん」
「う、うん、ありがと」
「ほな、戻るで」
「うん」
浴室から出る。脱いだ服はそのまま。洗面台の脇にフェイスタオル、バスタオル、ビニール袋がある。
バスタオルを手に取る。帯が付いたままの新品。髪、身体を拭いてまとう。クリームの類は、見当たらない。ビニールの中、Tシャツ、ハーフパンツ、スポーツインナー、ソックスが入っている。普段着る服より素敵かも。でもどうしてこんなものが?
着心地、サイズは問題ない。着終わって、バスタオルをカゴに掛ける。着ていた服はビニールに入れて持って出る。帯の付いたフェイスタオルは申し訳ないので使わなかった。
脱衣場から室内へ。正面にトイレであろうドア、その左に洗濯機が見える。右の店の方を見る。左にキッチン、右手がリビングで、奥で長いソファがこちらを向いている。リビングまで、右を見ながら歩く。ソファの前にテーブル、その上にドクペとグラス、向こうに一人用のソファによしつねが左手で頬杖をついて、微笑みながらぐったりとしている。
「大丈夫?」声をかける。
「ああ、疲れたけどな」
「何してたの?」
「ちょっと外、走って」
「戸締り、した?」
「した」
「どこ?」
「なぎさんとこ」
「何しに?」
「それ」と手のひらでわたしの方を示すよしつね。
「わたし?あー服」
「取り行って」
「わざわざ?」
「せや。着替え、ないかって聞いたら用意するって」
「何か話した?」
「気に入るかわからんけどって」
「そういうんじゃなくてさ、さっきの」
「ああ、謝った」
「誰が?」
「誰がって、わしやろ?」
「う、うん、それでだけ」
「具合、いけるか?って聞かれて、いけるって」
「でも今つらそうだよ」
「ああ、ほしたらバチーンて」と言って左頬を見せるよしつね。赤くて、少し腫れているのが見える。
「ちょっと待ってて」とキッチンの冷凍庫をあけて保冷剤を探し当て、脱衣場からフェイスタオルを持ってきてそれを包み、よしつねに手渡した。
「あ、ありがとう」左手で保冷剤を頬に当てるよしつね。
「結局殴られたね」
「せやな、パーやけどな」と右手を広げて振って見せてくる。
「知ってたの?前世で」
「いや、今日のビンタは初や。そもそも今日は会わんかったし」
「優しいって言ってたけどさ…あの人、やっぱりおかしいの?」
「なぎさ?」
「うん、だってさ、さっきわたしのところにメッセージ来たんだよ、言い過ぎたって。だからさ、今度はなぎささんが謝ったのかと思ったらさ、そんなことするなんて、おかしいんじゃないの?ほんっっと!ムカつく!あのおばさん、っゆうかバ…」
「あーそんな言うたらあかん。顔合わせたら怒りが甦ったんやろ。それにりかおんのこと気に入ってるっちゅうことや。見逃したってな?」
「でもさー」
「…大事な人だから」
「…そっか、そうだね…恩人だもんね、うん。なぎささんのこと、好き?」
「うん、家族みたいな、やな」
「いとこはさ、4親等だから結婚できるんだよ?もう遅いのかも知れないけど」
「…そういうんじゃないよ」
「恋人になりたいとか思ったことないの?」
「…ないよ」
「前世でも?」
「うん」
「ほんと?」
「本当」
「…ごめんなさい」
「い、いや…あーその服、いけるか?」
「うん、全然問題ないけど、…これなぎささんが?」
「せやな、プレゼントって」
「やっぱムカつくぅー!脱ぐ!燃やす!」
「そんなしたら、次は殺されてまうわ」
「ふふっ、そうだね。わたしが証人として出廷することになるね」
「被害者としては極刑を望むわ」
グゥー!と音がする。わたし?だ。19時は過ぎただろう。
「聞こえた?」
「何が?」
「ううん、何でも」
「そういえば腹減ったな?」
「うん、ってやっぱ聞いてるんだ、おなかの音」
「それは聞いた」
「もう恥ずかしいな。嘘つかないにしてもさ、もっとうまくはぐらかしてよ、意地悪」
「おかえしや」
よしつねは、立ち上がり、頬を押さえたまま立ち上がりキッチンに向かう。
「何かあるの?」
「待っててくれたら、な」
「本当?ありがと。何でもいいよ」
「何でもええが一番困るんや」
「じゃあ選択肢を提供してよ」
「ほな、ちょと待ってな」とキッチン内を探し回る。
「ふふーん、楽しみ」
ほどなくしてこちらを向いて話し始めるよしつね、保冷剤は持ったまま。
「えーお待たせいたしました、本日のメニューは、焼きそば、カルボナーラ、チャーハン、ぶっかけうどん、ハンバーグ、そんなもんやな…です。ごはんは冷凍でええか?」
「全然いいよ、キャラやるのかやらないのかはっきりさせてくれたら」「申し訳ございません、お客様」
「やるんだ、どうしよっかな?…」
「アレルギーや苦手な食材はございますか?」
「キノコと貝」
「かしこまりました」
「じゃあさ、チャーハンで」
「はい、いただきました。チャーハン一丁!」と台所の方を向いて声をかけるよしつね。
「誰もいないよ、店の種類変わってるし」
「中華の雰囲気や」
「あと、一丁じゃなくて、2つ、ね」
「そんな食べるんや」
「違うよ。一緒に食べよ?」
「あ、せやな、ほな待っててな」
キッチンで料理を始めるよしつね。背中が見える。
母が料理をする背中は見るけど、ついぞ父のは見たことがなかった。母はいつもわたしのために料理してくれる。
ある程度の食材はあるようだから、料理できるのだろう。ここで一人で暮らしているらしいが、いつも一人で食事しているのか。誰かのために作ったりしているのか。お金には不自由しないはず、儲けるすべがあるから。だったら外食が多いのだろうか。
「あのさ、聞いてもいい?」よしつねの背中に声をかけた。
「あ、うん、ええで」
「料理、得意なの?」
「得意ではないけどな。ちょいちょいするで」
「大丈夫?」
「何がい?」
「味」
「いけなくはないと思うで」
「外食はしないの?」
「するけどな、たまにや」
「どうして?」
「前世でいろんなもん飽きるほど食べたからな」
「今日さ、お昼お好み焼き食べてさ、初めての店で美味しかったんだけど、たぶんそれだけじゃなくて、そのときの気分とか、誰と食べるかとかでさ、その…味だけじゃなくて空気とかが変わってさ、もっと美味しくなると思ったんだ。だからさ、また、現世でもいろいろ行ってみたらいいと思うよ」
「せやな…」
そのあとに何かを言おうとしていた気がしたが、聞こえなかった。ほどなくして
「そろそろできるで」
気が付くと美味しそうな匂いが漂っていた。
チャーハン二人前とスープを持ってくるよしつね、配膳してくれる。
「見た目は美味しそう」心の声が出た。
「痛み入ります」
「ではいただきます」
「どうぞ」とソファに座るよしつね。
黄色と茶色のまだらからなる、丸い山に盛られたチャーハン、側面からレンゲですくう。パラっと崩れる。柔らかめのたまご、細かく刻まれたハム、ナルト、ネギ、ニンジンが入っている。一口。舌にほどよい塩加減、ほのかな醤油の風味、鼻に抜けるごま油の香り、ナルトとニンジンの対照的な食感がアクセントになる。
左をみるとよしつねがこっちを見ている。
「ん…なあに?」噛みながら問う。
「言わなあかん?」
「あかん」
「どうかな思て」
「気ん…なる?」
「そりゃあ」
「うん…」全部飲み込んでから「美味しいよ、すっごく」
「良かった」
「食べなよ?また倒れるよ」
「足る?」
「足る」
「ほな…」とレンゲを皿に運ぼうとするよしつね。
「待って」
「何?やっぱ食べる?」
「違うよ、いただきます!」
「自分で作ったんやで?」
「そういう問題じゃないの!」
「はい、いただきます」とよしつねの大きな一口。
「自分で食べてみてどう?」
「ん、普通やな」
「えー美味しいよ、その何て言うかさ、シンプルで優しいんだけど、味がしっかりしてて」
「腹減ってるからちゃうん?」
「そうかもだけどさ、誰かに食べさせたことある?」
「なぎさ」
「どうだった?」
「味せんわ味覚死んどんのか言うて、醤油ビャーしてたわ」
「やっぱりおかしいよね?タンクトップおばあ」
「ははっ、りかおんも言うなあ」
「自分で言ってたよ」
「言うてみよかな、暴走タンクトップババア」
「だめだよ、アレンジひどいし」
「殺されるな」
「骨も残らないよ」
「せやな」
「だからね、美味しいの。これは」もう一口、そう思う。
「りかおんが言うなら間違いないな。長いこと生き過ぎて味覚が退化したんかもな」
「なぎささん?」
「いや、わしや。危ないで?」
「うん。気を付ける」
少し食べ進めると、中に一つ、ナルトが厚めの輪切りで入っている。
「これ?」
「ちょっとしたサプライズや」
「飽きさせない工夫ってやつだね?でもさ、これクレーンゲームみたい」
「どして?」
「ほら、さっきの、最初はさ、山に隠れてたでしょ?よしつねが切り崩して見つけてくれて、わたしがすくって」とナルト辺りをすくい上げて、
「山の上を通って」レンゲをゆっくり口元に運び、
「ついにゲット」とぱくり。
「おもっしょいこと言うなあ、想像力無限大やな」
「それにナルトって勾玉に似てない?」
「似てへんよ」
「わざと?クレーンゲームに見立てた?」
「ちゃうよ、勾玉に似てるって思うてへんし」
「でも策士だからね」
「それは否定せん、でも勾玉には似てへん」
「似てるよ?今度こそいざというときの嘘でしょ?」
「こんなんで使う?もっと重要な局面で使うやろ?」
「ほら、やっぱ使うんでしょ?」
「な!使わへんて」
「どうなんでしょうね?」
「そっちこそ策士や…」
二人で話しながら笑いながら食べたので、時間がかかってしまった。楽しかった。母との食事もいつもそう。けれど、よしつねはどうだろうか?なぎさと食事することもあるみたいだけれど、いつもじゃないだろう。向こうは家庭のある身だし。
片付けをしながらよしつねが話しかけてくる。
「今日はえらかったやろ?」
「でも楽しかった。デートしたし、ぬいぐるみ獲ったし、チャーハン美味しいし」
「え!?デート?…えぇ!?」
「うん、前世ではしてないの?」
「友達とランチって言うてた」
「そう、友達、女の子とお好み焼き屋さん」
「デート?」
「うん、別に女の子同士でもデートだって、なぎささんが」
「感化されとるな」
「何かムカついてきた…けど言ってることはわかるなって。今びっくりしてた?」
「え、おう。前世とだいぶ違うやん、て」
「デートの定義が広くなっただけだね。よしつねはさ…」
「…何?」
「最近デートした?」
「しばらくしてないな」
「どれくらい?」
「わしのしばらくは長いで。かれこれ1000年くらいや」
「でも、なぎささんと出かけたりしないの?」
「それはあるで。世話したってんやから買い物付き合え、めし食わせえ、車洗え、金出せえ、とかな」
「それはデートじゃないね、監禁とか恐喝だね」
「せやろ、だからデートはしてへん」
「じゃあさ、今日のは?」
「病院?」
「じゃなくて、クレーンゲーム行った」
「付き添い、やろ?」
「デートでいいんじゃない?」
「ランチは?」
「それもデート」
「ええの?」
「何が?」
「1日に別の人とデート」
「あ!まずいね。魔性だね」
「せやろ。井内さんに申し訳ないわ」
「へぇ〜やっぱり知ってるんだ?名前、言ってないのに」
「そりゃ、りかおんの友達やからな」
「誰が?」
「誰がて、まいち」
「あ、うんそだね」
「そろそろあれやな?」21時を過ぎた時計をみながらよしつね。
「うん、帰るね」
「忘れもん、せんでな」
「うん、スマホもぬいも持った」
「まあ、いつでも開いてるから、寄ったらええ」
「戸締り、ちゃんとしてって、あー!」
「どないした?」
「明日テストだった。勉強しないと。知ってたでしょ?前世で」
「知らんて、いろいろ変わってもうたから。ミツコ行ってすぐ帰ったんやし」
「もう、走って帰るから」
「あーあかん、なぎさに車出してもらうわ」
「大丈夫?」
「右の頬を差し出すわ」




