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悲しい男が眠る街

22 悲しい男が眠る街


 トーキョー行き当日。夏休みとしては異例の早さ、6時起き。当然眠い。前日早くに寝たら良いのだが、そう急に生活リズムが変わるわけでもなく、そわそわするのも相まって、なかなか寝付けなかった。


 7時20分ころ、よしつねが迎えに来てくれた。海外にでも行くかのような大きいスーツケースを持って。それにしてもわたしより眠そう。もしかしたら同じようにそわそわしてたのかと考えたら、少し嬉しかった。母に挨拶、わたしが頼んで連れて行ってもらうのだから、別にいいのにと思ってしまうが、結構ちゃんとしているのだなと感心する。


 バス乗り場まで歩いて10分弱、そこからリムジンバスで30分弱、8時40分には飛行機に乗り込み離陸を待つ。席は前の方、わたしは窓側A列、よしつねは隣のC列、Bがないのがややこしい。窓の外、搭乗橋が近くに見える。


「飛行機久々、こっち来たとき以来。よしつねは毎月だもんね?」


「だいたい飛行機やけど、たまにバスと新幹線のときもあるで」


「それだと時間かかるでしょ?」


「けど、海が見られて結構ええで。暇人にはおすすめや」


「別に、わたし暇人じゃないからね?」


「そうは言ってへんよ、別に」


「ならいいけど。でもさ、飛行機乗るのっていつも緊張するんだけど、今日は安心だよね。よしつねがこれに乗るってことはさ、墜ちないってことが確約されてるってことでしょ?その…前の記憶でさ、そういうことなかったわけでしょ?」


「せやけど、わしらが乗ったことによって影響する可能性がないわけではないやろ?」


「そんなことが影響するくらい脆弱な運行してないでしょ?さすがに」


「だとええけどな」


「もう。言わなきゃ良かった。意地悪」


「もしものときは命に代えても守ってやるからな、安心せい」


「格好いいこと言ってるけど無理でしょ?すごい衝撃だし、海に落ちたり燃えたりするよ。それに命って、そっちはさ…あ、いや、ごめん」


「ああ…こっちこそ、すまん…」


「うん」


「そろそろやで」




 搭乗橋が離れ、機体が動き出す。ゆっくりと旋回し滑走路へ。次第にスピードを上げて、エンジンの轟音、ファンの回転音、タイヤの摩擦音が大きくなる。やがてタイヤの摩擦音だけが瞬時に消える。離陸したようだ。


 隣を見る。よしつねが、少しこちら、わたしの顔の方を向いて目を閉じている。あんなに大きな音がしていたのにもう眠ってしまうなんて、疲れていたのだろう。迎えにも来てくれたし。


 身体が動いていないから少し心配になるけど、微かに寝息が聞こえる。束の間だけれどゆっくりして欲しい。起きているときは、わたしは子どもみたいに、子どもだけれど、はしゃぐから、それを喜んでくれると思うから。


 寝顔、いつもわたしを見てくれている目、今は閉じられ、ひとすじの涙を流すのが見えた。悲しい夢でも見ているのだろうか。おそろいのハンドタオルを取り出し、そっと当てる。本当に何度も人生を繰り返しているのだろうか。一度目、15歳で自ら生涯の終わらせたというそのときのまま、何も変わっていないのではと思うくらい、無防備で、頼りなくて、壊れそうな寝顔。


 窓の外を見ると、雲の上、時折はるか下方に山や海や街のかけらが見える。




 あの日登った山より高く 二人眺めた海の向こうへ

 あなたとわたし両の翼で 夢をしるべに明日へ飛ぶ

 笑い話や憎まれ口も あなたの言葉はわたしを駆ける

 わたしも指や心のうちを あなたの頬へ届けたい




 再びよしつねを見る。まだ眠っている。指先を涙の跡へ向かわせる。すんでのところでよしつねの瞼が動き、わたしは咄嗟に手を引っ込めた。


「どうかした?大丈夫?」半目のよしつね。こっちの台詞だ。


「ううん。起きたんだね?」


「ごめん。気が付いたら寝てたよ。本当に、ごめん」


 まだ寝ぼけているみたいだから、少し放っておくことにする。




 離陸からしばらくして、キャビンクルーの女性から「お飲物はいかがですか?」と声をかけられる。これでよしつねは完全に起きた。


「うーんと、スープで」とわたしが答えると、よしつねは「ももぶどうで」と即答、それもいいな。


 収納式のテーブルを取り出して、スープの入った紙コップを受け取る。たまの飛行機はいつもこれ。だけど、熱くてなかなか飲めない。


「これ飲むか」とよしつねがももぶどうを差し出してくる。


「いいの?」


「おう、飲むやろ」


「うん、ありがたいけどさ、大丈夫?」


「わしは、これあるからな」と前かがみになってシートポケットからペットボトルを取り出す。


「またドクペ?本当に好きだよね。わたしも好きだけどさ」


「せや」と蓋をあけると、プシューッという音の響き、いつも以上に長く感じる。


「ったく、恥ずかしい…」


「ほら、そろそろやないか?窓見てみ」


 言われて、窓の外を見る。一面の雲から茶色く飛び出した山が見える。


「教えてくれたんだ。ありがと。大きいのはわかってるんだけどさ、こんなに下の方に見えるなんて不思議、っていうか怖いよね」


「この前あんな苦労して登ったのにな、あれの10倍以上の高さやで」


「うん。でもさ、大きくなって頑張れば登れるんだよね?」


「しっかり準備して、ちゃんとした方法で登ればな」


「だからさ、わたしが、今のわたしが無理そうなことでもさ、よく考えて頑張れば、いつかできるようになるんだよね」


「せやな。トーキョー行けてんのもそうやろ?」


「これは運だよ」


「けど、運を掴むのにも準備がいるからな。その準備ができとったんや」


「そうだね、おかげでね」


「何かあんのんか?」


「ううん。その…一般論だよ」ここではまだ、言えない。




 飛行機は無事着陸。わたしたちが乗ったところで支障はなかったようだ。


 空港内はやはり混雑しているが、ピークほどではないのだろう。出張の社会人や学生らしき人たちはいるが、家族連れは多くない。ゲートを出て、構内を歩きながら。


「どや?久しぶりのトーキョーは?」


「まだ空港だし。人が多いなってくらい」


「お腹空いてへん?まだ11時前やし、さきホテル行くか?どっちにする?」


「あのさ、いつもわたしの言うこと聞いてくれるのは嬉しいんだけどさ、よしつねも楽しむんだから、その…対等じゃないのはわかってるけど、今はさ、よしつねがしたいようにしようよ」


「わしはどっちでもええねんて」


「それはさ、選択する恐怖から逃れようとしているだけだよ?」よしつねの希望を知りたくて脅してみる。


「うーん、せやな。ほなホテルに行く途中で昼めし。つけ麺でどうや?」


「うん。つけ麺って食べたことない」


「気に入ると思うで。何せりかおんの好みは長年の蓄積でわかっとるからな。それにな…対等やないなんてことはあらへんで」


「そう?わたし何もしてないよ」


「何や忘れたんか?わしの人生を楽しゅうしてくれんちゃうかったっけ?」


「あ…うん、そうだね。なら今のところどう、かな?」


「十分やな」


「ふーん。でもさ、こっちとしては手応えがあんまりないからね。ハードル低くない?」


「まあ、まだ時間はあるからな。行くで?」


「うん」


 電車に乗って昼食につけ麺。初めて食べたが、コシのある麺に濃厚な魚介のスーブが絡まって、食べ応えがあった。麺を食べ終わったあとにスープ割りといって、残ったつけダレにスープを入れて薄めて飲むというものがあり、これも美味しかった。同じ系統の店がうちの方にもあるみたいなのでまいちを誘ってみよう。今度こそわたしが奢るし、手取り足取り教えてあげたい。




 ホテルに荷物を預けて、シブヤで買い物。わたしはよしつねからもらった白いショルダーバッグを持って行く。駅から出るのも一苦労、盆踊りでもするかのような人混み。よしつねは大丈夫かと思っていたら、「暑いな」「人多いな」などとずっと話しかけてきていたので、まあ問題ないのだろう。ちょっとうるさかった。もしかしたら、わたしとはぐれないようにしてくれていたのかとも思う。好意的に解釈すれば、だけど。買ってあげるのが恥ずかしいということなので、シャツとスニーカーを自分で買った。よしつねにもらったお金で、だけど。


 少し移動して夕食のステーキ。パンが3種類出てきたが、よしつねに食べ過ぎないように言われたので、少なめで我慢。シーザーサラダ、ポタージュスープに続いて骨付ステーキが出てくる。骨を境に2種類の部位、フィレとサーローンが並ぶ。付け合わせにマッシュポテトとクリーム状のほうれん草。ステーキは独特の風味があって、最初苦手かと思ったが、食べたら全然大丈夫だった。熟成肉というものらしい。表面がカリッと焼かれていて中はジューシー。フィレが柔らかくて好みって言ったら、ほぼ全部わたしにくれた。あとほうれん草、あまり好きではないけれど、今日のは食べられた。ステーキは無理だけど、これなら作れるかも。今度ハンバーグのときに挑戦してみよう。


 周りにワインを飲んでいる人がいたので、よしつねに飲まないのかと尋ねたところ、飲みたいのはやまやまだが、酒に弱くすぐ眠くなってしまうので控えているとのこと。わたしが大人になったら一緒に飲んであげるって言ったら、酔っているかのように細い目をしていた。だいぶさきだけど、よしつねにとったらすぐだよね。


 最後、デザートに紅茶とタルトとアイスクリーム。お腹いっぱいだけど別腹。パンを食べ過ぎないで良かった。けれど、前に誰かと来たことあるのだろうか?前世のわたしはトーキョー行きに失敗しているから今回初めてのはず。聞いたら水を差すかもしれないから、しらふのわたしは我慢する。




 地下鉄で移動し、ホテルへ。ベッドが二つ。奥にはローチェア二つに挟まれたテーブル。荷物の整理をして寝る準備も終える。部屋の窓からは夜景が見える。先日、山から見たのとは異なる、ずっと遠くまで建物の灯り。綺麗だけど、わたしはトーキョーではなくて地方の人間になったんだと感じる。つい1年半前まではこちらに住んでいたのに。


 もしわたしが数年後に、またトーキョーで暮らすようになったら、今度はあっちに行っても同じように、ここの人間ではないと感じるようになるのだろうか。いや、わたしは母のいるところの人間でありたいと思う。母のいるところがわたしの帰る場所。では、よしつねはどうだろう。母をなくして、帰る場所はあるのか。そもそもそういうのを気にするのだろうか。もし、わたしも、母がいなくなったら…


「何や?たそがれとんのか?」相変わらずデリカシーがない。


「もう夜だからね。黄昏時ではないから違うよ」


「ママのこと、考えとったんやろ?連絡せんの?」


「いいよ。よしつねが連絡してるから」


「何や。気付いとったんか?」


「まあね。何となく」家に迎えにきてくれたときに母が自然に対応していたので、連絡は取っているのだろうという気がしていた。


「今日、楽しかったか?」


「うん。それにお腹いっぱい。だけど、いつもよしつねとさ、前世のこととか作戦立てたりとか、そういう話してるのが楽しいっていうか。あ、ごめん、大変なのに楽しいとか…」


「いや、わしの現世、めっちゃ楽しいで。普段ループのことなんて意識してへんし。りかおんも気にせんといてな?」


「うん。でも今日は買い物付き合ってもらっちゃって、わたしばっかり楽しかったんじゃないかって」


「ほな、明日はここにおるか?」


「それはもったいないから嫌」


「確かにな、今日はりかおんの買い物に黙ってついてっただけやからな。寂しくさせてすまんな」


「黙ってはないけどね、暑いとかどうとか言ってたし」


「明日はアサクサとズーやろ?いっぱい話そ、な?」


「うん。そうして。その方がよしつねも楽しいでしょ?」


「せやな。あと、ズーでお互いどのアニマルに似てるか考えて、あとで発表するってのはどうや?」


「嫌な予感がするけど、まあ楽しそうだからね、そうしよう」


「ほな、わし疲れたから、さき、ねんねさしてもらうで?」


「うん。ありがと。おやすみ」


「おやすみ」と入り口に近い側のベッドに横たわるよしつね。


 すぐに寝息が聞こえた。人混みが苦手だから疲れたのだろうか。またも無防備な寝顔。よしつねには帰る場所なんていらないのかもしれない。でも、それもちょっと悲しいね。





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