絶景
17 絶景
お泊まり会と登校日の放課後、ほぼ四日間をまいちと共に過ごし、充実の夏休み。迎えた山登りの日。母は夜勤なので昼食を一緒に食べてから出掛ける準備。
事前にいろいろ調べてあるが、登る方法、徒歩かロープウェイかを決めていない。ロープウェイだとものの数分で展望台まで行ける。徒歩だと30分くらい、わたしの足だともう少しかかるかもしれない。よしつねに聞いたらおそらくどちらでもいいと言うだろうから、わたしが決める。できれば徒歩が良いけれど登れるだろうか、途中で倒れないだろうか、あのときみたいに。予報では真夏日でもある。でも絶対に助けてくれるだろうという確信がある。
徒歩で行くことにして、まいちに選んでもらった黒のバンツと白いシャツを着る。勾玉も持っていく。ペットボトルの水、日傘、タオル、ペンなど、それに伝えないといけないことをひとまとめにしてトートバッグに詰め込む。
御代史堂へ、シャッターは閉まっているが、右脇の玄関への道付近に、白いTシャツに黒いパンツのよしつねが立っているのが見える。駆け寄る。
「そこで待ってたの?」
「ああ」
「心配?」
「ちょっとな」正直に答えるよしつね。
「もう。まだ早いから、入るよ」
ここまで30分くらい歩いてきているので、リビングでいったん休憩させてもらう。涼しい。
「水飲むか?」
「持ってきたから大丈夫。日傘も差してきたしね」
「けっこう」
「今日はさ、歩くけどいいよね?」
「ここからはそんな歩かんやろ?ロープウェイやし」きょとんとしている。
「そのロープウェイじゃなくてさ、歩いて登りたい」
「上まで?」
「そりゃ上で夕焼け見るのが目的だからね」
「ほんま?」
「だめ?」
「いや、だめやないけどな〜この暑さやしな〜難儀やろな〜」とキョロキョロしながら答えるよしつね。
「嘘つかないんじゃなくてつけないのかな?」
「何で?」
「身体中から、嫌そうオーラがとめどないよ」
「あ、すまん」
「ならロープウェイで。無理言ってごめん」残念な顔を見せる。
「ちょい待っててくれな」と、よしつねは店の方へ降りていく。
5分ほどして黒いバケットハットを持ってきて、
「これ、被ってくれへん?」と差し出してきた。
「何これ?」
「帽子やけど。新品やで」
「それはわかるけどさ。何で?」
「日傘やと山登るのきついやろ?」結局了承してくれた。
「え、あ…そうだね」と帽子を被ると紐とクリップがついているので締める。
「どうや?」
スマートフォンのインカメラを起動して、自分の顔を確認する。
「うん、少し大きいけど問題ないかな?どう?似合う?」
「…答えなあかん?」はにかむよしつね。やはり嘘がつけないよう。
「ううん。ありがと」
「そういえば、前にも登ったん?」
「うん。ママと。でもロープウェイで昼間にね。だから夕焼けも夜景も見てない。よしつねは?」
「昔、現世でもやけど、若い頃なぎさとな。ロープウェイで」
「ふーん。それデート?」
「ちゃうやろ?脅されも殴られもせんかったけどな」
「じゃあさ、これ」バッグから、先日ショッピングモールで購入した、何の変哲もない南京錠を取り出して、「半分くらいのところに縦に名前書いて」と、ペンを添えて渡した。
「名前って何て?」
「よしつね?」
「りかおんしか呼ばん名前やけどええの?」
「うーん、どうしようかな?神社でお参りするときさ、自分の名前何にしてる?」
「滅多に行かんけどな、そりゃフルネームやな」
「そうだよね。まあ神サイドならいろいろ知っているはずだしね。うん、ひらがなでよしつねで」
「わかったわ」キュッキュとペンで『よしつね』と書いて渡してくる。
「ありがと。前に、そのなぎささんとこういうの書いたことある?」
「あらへんよ、現世も前世も。何かのおまじない?」
「うん、そんなとこ」
「けど山登んのにそんなカバンでええの?両手空いてた方がええんちゃう?」
「そうだね。その口ぶりだと何かあるね?」
「せや、前世からの蓄積があるからな。いろいろ用意してんねん。ちょっと待ってな」と再び店の方へ行き、今度は1分もせずに、白いショルダーバッグを持ってきて「これ、どうや?」と渡してきた。
「ありがと」と受け取り、掛けてみる。布製で軽いが、生地は丈夫そう。それに何だかしっくりくる。
「全身白黒やな?」と茶々を入れてくるよしつね。
「そっちもでしょ?」
「ヘアルックみたいやな」
「う…違うよ。まいちに選んでもらったんだから。たまたま。それにほら、首のところとか紺色だし」
「それ言うならわしもロゴがグレーやし」
「グレーは白黒の一味だから、全身で白黒だよ」
「わかったわ、わしの負けや。んで、カバンどうすん?」
「うん、ありがたく使わせてもらうよ。もしかして、前世でもこれ使った?山登りした?」
「山登りはしてへんよ。けど、りかおんがそんなようなカバン持ってたことあってな。用意してて、機会があったら渡してるんや」
持ってきたトートバッグから、必要なものを白いバッグに移し替えながら、「じゃあ、今日もらわなくても、こういうのいずれわたしが買う可能性があったってことだね?」
「こっちの方がだいぶ高いけどな?」
「もう、悪い大人が出てるよ」
「すまんな」
「けど、これもだし帽子も、もらっていいの?」
「りかおんにあげよう思てたからな」
「それ、前にも聞いたね」そう、今しがた移し替えた勾玉をもらったときのこと。
「せやな。何遍も言ってるな」
勾玉を取り出してよしつねに見せながら「でもこれ、あの山で見つかったんだよね?持ってって返さないで、バチ、当たったりしないかな?」
「そんなんやったらわしに来るやろ?りかおんは悪うない。気にしてたんか?」
「うん、ちょっと」
「気に病むようなら山から放ったらええわ。もうりかおんのものやし」
「うん。そうだね」
「準備できたら、出発しよか?」
「うん」
歩いて5分、ロープウェイ乗り場のある建物に着く。観光客がたくさん。が、徒歩で行くのでそこには入らない。隣接する神社を通って山道を登るルートで山頂を目指す。頭上には、所々に小さな雲が浮かぶ青空。
「お参りするやろ?」と50円玉を渡してくるよしつね、黒いリボンの巻かれた白いフェルト帽を被っている。やはり全身白黒。
「うん、ありがと。でも何で50円?」
「五重に縁があるとか、穴が空いてて見通しがいいとか、みたいでええらしいで?逆に500円だとそれ以上の効果がないとかで良くないとかな」
「10万円硬貨あるけどね」
「それは特別なやつやからな?意地悪やな」
「ごめんね」
「ええわ。お祈りし。学問の神様やて」
「うん」と言いつつ、勉強のことはお祈りしない。それは自分で頑張ることだから。母、まいち、まいちの家族、よしつね、なぎさ、みんな、健康でいて欲しい。あとよしつね、いなくならないで欲しい。二拝二拍手一拝。
「お願いできたか?」
「うん、何お祈りした?」
「無事登り切れますように、りかおんが高校受験に合格しますように、って」
悪気はないのだから黙っていよう。
神社の脇の階段を登り、山頂を目指す。他に歩く人はまばら…いや、見える範囲には少なくともいない。わたしが先頭、うしろからよしつねが声を掛けてくる。
「いけるか?」「休憩しよか?」「水飲むか?」など。
「うん」「ううん」「うん」
石段が続いたが、やがて木の階段、そして山道に。急な坂なのもあってわたしは返事をしなくなり、よしつねも話しかけなくなった。
照りつける日差し。木が茂っていて日陰もあるのだが、それをものともしない熱。暑い。帽子をしていてよかった。バランスをとらないと歩きにくいので日傘は差せなかっただろう。足の裏にかかる重圧は不規則で、足首に負担がかかる。痛い。汗が目に入る。沁みる。でも大丈夫。山頂に近付くにつれ、次第に登りがなだらかになってきた。もう少し。ラストスパート。頑張らないと。黙々と歩き続ける。背後を気にする余裕はとうにない。ただ足を動かすだけの…
「りかおん!」
急に呼び止められた。
「え、あ…どうしたの?」
「いったん休まして?な?」
「…うん」
周りが目に入っていなかった。前に進もうとする気持ちがいっぱいで。見えていなかった、よしつねのことも、自分のことも。
「水、飲もうな?ゆっくりな」
よしつねに言われて気付く。速い鼓動。おそらく、もう少しで倒れそうだった。いつから声を掛けてくれていたのだろうか。考えていたらよしつねがわたしのバッグから水を出して蓋を開けて渡してくれた。
「ありがと…ごめん」
水を飲む。言われた通りゆっくりと。身体と心が落ち着く。
「まだだいぶ時間あるやろ?そんな急がんでもな。かえって上で暇んなるし」
次はタオルをわたしのバッグから出して渡してくれる。
「うん、そうだね。よしつねは大丈夫?」汗と目の周りの水分を拭い、よしつねの顔が見えてきた。すごい汗、顔中くちょぐちょで水を飲んでいる。
「ああ、あと10秒でミイラになるところやったけどな」
急に、バッグを漁られたのが恥ずかしくなった。大丈夫そうだ、わたしも。
山頂。辺りは30メートル四方くらいの広場になっており、ロープウェイの駅、仏塔、大きな万華鏡のようなものがある。山道とは変わって、かなりの数の観光客。みんな楽しそう。
展望台から臨む景色。頭上に果てしない空。いつもの街並みも、知らない街も遠くに見える。海も、その向こうも、ずっと広がっている。いつかわたしが行くところ、現世でも来世でも行かないところ。目に映るものでさえ無限に感じるのに。よしつねに目が行く。
「遠くまで良く見える。苦労した甲斐があったね」と声を掛ける。
「せやろか?いつものりかおんなら、苦労したかどうかで景色は変わらないとか、言いそうやけどな」
「そんなことないよ。最終的には心が感じるものだからさ、苦労とかも混みなんだよ。それに目も汗かいたから」
「せやな。べそかいとったもんな」
「うう…そっちだって泣いてたでしょ?」
「泣いてへんよさすがに」
「わたしのこと心配して、気が気じゃなくて、うるっとしてたでしょ?」
「心配はしたけどな、さすがに泣いてへん」
「頑張ったのに志半ばで断念するかもしれないわたしを思って泣いてない?」
「あそこから帰るくらいなら登った方が早いし、さすがに泣いてへん」
「かわいそうとか思わなかった?」
「自分で歩く言い出して、自業自得やなって」
「ひどい。それこそさすがにひど過ぎる。本当、正直過ぎるのも考えものだね。ここで大泣きしようか?」
「完全に本調子になったみたいやな。えかったわ」
「うん。めでたしめでたしみたいに言ってるけど、許さないよ」
「しゃあないやん。嘘つかへんのやから」
「性根を叩き直したいところだけど、ついてきて」と歩きながら呼び寄せる。
行き先は金属製のボード、バーが付いていて、南京錠を掛けられるようになっている。辺りに人が少なくなったところでよしつねに目配せして、『希望の鍵に願いを込めて』と記されたボードに近寄る。
「これ、さっきの南京錠か?」と気付いたよしつね。
「うん、わたしも書いたから。一緒につけよ」
「結ばれるとかいうんやろ?見るからに。ええんか?わしと結ばれて?」
「わたしはそんな小さい話はしてないよ。これは永遠の縁を願うものだからね。来世以降も助けてもらわないと、そのお願い。でないとわたし、わたしじゃないのかもしれないけど、死ぬからさ」
「いや、死なんよ、怪我するけど」
「わかんないでしょ。よしつねの動きで空気の流れが変わって、打ち所悪くて死ぬかもしれないし」
「けど助けるて、必ず。また倒れたふりして」
「いいから、一応、ね?さっきのお詫びで」
「ま、ええで」
錠を開け、バーに引っ掛けて、掛け金と本体下部を指で持って、
「じゃ、そっち持って」
「お、おう」
よしつねも指を添える。互いの人差し指と親指同士が微かに触れる。
「せーので押してね。はい、せーの!」
「カチャッ!」と二人で同時にロック。目的達成、恥ずかしいのですぐさまその場から離れる。ゆっくりとついてくるよしつねを数メートル離れたところで待つ。
空はまだ明るい。余裕を持って登り始めたので、まだ日没まで時間がある。
微笑みながら近付いてきたよしつねに声を掛ける。
「まだ時間あるし、ここ公園になってるからさ、散歩しよう?」と付近の階段を指差す。下に舗装された道が続いていて、そこへ進む。
「ええで、けどちゃんと水飲まなあかんで」
「うん」
「せやけど、あのお願いが叶うと、わしはもう逃れられんちゅうわけやな。来世であそこ行かんかったらどうなるやろな?」歩きながら、よしつねがニヤニヤして言う。
「そんなこと言って、来るでしょ?絶対」
「行くわな、絶対」
「うん。でさ、今思ったんだけどさ、わたしに会う前に死んだことある?」
「あるで」
「え、嘘…あ」
「その場合、どうなんのやろな?わし死んどるからわからんし」
「うん、わたし怪我するね。何なら死ぬかも」
「盲点やな。来世は考えんとな。車に気ぃ付けやってメッセージ送っとくか?怪しいなんてもんやないな。そういう意味やと、今のお願いがきいてくれたら、わしこの時期まで死なんで済むかもな」
「ごめん、自分のことばっかりで」
「りかおんは将来、ぎょうさん人を助けるんやからな。いや、せやなくてもな、当然や」
東屋が見える。あたりは青々とした木々が立ち並び、公園のよう。
「よしつねはいつも助けてくれるのに…」
「そんなん気にしたらあかん。前世とか来世とかな、わしが頭おかしいやつで、勝手に言ってるだけかもわからんやろ?りかおんは現世のことだけ考えたらええんや」
「だとしてもさ、わたし…」
「何や?」
「うん、言わないといけないことがあってさ」
「…おう」
「あの…トーキョー行く話、ママに言ったんだけどさ、だめだった」
見なくてもがっかりしているのがわかる。よしつねが一生懸命考えてくれたから、だから結果に繋がって欲しかった。
「そうか、残念やな」
「うん、なぎささんに迷惑だって。それだけじゃないと思うけど」
「計画に無理があったかもな。すまん」
「ううん、わたしに説得力がなかったんだよ」
「でもな、頑張って良かったやろ?」
「けど努力が報われないこともあるんだよね。やっぱり」
「せやろか?努力が報われるんは努力した方に努力した分だけや」
「あのさ、お説教ならいらないよ。これでも落ち込んだんだから」
「宿題も早う終わったし、お泊まり会できたし、今日やってええ景色見れたし、盆踊りもあるし、ええことずくめやろ?」
そう、その通りだ、わかっていたこと。なのによしつねに当たってしまった。
「うん、ごめん、生意気言って」
「それにまだ時間あるやん。盆踊り終わったら暇やろ?」
「お互いね?」
「できることを考えたらええやん。な?」
「うん、そうだね。今日だって楽しいしね」
「ほれ、そろそろ暗なって来たで」
ネガティブなわたしはもう終わり。いつものわたしに
「戻ろう」




