トラウマ
14 トラウマ
約束をしてから、それぞれの活動が始まった。
わたしはまず宿題、目標が、よこしまなものかもしれないが、それができたことで、俄然調子付き、思いのほか順調に進んだ。おそらく前世のわたしもこれはこなせたのだと思う。基本スペックは同じなのだから負けるわけにはいかない。
また三者面談でもしっかりと受け答えできた。進路は、近所の公立高校を志望することにして伝えた。このまま頑張れば大丈夫とのお墨付きをもらった。この点でも母へ良い印象を与えられたのではと思う。将来の具体的な目標についてはまだ話せていない。
次、まいちの家へのお泊まり会、これもすんなりいった。まいち自身も前々から希望していたが言い出せなかったらしい。すごく喜んでくれてわたしも嬉しい。母も、近所だし井内さん、まいちのご両親の迷惑でなければ、ということで了承してくれた。日程は8月1日から3日までの2泊3日。
目標のために始めたことが、それを抜きにしてもわたしにとって良い影響がもたらされていると感じる。よしつねの思惑なのだろうか?いずれにしても、たとえ目標が、トーキョーへ行くことが叶わなかったとしても、これらは無駄ではなかったと、心から思えるだろう。
一方のよしつねはというと、だいぶ手こずったらしい。来世で一緒になろうとか、何でもするとか、土下座までして頼みこんだが、かえって機嫌を損ね、難航したようだ。なぎさは盆踊りもあって簡単に仕事を休めないので、代替案として、いったんなぎさがわたしとトーキョーに行くことにして母の許可をもらい、直前になぎさが仕事の都合でキャンセル、よしつねに交代するという策を提示し、何とか受け入れてもらったとのこと。旅行の費用もなぎさの仕事の経費だから、わたしが出す必要はないという体裁。ただこの案は、よしつねなら母が許可しないかもしれないという、直前で計画が水の泡となる危険性をはらんでいるし、騙し討ちのようで気が引ける面もある。
盆踊りといえば、まいちとは盆踊りの練習にも参加した。以前よしつねに見せた踊りに加えて、指先の動きや膝を斜めに動かすステップを教えてもらった。その際、なぎさに見本を見せてもらったが、簡単に踊っているようで、力強く、自然な流れで、綺麗だった。その姿もさることながら、楽しそうななぎさの笑顔が際立って素敵だった。
なぎさたちは5月から、ホールや体育館を借りての全体練習をおこなってきているが、わたしたちの参加が決まったのが7月なので、全体練習の機会が残り少なくなっており、かなり足を引っ張ってしまった。特にわたしが。しかし年齢の違う人たちと違和感なく話せたのは、よしつねやなぎさのおかげだと思う。本番ではもっと上手に、足を引っ張らないようにしたいと思っていたが、それを察してか、みんなから楽しめばいいと声を掛けられ、だいぶ気が楽になった。未経験者のよしつねの言葉よりも断然説得力がある。
7月29日午後、御代史堂内、リビング。一通りの活動を経ての経過報告。
「すまんな。なぎさを説得できんくて」
「仕方ないよ、仕事あるし。逆に仕事しないよしつねがズルだよ」
「ぐうの音も出んわ」
「わたしの方はね、まいちとお泊まり会は決定、三者面談も無事終了、宿題は、今日持ってきた」
「へ?間に合うん?」
「あと少し。ここでやる。だからさ、ご褒美買ってきて」
「今から?」
「うん、あと少しで終わっちゃうよ?宿題」
「あんなー」
「ごめん、怒った?」
「いんや、何買うたらいいの?」
「怒らないの?」
「何を?」
「来て早々に突飛な要求をするわたしを」
「甘いもの、食べたいんやろ?」
「そうだけど」
「別に買うたらええだけやん」
「じゃあ本当に買ってきてくれる?」
「買うて。んで何を?」
「センスに任す」
「わかった。待っとき」
「あー、戸締りね」
「おう」
裏口から外へ出て行ったよしつね、カチャカチャ音がしたので、戸締りはしたようだが。
5分するかしないかで戻ってくるよしつね、息切れしている。
「どうしたの?」心配になって声を掛ける。
「どんくらい食べる?」
「そのために戻ってきたの?」
「ええから。どないや?」
「んと、ケーキ2個分」
「ほな、ケーキやな。行ってくるわ」と走って出て行くよしつね。今度は戸締りしていない。まったく、仕方のない大人だ。センスに任せたはずなのにケーキに決まってしまったし。問題ないけれど。
内側から鍵を掛け、ソファに座って待つ。宿題はほぼ終わっているのだが、喜びをよしつねと分かち合いたいと思って最後の1ページで止めている。
部屋の中、棚の上、ぬいぐるみ、右隣にスマートフォン、左隣に写真立て、よしつねと車椅子の女性が看護師らしき人たちに囲まれているのが見える。母親だろうか。手前には黄色いミニカー。その左、黒いレコードプレイヤー。思い出の品なのだろう。何万回も人生を送ってきてもなお、手元に置いておきたい物かもしれない。わたしとの思い出もそこに加えてもらっていることをあらためて不思議に、しかし嬉しく思う。でも、スマホ…置きっ放しにされている。
30分ほど経過した。戻ってくるのだろうかという考えがよぎる。送り出す際にどれくらいかかるか聞いておけば良かった。よしつねは嘘をつかないのだから、故意にいなくなる事態を避けることはできる、次からはそうしよう、もし次があればのことだが。
手持ち無沙汰でキッチンへ、棚を探ると紅茶のティーパックを見つけた。ケーキを買ってくるようなのでこれが合いそうだ。電気ケトルで湯を沸かし、カップを用意する。お湯とわたしが沸騰するまでに、早く帰ってきて欲しい。
ほどなくして、鍵が開き、よしつねが帰ってきた。
「ただいま。鍵閉めてくれたんやな?」
「うん。だけど認識してるならさ」
「スマホ忘れてん」
「忘れ過ぎ。お茶、準備したからあとはお願い。宿題やるから」
「何や、まだ終わってへんかったんや。頑張り」
もう、けわくそわるい。
テーブルで宿題をする、もう終わる、寸前。
よしつねが、静かにテーブルの端の方に紅茶とケーキの箱を用意している。どうやら準備できたようだ。機を見計らって最後の回答。
「はー終わったあー」大げさに両腕を上げ、伸びをしてアピールする。
「おーよー頑張ったな、ほな満を持して、ご褒美やで」嬉しそうに、わたしの手のひらなのに。
箱をあけてケーキを見せてくるよしつね。いちごが載った長方形のショートケーキ、薄緑の半円アーチ型のケーキ、シュークリームの3つ。
「お、いっぱいあるね?」
「全部食べてもええんやで?」
「全部は食べないけどさ、全部食べたい」
「どっちやねん?」
「だからさ、これ全部をわたし一人で食べるわけじゃないけど、全種類食べてみたいっていうこと。ニホンゴムツカシイネ」と両手を広げておどけてみせる。
「せやな。手洗ってき」
洗面所から戻ると、それぞれ皿に載せられたケーキたち。
「どれにしようかな…ってやっぱり、いちごだよね」
「ほい」とわたしの前にショートケーキを置いてくれた。
「ありがと。んじゃ、いただきます!」
「いただきます」
ショートケーキに向かう。3層のスポンジの間にいちごと生クリームが挟まっているが、よくみるといちごのシロップがスポンジの上に染みている。頂上中央にはもちろんいちご、両脇に生クリーム。これでしょ。
3分の1のところ、いちごを残してフォークを入れて縦に切り、それを一気に一口。酸味と甘みのハーモニー。
「うん、美味しい。奇をてらわない、安定の美味しさだよ。でも柔らかくて溶けちゃいそう。よしつねも食べなよ」と皿ごと渡して紅茶を一口。
「おう。次、これやな。ピスタッチョ」
渡された皿には、緑色のピスタチオのムースの中にスポンジケーキ、ベリーシロップの層、上にはピスタチオクリームとベリーの実、ビスタチオの実が添えられている。これも3分の1を切って一口、ピスタチオ独特の風味が口に溢れ、ベリーの酸っぱさをアクセントに、より引き立つ。
「これも美味しいね。ほらよしつねも」とまた皿ごと渡す。
「はい、ほなこれ」とナイフで綺麗に半分にされたシュークリームを渡される。次から次へと、わんこケーキ?
「あ、ありがと」
固めの生地、中に黄色っぽいクリーム、上にナッツと白いパウダーが彩る。手に持ってガブリ。口の中にクリームが満ちる。もったりせずにさっぱりとした、けれど深みのある味わい。紅茶を挟んで残りをパクリ。なくなった。
「うまいよな?」と同意を求めてくる。
「うん、美味しいね。そっちも」
「おう。両方食べたで」と皿二つをゆっくり寄せてくる。
ショートケーキとピスタチオケーキが、それぞれ中央の赤い果実を残したまま、両サイドを切り取られ、ほっそりと、今にも倒れそうな姿になっている。
「何これー?」
「最後の美味しいとこや。脳みそ使て、糖分要るやろ?」
宿題はほぼ終わっていて、そんなに頭は使っていないのだが、好意はもちろん受ける。
「でもさ、この形なんか嫌だよね?」
「何でや?りかおんが渡すからやろ。真ん中食べるわけにはいかんし」
「気を遣ってくれたのはわかるよ。でもね」
「ほなどうしたら良かったんや?」
「それは知らないよ」
「何や詰んどるやないか?」
「そうやって諦めたら、できないって決めつけたらさ、あかんよ」
「ふっ、言うなあ。来世までに考えとくわ。それ、食べへんならもらうで?」
「いや、食べるよ、何なら一番美味しいところだし」一気に食べた。
「それにしてもやるやないか。夏休み4分の1くらいで宿題やってまうなんて。欲望の為せるわざやな。さすがサバンナの獰猛なハンター、リカオン」
「うん、希望が出てきたね」
「せやな。だってーママ許可してくれないもーん、だめに決まってるもーん、て言うとったのにな」泣き真似するよしつね、ムカつく。
「言ってないし」
「言うてたやろ?」
「そんな言い方じゃないし」
「えーん、って」
「だーかーらー」
「もし説得できんくてもな…わしが連れてってもええんやで?」
「どうやって?」
「うーん、その誘拐的な?」
「ママ、心配っていうか、もう大変なことになるよ?警察とか来てさ、指名手配犯よしつねだよ」
「んでパーンッて射殺されたりな」
「そんなのわたし、とんでもないトラウマになるよ」
「せやな。すまんな。若い身空で」
「わたし、よしつねと帰るまで一緒じゃないと、ううん、帰ってからもいてくれないと嫌。無茶はしないで。この前は弾みでつい言っちゃっただけだからさ。ごめんね。それにさ、本当に行けそうな気がするし、行けなくてもさ、今すごく楽しいっていうか充実してるからさ。来世のわたしの肥やしになるつもりはないよ。だからさ、そんなこと言わないで」つい熱くなってしまった。
「あんな、りかおん」何か困ったふうなよしつね。
「何?」興奮冷めずじっと見る。
「…いや…ありがとうな」
「え、何!?気になるんですけど?」
「いやな、ふっ…ちょっとした冗談なのにごっつ本気にされて戸惑ってただけや。冗談言うのにも気ぃ付けなあかんて、りかおんが身をもって教えてくれたっちゅうのに」と笑いながら言うよしつね。
「ちょっとー!今2回グサッと来たんですけどー!」つい立ち上がってしまう。
「ごめんて」
「もういいよ!」とわたしはうつ伏せでソファに突っ伏して、
「わたし…本当に、よしつねが撃たれるところ、想像して、もう怖くて…悲しくて…うぅ…」と嗚咽をもらす。
「りかおん!本当にごめんなさい!もうしません!何でも言うこと聞きます」と土下座しているよしつねを背中で察知する。
わたしは振り返り、ソファに座り直し、
「ふっふっふ…どうかね?騙される気分は?」と踏ん反り返る。
「…りかおん?」とわたしを見上げ、涙ぐんでいるように見えるよしつね。
「いやいや、嘘泣きだって。復讐」
「あ…あまりにも迫真の演技ですっかり騙されたわ、さすがの負けず嫌いっぷりやな」とまだ立ち上がれない様子。
「観念したまえ。ふっふ、わたしは聞き逃さなかったよ」
「何?」
「何でも言うこと聞きます、と言いましたね?」
「あ…ああ、言うたな」
「でもさ、どうしようかなー?何してもらおうかなー?」
「トーキョー連れてくってのでええやん」
「それは別。しかも条件付きでしょ?もう射殺されて欲しくないし」
「せやな。助かるわ」
「うーん…どうしよっかな。悩むなあ」
「何か欲しいものとかあらへんの?」
「思い浮かばないな。それにさ、お菓子とかすぐ買ってくれるから、そういうのに使うのもったいないって思ってさ、逆に困るよね」
「贅沢な悩みやなって、わし言いなりみたいや」
「よし…じゃあさ、来週、夕焼け見たい。山登って」
「ええで」即答のよしつね。
「良かった、けど、別に普通に大丈夫な感じだね、即答だったし」
「せやな、全然かまへん類のやつや、残念やったな?」
「うん、良かったけど残念」
「盆踊り行くの決まってへんかったら使えたのにな」
「あ、そうだね、踊らずに済んでたかもしれないね」
「結局、踊り損やったな」
「そうでもないよ」
カレンダーに予定を書き込み、今日の会議は終了した。
御代史堂を出てよしつねとともになぎさの店に寄る。トーキョー行きの計画に協力してくれるお礼、また8月にも何度か盆踊りを教えてもらう予定があり、その話もした。よしつねに対する諸々の行動を除けば、なぎさはとても素敵な女性だと誰もが認めるところだろうと、改めて思う。
そのあと、まだ日没前だが、よしつねが家まで送ってくれることになった。わたしを泣かせたこと、嘘泣きではあるが、そのことを気にしているのだろうか。違う。いつも送ってくれる。
途中、あの橋、かつてよしつねが飛び込んだ橋、現世では狂言なのだが、いつかの前世で一度は本当に死のうとしたという橋に差し掛かる。
「よしつね、ここ、通るの?」やはり気になって声をかける。
「嘘っぱちや。いけるて」橋のたもとまで進んで振り返るよしつね。
「でも、最初はさ…」恐る恐る近付くわたし。
「りかおん、わしのこと何て呼んどる?」意図せぬ質問。
「ん?よしつね?」
何とかそばに寄り、戸惑いながら答えると、よしつねは橋の向こうへ向き直り、
「京の五条の橋の上、
大の男の弁慶は、
長い薙刀振りあげて、
牛若めがけて切りかかる」
と歌いながら、歌詞の通りに刀を振りかざす動きをしたかと思うと、
「牛若丸は飛び退いて、
持った扇を投げつけて、
来い来い来いと欄干の、
上へあがって手を叩く」
と続け、歌詞に合わせ、投げる真似をし、橋の臙脂色の欄干に飛び乗り、手を叩き、欄干の上を飛び跳ねて、橋の中ほどまでたどり着き、
「前やうしろや右左、
ここと思えばまたあちら、
燕のような早業に、
鬼の弁慶あやまったあ〜!」
と歌い終わらないうちに、橋から川へ落下しそうにふらつく。
わたしは追いかけ、咄嗟に近付いて手を伸ばしたが、よしつねの手に届くことはなく、よしつねは10メートルほど下、川面に落下していく。
「よしつね!!」と叫び、欄干から下を見ると、よしつねが仰向けで笑いながら、
「ははっ、あやまった、って、意味違うやつやなあ!」と言いながら、浮いている。
やがて川の向こう側へ何泳ぎかわからない泳ぎ方で泳いで行くので、仕方なくわたしは一人で橋を渡り切って、向こう岸で泳いでくるよしつねを待つ。
「何やってんの!?大丈夫?」
泳ぎ切って手を土手について登ってくるよしつね、上が階段になっており、その途中でTシャツを脱いで絞る。恥ずかしさに心配が勝つ。が、人通りが少なくて良かった。
「わし、泳げんかったわ。けど何とかなるもんやな?」
「何とかならなかったらどうするつもり?」
「りかおんが助けてくれるから安心や」
「無理だよ。わたしも泳げないし」
「何とかしてくれるやろ?で、橋が何やったっけ?」
「もうっ、何でもないよ」と手を差し伸べるが、
「菌とかおるかもわからんし、汚いからな、やめとき」と言われ、避けられた。
「そうだね、ちゃんと綺麗にしなよ?来週さ、その、あれだから」
「せやな。すまんな」とひとしきりしぼり終わったTシャツを着ながら。
「今日はもう大丈夫だからさ、早く、ね?」
「ほな、そうさせてもらうわ。ありがとうな」とわたしに近付かないように大回りして橋のたもとへ。
「うん、あとさ…」
「え?何?」
「ううん、何でもない、じゃあね、さっさと帰って!」
手を振りながら橋を渡って帰っていくよしつねのうしろ姿が、この橋の印象を上書きしていった。




