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消失  作者: あき
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第Ⅳ部 視覚の消失(Ⅲ)

第二十七章 正常値の向こう側


検査室は、やけに明るかった。


白い壁。

白い床。

白い機械。


視覚の検査には、

“見やすさ”が徹底されている。


それが、

透には皮肉に思えた。


「ここ、見えますか」


眼科医が言う。


モニターに、

黒い文字が浮かぶ。


透は、

一瞬だけ、

呼吸を整えた。


「見えます」


それは、

嘘ではなかった。


文字は、

読める。


上。

右。

左。


透は、

一つも外さなかった。


検査は、

淡々と進む。


視力。

視野。

色覚。


すべて、

正常範囲。


「異常は、ありませんね」


眼科医は、

あっさり言った。


透は、

その言葉を待っていた。


待っていたからこそ、

胸の奥が、

何も動かなかった。


「でも」


透は、

静かに言った。


「文字を追うのが、

つらいんです」


眼科医は、

カルテに目を落とす。


「長時間?」


「短時間でも」


「ぼやけますか」


「……いいえ」


「二重に見えますか」


「違います」


質問が、

すべてすれ違う。


透の感じている違和感に、

当てはまる項目が、

どこにもない。


「疲れ目でしょう」


眼科医は、

結論づけた。


「年齢的にも」


また、その言葉。


透は、

否定しなかった。


否定できなかった。


病院を出ると、

午後の日差しが

やけに強かった。


サングラスをかけるほどではない。

だが、

目を細めないと、

落ち着かない。


凪が言った。


「どうだった?」


透は、

短く答えた。


「異常なし」


凪は、

一瞬だけ、

何かを言いかけた。


だが、

やめた。


その“やめた”が、

透には分かった。


帰宅後、

透は本を開いた。


読み慣れた文庫本。

以前なら、

一気に読めた。


三行。


そこで、

止まる。


どこを読んでいたのか、

分からなくなる。


透は、

しおりを挟んだ。


三行で。


夜、

ノートを開く。


今日の記録。


・視覚検査:異常なし

・自覚症状:文字追跡困難

・光への過敏


透は、

ペンを置いた。


この書き方も、

もう見覚えがある。


嗅覚。

味覚。

聴覚。


すべて、

正常値の向こう側で

消えていった。


凪が、

静かに言った。


「ねえ」


「なに」


「私、

間違ってないよね」


透は、

少し考えた。


「……何が」


「あなた、

見えにくくなってるよね」


その言葉は、

確認ではなかった。


共有だった。


透は、

初めて、

否定しなかった。


「……うん」


それだけで、

凪の目が揺れた。


透は、

理解していた。


また同じだ。


“異常なし”のまま、

世界が壊れていく。


視覚は、

数字では測れない形で、

確実に消え始めている。


次に来るのは、

見えているふりか、

見えないと認める瞬間。


どちらにしても、

もう戻れない。

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