断罪されて追放された悪役令嬢ですが、物語の外で暮らしていたら世界の方から戻ってきてほしいと言われました
「エレノア・ヴァルシュタイン。貴女を国外追放とする」
王太子 アルトゥールの声が、大広間に冷たく響き渡る。
私――エレノア・フォン・ヴァイスハイトは、王宮の大広間の中央に立たされていた。周囲には貴族たちが居並び、好奇と嘲笑の視線を向けている。
これは、断罪の場。
私が「悪役令嬢」として裁かれる、物語のクライマックス。
「平民出身のアリア嬢に数々の嫌がらせを行い、ついには彼女を階段から突き落とそうとした。その罪、決して軽くはありません」
アレクシスの隣には、涙を浮かべた金髪碧眼の美少女、ヒロインのアリア・ローズが立っている。
彼女は震える声で言った。
「エレノア様……どうして、そこまで私を憎むのですか……?」
ああ、完璧な演技だ。
いや、正確には演技ではない。彼らは本当に、そう信じ込んでいるのだ。
私が悪で、アリアが善。
私が加害者で、アリアが被害者。
私が断罪されるべき悪役で、アリアが救われるべきヒロイン。
それが、この「物語」の筋書きだから。
「エレノア。貴女には弁明の機会を与えます。何か言うことはありますか?」
アルトゥールが問う。その青い瞳は、まるで人形のように感情が欠けていた。
私は――ああ、私は知っている。
ここで何を言っても無駄だということを。
「……私は、神に誓ってそのような行いをしていません」
それでも、声を絞り出す。
「アリア様を階段から突き落とそうとしたことなど、一度もありません。むしろ、私は…」
「嘘をつくな!」
突然、アルトゥールの声が怒号に変わった。
「この目で見たのだ。貴女がアリアの背中を押そうとする瞬間を!」
「それは違います! 私はアリア様が足を滑らせそうになったから、支えようとしただけで――」
「黙れ!」
私の言葉は、容赦なく遮られる。
「貴族の身分に驕り、平民を見下し、婚約者である私がアリアに優しくしたことを妬んだ。その醜い嫉妬心が、貴女を殺人未遂にまで駆り立てたのだ!」
その発言で周囲の貴族たちが、ざわめく。
「やはり、エレノア様は……」「婚約破棄も当然ですわ」
「あんな方が次期王妃だなんて、考えられませんもの」
私の胸が、ぎゅっと締め付けられる。
違う。私は本当に何もしていない。
ただ、アリアが階段で転びそうになったから、手を伸ばしただけ。
なのに、その瞬間をアルトゥールに見られて、全てが「悪意ある行為」として解釈された。
まるで、最初からそう決まっていたかのように。
「エレノア・フォン・ヴァイスハイト、私は貴女との婚約を、ここに破棄します」
アルトゥールが冷たく宣告する。
予想していた展開。いや、以前から知っていたような展開。
「さらに、貴族の爵位を剥奪し、王都からの追放を命じます」
「アルトゥール様……!」
私は彼に向かって叫んだ。
「お願いです、話を聞いてください! 私は本当に――」
「もう、その声を聞きたくない」
アルトゥールは冷たく言い放つ。彼の瞳には、何の迷いもない。
それはまるで、台本を読んでいるかのように。
「エレノア。貴女は明日の朝までに、この王都を去りなさい。もしまた私の前に姿を見せれば、次は投獄も辞さない」
私の足が、震えた。これが、私の運命だったのか。
この世界で「エレノア・フォン・ヴァイスハイト」に与えられた役割。
悪役令嬢として、断罪され、追放される――それだけの存在。
「……わかり、ました」
私は項垂れて、その場を後にした。
背中に突き刺さる無数の視線。
耳に届く嘲笑の声。
「ざまあみろ」「当然の報いですわ」「あんな方、最初から王太子殿下には相応しくなかった」
…ああ、そうよ。
私は「悪役令嬢」なんだから。
嫌われて当然、断罪されて当然。
この世界は、そういう「物語」なのだから。
自室に戻った私は、ベッドに倒れ込んだ。
追放。明日の朝には、この王宮を、この王都を去らなければならない。
「……なんで、こんなことに」
呟いた声が、虚しく部屋に響く。
私は――エレノア・フォン・ヴァイスハイトは、何も悪いことをしていない。
ただ、彼の婚約者として振る舞い、公爵令嬢として生きてきた。
確かにアリアには冷たく接したかもしれない。
でも、それは彼女が突然現れて、アルトゥールの関心を全て奪っていったから。
嫉妬していたのは事実。
でも、殺そうとしたことなんて、一度もない。なのに…
「どうして、誰も信じてくれないの……」
涙が溢れそうになる。
でも、どうしても泣けなかった。
なぜなら、私は知っているから。
この世界が「物語」だということを。
私が「悪役令嬢」という役割を与えられていることを。
そして――アルトゥールもアリアも、ただの「登場人物」でしかないことを。
私は、この物語の中に転生してきた、転生者だ。実は前世の記憶がある。
前世は日本で生きていた、ごく普通の女子大生。
趣味は乙女ゲームと小説を読むこと。
そしてこの世界は、私が前世でプレイしていた乙女ゲーム『星降る夜の恋物語』の世界。
ヒロインのアリア・ローズが、五人の攻略対象と恋愛をする物語。
その中で、必ず立ち塞がるのが悪役令嬢エレノア・フォン・ヴァイスハイト。
つまり、それが私。
ゲームでは、エレノアは必ずアリアをいじめ、最後には断罪され、追放される。
どのルートでも、絶対に救われない――そういう役回り。
私は、そのエレノアに転生してしまった。
最初に記憶を取り戻したときは戸惑ったし、パニックになって取り乱していた。
でも、すぐに決意した。
「悪役令嬢にはならない。アリアをいじめない。そうすれば、破滅は避けられるはず」
だから私は、アリアが学園に入学してきた時も、彼女に優しく接しようとした。
「アリア様、ようこそ。何かお困りのことがあれば、遠慮なく仰ってください」
笑顔で手を差し伸べた。
でも、次の瞬間。アリアは怯えた表情で、後ずさった。
「ひっ……エレノア様……」
「え……?」
「お、お優しいお言葉、ありがとうございます……で、でも、私なんかが……」
彼女の反応が、おかしい。
まるで、もとより私を恐れているかのような。
そして、その日の夕方。
アルトゥールが私の部屋に来て、冷たく言った。
「エレノア。アリアをいじめるのはやめろ」
「え……? いじめてなんか――」
「お前が彼女に近づいたそうだな。威圧的な態度で、恐怖を与えたと聞いた」
「そんなこと、してません! 私はただ――」
「言い訳は聞きたくない。もう二度と、彼女に近づくな」
その日から、何をしても「エレノアの悪意」として解釈されるようになった。
廊下でアリアとすれ違っただけで「睨みつけた」と言われ。
授業で同じグループになっただけで「いじめるつもりだ」と噂され。
遠くから見ているだけで「監視している」と糾弾される。
何もしていないのに。
むしろ、自分から関わらないようにしているのに。
それでも、「エレノアは悪役」というこの物語の枠組みからは逃れられなかった。
そして今日…
階段でアリアが転びそうになったのを、咄嗟に支えようとした。
ただそれだけなのに、「突き落とそうとした」ことにされた。
それで理解した。
この世界は、「物語」に縛られている。
私が何をしようと、どんなに善良に振る舞おうと。
「エレノアは悪役令嬢」という設定は、変えられない。
アレクシスもアリアも、そして周囲の貴族たちも。
皆、物語の筋書き通りに動いている。
まるで…操り人形のように。
翌朝。
私は質素な旅装に身を包み、王宮を後にした。
見送る者は、誰もいなかった。
使用人たちも、冷たい視線を向けるだけ。
「悪役令嬢の末路」を見るような、そんな目。
馬車に乗り込み、王都の門をくぐる。
振り返れば、美しい白亜の王宮が遠ざかっていく。
ああ、もう二度と戻ることはないのだろう。
この先、どうなるのかはわからない。
ゲームの中では、エレノアは追放後すぐにフェードアウトする。
その後の人生は、描かれていない。
つまり、ここから先は…
「……私だけの、物語?」
小さく呟いた。
もう、乙女ゲームの筋書きはない。
もう、「悪役令嬢エレノア」として生きる必要もない。
ならば、これからは。
私は、私として生きればいい。
そう思った時、不思議な感覚が胸に広がった。
まるで、何かから解放されたような。
長い間縛られていた鎖が、ようやく外れたような。
「これから、どうしよう」
馬車の窓から、広がる景色を眺める。
王都を離れ、見知らぬ土地へ。
不安はある。でも同時に…
少しだけ、心が軽かった。
少し走った場所で馬車から降ろされた。
ふと振り返れば、国境の門も、今まで乗っていた馬車も、もう見えない。
霧がかった森の中、彼女はたった一人で立っていた。
地図に載っていない場所。物語に存在しない領域。
ここが、 私の追放先、物語から捨てられた者たちの、世界だろう。
少し歩くと森を抜けた。そこには小さな集落があった。
木造の家が十数軒、畑と井戸、中央に広場。質素だが整然としている。
集落の入口で、一人の男が腕を組んで立っていた。
「おや、新しい来客か」
男は肩まで伸びた銀髪を揺らし、エレノアに視線を向けた。
鋭い目つきだが、敵意はない。
「……ここは?」
「《無名領域》。物語に不要とされた者が辿り着く場所だ」
男は淡々と答えた。
「俺はディラン。元近衛騎士だ。まあ、"元"だがな」
「元……?」
「ああ。勇者に敗北した後、物語から消えた。お役御免ってやつさ」
ディランは肩を竦めた。
「お前もだろ? 悪役令嬢……いや、元悪役令嬢、か」
エレノアは息を呑んだ。
彼は笑わなかった。嘲ることも、憐れむこともなく、ただ事実として告げた。
「ここには、お前みたいな奴がたくさんいる。物語が終わって不要になった登場人物。途中で役目を終えた脇役。設定だけ作られて本編に出なかった存在。全員、"選ばれなかった者"だ」
「…………」
「まあ、悪い場所じゃないぞ。少なくとも、今までのように"役割"に縛られることはないさ」
ディランはそう言って、集落の中へ歩き出した。
案内された集会所には、数人の住人がいた。
片目に眼帯をした元将軍。
神官服を着た元聖女。
杖をついた老いた魔術師。
全員が、どこか疲れたような、それでいて穏やかな顔をしていた。
「初めまして。私はセラフィーナ。かつて"第一聖女候補"だった者です」
神官服の女性が微笑んだ。柔らかな金髪と、翡翠色の瞳。
「でも、ヒロインが選ばれた瞬間、私は候補から"いなかったこと"にされました」
「…………」
「あなたも感じませんでしたか? 自分の意思が通らないような、圧迫感」
エレノアは頷いた。
「ずっと、感じていました」
「それが物語の力です」
セラフィーナは静かに言った。
「あの世界は、物語によって支配されています。登場人物は役割に従い、筋書き通りに動かされる。悪役は断罪され、ヒロインは救われ、王太子は英雄となる」
「それは……運命、ということですか?」
「いいえ。"設定"です」
老魔術師が割り込んだ。
「運命は選べる。だが設定は選べん。
我々は"キャラクター"であって、"人間"ではなかったのだ」
その言葉が、エレノアの胸に突き刺さった。
私は、人間ではなかった。
そうだ。だから、何をしても無駄だったのだ。
どれだけ善行を積んでも、誤解を解こうとしても、断罪は避けられなかった。
なぜなら、"悪役令嬢は断罪される"という設定が、私が生まれるより先にあったから。
「じゃあ……私は、最初から」
「そう。あなたは"悪役"として生まれ、断罪されるために存在していた」
セラフィーナは少し悲しい顔をしながら、続けて優しく言った。
「でも、ここでは違う。ここには"物語"がない。だから、私たちは初めて"自分"として生きられる」
数日が経った。
エレノアは集落で暮らし始めた。
畑を手伝い、井戸の水を汲み、夜は焚火を囲んで他の住人と話をする。
誰も彼女を悪役令嬢とは呼ばず、彼女の名前を呼んだ。
それだけで、彼女の心は少しずつ軽くなっていった。
ある夜、焚火を囲みながらみんなで談笑をしているとディランが言った。
「最近、向こう側が荒れているらしい」
「向こう側……?」
「物語の世界さ。お前が追放された後、どうも調子が悪いらしい」
そう言った後にエレノアは、手に持ったコーヒーを一口飲むと、眉をひそめた。
「どういうことです?」
「魔物が増えた、ヒロインの加護が弱まった…原因は不明だが、俺には分かる」
ディランは静かに言った。
「それは悪役がいなくなったからだ」
「…………え?」
「物語ってのは、バランスで成り立ってる。光があれば影がある。
ヒロインがいれば、悪役がいる。そのバランスが崩れたら、世界そのものが歪むのさ」
セラフィーナも頷いた。
「あなたの役割…悪役令嬢は、世界の歪み、悪役としてのポジションを一身に引き受ける存在だったんです。
全ての不条理、矛盾、理不尽を背負って、断罪されることで物語が完結する」
「では……私が、いなくなったせいで……?」
「そう。あなたがいないことで、世界は不安定になっている」
エレノアは息を呑んだ。
(私がいないと、世界が壊れる?)
「だから、じきにあちら様から直々に迎えが来るだろうな」
ディランは手に持っていたカップを傍に置き、淡々と続けた。
「物語は、お前を取り戻そうとする。再び悪役として、舞台に立たせようとする」
「…………」
「その時、お前自身が選ぶことになる」
ディランの瞳が、エレノアを捉えた。
「また、役割に戻るか。それとも、一人の人間として生きるか」
翌朝、それは起きた。
集落の入口に、光の門が現れた。
まばゆい白光。そこから一人の人影が歩み出る。
そこから現れたのは王太子、アルトゥールだった。
「エレノア」
彼は真っ直ぐにエレノアを見つめた。
「戻ってきてくれ」
「…………」
「世界が崩れかけている。魔物が溢れ、民が苦しんでいる。君が必要なんだ」
アルトゥールの声には、焦りがあった。
「君は素晴らしい悪役令嬢だ。その役割を果たさなければ、物語は終われない」
「……私が、戻れば?」
「全てが元に戻る。君が再び断罪されることで、物語は完結し、世界は安定するのだ」
エレノアは静かに尋ねた。
「それは、あなたの意思ですか?」
「…………何?」
「あなた自身が、私に戻ってほしいと思っているのですか? それとも、物語がそう命じているだけですか?」
アルトゥールは言葉に詰まった。
エレノアには、彼の目に一瞬だけ迷いが浮かんだように見えた。
「……分からない」
彼はぽつりと呟いた。
「俺が何を考えているのか、何を望んでいるのか……本当は分からないんだ」
その声は、どこまでも空虚だった。
エレノアは深く息を吸った。
「私は、戻りません」
「エレノア……何故だ!」
「あなたは、王太子として私に命じている。でも、あなた自身は何も言っていない、思っていない」
エレノアは真っ直ぐに彼を見つめた。
「私はもう、役割を演じるのは終わりにします。
悪役令嬢でも、断罪される存在でもなく、ただの一人の人間として生きる」
「それでは、世界が――」
「そんな世界、壊れるなら、壊れればいい」
エレノアは静かに言った。
「役割ありきの物語の世界なんて、いらないわ」
エレノアがそう言うと、光の門が急に激しく揺らいだ。
同時にアルトゥールの姿が、薄れていく。
「エレノア……」
彼の声が遠ざかる。
そして、門は消えた。
エレノアは、その場に立ち尽くした。
「……これでよかったのか」
ディランが隣に立った。
「ええ」
エレノアは頷いた。
「もう、誰かの物語のために生きたくない」
「そうか」
ディランは小さく笑った。
「なら、お前はここでただのエレノアとして生きればいい」
それから、しばらくが経った。
エレノアは集落で暮らし続けた。
畑を耕し、家を修繕し、子どもたちに読み書きを教えた。
ある日、セラフィーナが言った。
「向こうの世界、少しずつ変わってきているみたい」
「……どういう意味ですか?」
「物語が、緩んできてる。登場人物たちが、自分の意思で動き始めてるらしい」
セラフィーナは微笑んだ。
「あなたがあの時、役割を拒否したことで、世界は変わり始めたんだと思う」
エレノアは空を見上げた。
澄んだ青空。雲がゆっくりと流れていく。
「……それなら、よかった」
彼女は静かに呟いた。
もう、"悪役令嬢エレノア"はいない。
ここにいるのは、ただの一人の人間、エレノア・ヴァルシュタイン。
称号も、役割も、運命も持たない。
ただ、自分の意思で選び、生きる一人の人間。
「……ねえ、ディラン」
「なんだ?」
「私、初めて自由って感じてる」
「そうか」
ディランは笑った。
「なら、これからはお前が自分で物語を作ればいい」
エレノアも、初めて心から笑った。
物語の外側で。
誰にも縛られない場所で。
彼女の新しい人生が、静かに始まっていく。
遠く、元いた世界では、少しずつ変化が起きていた。
王太子は、初めて自分の意思でこの世界と、アリアに向き合い始めた。
アリアは、誰かを悪と決めつけていた物語に、少しずつ疑問を抱き始めたようだ。
この物語は終わらなかった。
けれど、それは書かれた筋書きではなく、人々の選択によって紡がれる物語へと変わっていくだろう。
そして、エレノアはもう振り返らなかった。
彼女には、もう戻る理由も果たすべき役割もなかった。
ただ、明日を生きる。
それだけが、彼女の物語だった。
【終】




