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魔法使いマーブル【妄執】②

 土曜日の夜。

 マーブルは魔法学校の学長カルミアに呼び出された。


 カルミアは八五歳という老齢で、数年前から車椅子での生活となっていた。マーブルにとって魔法の師であり、公国にとっては御意見番のような立場にいる。


「失礼します」


 赤い屋根の屋敷は学校の敷地内にあり、マーブルはたびたび彼女の世話に訪れていた。

 しかし今夜はどこか様子がちがう。

 古く高級な調度品が、息を潜めているように感じる。


「いらっしゃいマーブル。こんな時間にごめんなさいね」


 客間で待っていたカルミアは穏やかな笑みで出迎え、魔法で淹れた紅茶を差し出した。

 

「いえ、お気になさらず」

「でも明日はデートでしょう? 準備に時間がかかるんじゃなくて?」


 せっかくの高級茶が、ひとくち飲んで吹き出された。


「なななななんでそれをっ!」

「みんな知ってますよ? いつも図書館で仲が良さそうにしてるって。年の近い司書の男性でしょう? 背が高くて穏やかで……どこか似てますね。ゼイン様に」


 サッと表情に落ちた影も、五年前よりずいんぶん落ち着いた。

 マーブルは小さく「そうですね」と呟き、紅茶を口に運んだ。


「さて今日呼んだ理由ですが、わたくしも引退のときが近づいて参りました。大公殿下には、次の学長は貴女をと言われています」


 しゃんと背筋を伸ばした姿には、歳を重ねたからこその分厚い誠意が宿っていた。


「わ、わたしですか!? で、でも、わたしはただの教師で、年齢も」

「ちがうでしょう? 貴女は魔王を倒した勇者一行のひとり。この世で唯一全属性の最上級魔法を操る、当代一の魔法使いなのですから」


 表情は柔和なまま、言葉には鞭のような厳しさがある。

 驚き戸惑っていたマーブルも、反射的に姿勢を正した。


「先生になるのが貴女の夢だったことも知っています。しかし貴女以外を認める者は少ないでしょうし、貴女以上に相応しい者はいないでしょう。わたくしもずいぶん年を取りました。マーブル、後継者になってはくれませんか?」


 深みのある声が耳に届き、胸に浸透していく。

 マーブルは深呼吸をすると、胸に手を当て深々と頭を下げた。


「わかりました。学長の任、拝命致します」


 カルミアは母性ある微笑みで頷き、魔力を込めて車椅子を動かした。


「ではこちらへ。学長の立場を引き継ぐにあたって、見せておかねばならないものがあります」


 客間を出て長い廊下を進む。

 突き当りに飾られた初代学長の像にカルミアが触り呪文を唱えると、像が後退し地下へ続く階段が現れた。


「これはっ」

「秘密の研究施設です。学長になるのであれば、ここの存在を知らなくてはなりません」


 壁に埋め込まれた魔石の光源は淡く頼りない。

 車椅子を浮かばせる魔法の光のほうが、ハッキリと足元を照らしてくれた。

 

 階段はかなり下まで続いていた。

 マーブルは地上の気配を感じられなくなり、小さな不安と寂しさを覚えた。


「研究って、なんの研究を?」

「魔法に決まっているでしょう……さあ、この扉の奥です」


 薄暗い中に不自然な白い扉が現れた。

 それを視界に捉えた瞬間、マーブルは人の歯を思い浮かべた。ギリギリと音を立てて口を開けた先には、目を疑う光景が広がっていた。


「すごい……」


 最先端の理論に基づきながら、伝統を踏襲した設備。

 公国でも類を見ないほど充実した装置の数々は、すべてが未知の魔力と魅力を携え、光を帯びている。

 

「そこの椅子にお座りなさい。貴女には説明するより、見せたほうが早いでしょう」


 部屋の中央に灰色の椅子が置かれていた。

 真上には魔石を散りばめたシャンデリアが吊られ、床に焼き付いた魔法陣はマーブルも初めて見るものだった。


「これは?」

「わたくしが開発した魔法陣です。気になるのなら早くお座りなさい」


 急かされるように座ると、カルミアは正面に置かれた水晶玉に手をかざした。


「……え?」


 魔力が流れた瞬間、目を疑うものが見えた。

 ――――黒い霧状の闇が、カルミアの魔力に混ざっていた。


「カルミア学、きゃあ!」


 立ち上がろうとした体を、椅子から生えた鋼の触手が縛り付けた。

 魔法陣が輝き出し、地下の空気を揺らして蝿の羽音と同じ音を出した。

 

「危ない危ない。まさか土壇場で気づかれるなんて」


 回った車輪が見せたのは、マーブルの知らないカルミアの顔。

 不敵で不気味な、欲にまみれた魔女の笑顔だった。


「カルミア学長っ、目を覚ましてください! その力は魔力ではなく瘴気ですっ! あなたは魔王の因子に操られているんです!」

「わたくしが魔王の絞りカスなんぞに操られるかぁ! 馬鹿にして……この魔力と施設はわたくしが人生をかけて作り上げたもの。我が誇りなのですよ!」


 両手を広げて見せつけたカルミアの魔力は、他の魔法使いと同様、鮮やかな紫色をしていた。

 けれど煌めく光の中に、揺らめく波紋の隙間に、漆黒の瘴気が我が物顔で蠢いていた。


(気づいていない……いや、カルミア学長野話が本当なら、瘴気は魔王が現れる前から)


 抱いていた仮説が揺らぎ、頭が思考を深めようとした。

 しかし荒ぶる魔力の波動が、激しい頭痛で意識を刈り取ろうとする。


「このっ、魔法はっ」

「マーブル。わたくしね、勇者一行のひとりになるのが幼いころからの夢だったの」


 カルミアは語りながら水晶玉を抱え、頭の高さに持ち上げた。


「でも勇者様がやって来たとき、この体は年を取りすぎていた……それに魔法の技術は補えても、貴女の貧相な体に秘められた膨大な魔力には敵わない。だからね、貴女たちが魔王退治に勤しんでいる間、わたくしはここに籠もって研究していたんですよ――――その体を奪う魔法をね」


 魔法陣の力が強まり、マーブルの頭と水晶玉を繋ぐ紐状の光が生まれた。


「これは魂を入れ替える装置。さきほど毒を飲みましたから、今夜のうちにこの体は息絶える。あぁ、明日のデートは安心なさい。これでも昔はモテましたからね。男っ気も生活能力も皆無な貴女より、ずっといい家庭を築いて」


 突然、大気が逆巻いた。

 魔法使いマーブルの魔力が暴れ出し、装置に抗い始めていた。


「馬鹿なっ。意識阻害で呪文など唱えられないはず。純粋な魔力の放出でこれほど!?」

「負け、ないっ!」


 マーブルは乱心の師を睨み、歯を食いしばった。

 魔王討伐の旅でも経験しなかった、絶体絶命の危機。その渦中にいてなお、天才の頭脳は先を見据えていた。


(瘴気の正体、毒、わたしたちに降りかかる厄災、文献の真実。すべて、すべて繋がった! ここで体を奪われるわけには……死ぬわけにはいかない……ジョシュアさんに知らせなくてはっ!)


 ゼインとゴウの死について、マーブルとジョシュアはとある仮説を立てていた。


 『死んだ魔王の瘴気による人々の暴走』


 しかし今、それが間違いであったと確信した。

 この世界には自分たちの想像を超えた、恐ろしい真実が隠されている。なんとかして伝えなければ、ジョシュアにも危機が迫るかもしれない。


 夢も恋もどうでもいい。

 ただ仲間の命のため、マーブルは決死の覚悟で力を放った。


「ゼインさん……ゴウくん……わたしに力をっ!」


 拘束の鋼線が次々に千切れていく。

 自由になった右手を、妄執に取り憑かれた哀れな老婆へ向けた。


「はあああああああああっうガッ――――」


 魔力の奔流があと少しで装置を壊そうとしたとき、頭に繋がる光に陰が混ざった。


 ドス黒い瘴気が、マーブルの中に入った。


「あっ、ガッ、はッ」


 体は力なく座り込み、嵐のような魔力は鎮まった。

 

 カルミアはなにが起きたのかわからないままほくそ笑み、離れゆく意識に身を委ねた。


 ――――そして。


「あぁ……これが若さ、これが当代一の魔力!」


 立ち上がり己を抱きしめるマーブルは、もう今までのマーブルではなかった。


「カル……ミア……」


 一方、倒れた老婆の口からは憎々しくも弱々しい声が漏れた。

 

「ありがとう、マーブル。この体は大事に使うから、そっちのボロをお願いね。さて、まずは明日のデートよねぇ。貴女、面白みのない真っ白な服を買ってたでしょう。ナンセンスだわ、情熱的な赤でなくっちゃ……いや、赤じゃないといけませんっ! 口調はこんな感じですかね?」


 新たな肉体を得たカルミアは舞い上がり、スキップをしながらかつての自分に背を向けた。


(まだっ!)


 マーブルの魂はその隙を見逃さなかった。

 カルミアの体に染み付いた熟練の魔力操作技術を利用して、最期の魔法を放った。


 けれどそれは、倒すためのものではなかった。


 マーブルは信じていた。ジョシュアなら、あの自分が偽物であると気づく。愚かな野望をきっと打ち砕いてくれると。

 

 問題はずっと先。

 勇者一行に訪れる呪いのような末路にある。


 自分が気づいたものを、おそらく辿り着いた真実を、なんとかして伝えたかった。


 ローブのポケットに入れていた、高速自動追尾式カラクリ伝書鳩。本来であれば手紙を持たせる木製の翼に、魔法で文字を焼き付けた。


「ジョシュアさん……どうか……あなた……だけは」


 薄れゆく意識の中、マーブルは遠ざかる自分の背中を見ていた。

 

 呟いた最期の言葉を聞いた者は、だれもいなかった。

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