魔法使いマーブル【妄執】①
街道で肌を撫でる風が本格的に冷たくなった。
北の大国、フリジア魔法公国の冬入りは早い。しかし首都を兼ねた学園都市には、温度調節の結界が張られ、一年を通して春の陽気に包まれている。丸く囲んだ城壁を隔てて、枯れ枝と満開の花が存在していた。
「では、今日の授業はここまでです」
教室で終業の鐘を聞いたマーブルはほにゃりと笑い、生徒たちの労をねぎらった。
小動物的な可愛らしさは、思春期の心に癒しをもたらすものだった。
「かわいい」
「とても魔王を倒した伝説の魔法使いとは思えない」
「なっ! こ、これでも二一才の立派な大人です!」
顔を真っ赤にしてムキになる姿もまた、生徒たちには癒やしの余興だった。
北の魔法学校はこの世界における魔法文明の中心地であり、各地に分校を持つ巨大な組織。公国の発展はここのおかげとも言われ、学長には大公と同等の権限を与えられている。
「さてと。図書館にいこうかな」
広場に出たマーブルは箒にまたがると、学園都市の空を滑らかに飛んだ。
図書館は公国に現存する最も古い建物で、重要施設として防護の結界に覆われている。
広い館内にぎっしりと詰まった書物は、魔導書はもちろん、小説などあらゆるジャンルを網羅している。書架は地下にまで続き、人類最古の文献まで保管している。
降り立ったマーブルは中へ入り、首から下げた教員証明紋を提示した。
古いインクと紙の匂いで歓迎を受け、愛用のとんがり帽子を脱いだ。
「こんにちは、マーブルさん。今日の授業は終わりですか?」
声をかけてきたのは、若い男性の司書。
通い詰めているうちに顔見知りになり、会うと軽い会話をする仲になっていた。
「こんにちは。試験範囲は終わったので、あとは冬休み前の試験に向けて、猛勉強と猛特訓ですっ」
「あはは、そりゃあ先生も大変になりますね。あっ、そうだ。いつもの調べもの、ぼくのほうでもいくつか役に立ちそうな本を選んでみました。お役に立てるといいんですが」
奥から運んできたカートには、古く読み応えのありそうな書物が積まれていた。
見ると閲覧許可に時間のかかる文化財指定の古書まであり、マーブルは目を丸くした。
「こ、これっ! わたしが申請したときは閲覧に一年かかると言われたのにっ! ど、どうやったんですか?」
「ぼくが去年、閲覧申請していたんです。マーブルさんのほうが必要だと思ったので、ぜひ読んでください」
「そ、そんな、悪いです」
「ぼくはただの興味本位ですから。それに閲覧可能なのは明日までなので、マーブルさんが授業してるときに読ませてもらいます。気にしないでください」
男は気恥ずかしそうに笑った。
背は高いが年齢はマーブルの一つ下。お人好しを絵に描いたような好青年の姿は、かつて憧れた勇者の背中を思い出させた。
「本当にありがとうございます。ぜひ、なにかお礼をさせてくださいっ」
「お礼なんてそんな。魔王を倒した英雄であり、当代最強の魔法使い様の役に立てたなら、それだけでじゅうぶん嬉しいですよ」
「ダメですっ。感謝は伝えられるだけ伝えておけ、恩は返せるときに返しておけというのが、尊敬する賢者さまの教えですから」
小さな体で胸を張り、マーブルはむふーっと息を吐いた。
「じゃ、じゃあ……今度ふたりで食事にいきませんか?」
なにを言われたのか理解するまで時間がかかり、マーブルは固まってしまった。
やがて脳がすべてを察すると、ボンッと顔が真っ赤に染まり、目を泳がせた。
「そそそそそんなのっ! おおおおお礼にならないのでは? ここここんな、ちんちくりんの女といっしょじゃ、見栄えもよくないでしょうしっ」
「そんなことありません! マーブルさんはとても魅力的です!」
声量の上がったやりとりに、多様な興味と真面目な不快感の視線が集まると、ふたりはそろって小さくなった。
「す、すいません。わたしったら」
「いや、ぼくのほうこそ……えっと、そろそろ仕事に戻ります。調べもの頑張ってください」
「あのっ!」
足早にカウンターの奥へ引っ込もうとした背中に、マーブルはまっすぐな声をかけた。
「今度の日曜日は……どうですか?」
身長差のせいで生まれる自然な上目遣いは、男心を舞い上がらせるにはオーバーキルな威力があった。
青年と別れ、マーブルは人目を気にして読書スペースの奥まった椅子に腰掛けた。
カートに積まれた書籍に手をかける前に、胸のポケットからきれいな便箋を取り出し、流れるような文字に目を通した。
『久しぶり、マーブル。返事が遅くなっちゃってごめんなさいネ。アタシは昨日、ダンワ王国に着いたところヨ。もう、いろんなところに招待されて疲れたワ。回復魔法を極めても自分の疲労が治せないなんて、賢者って損だと思わナイ?
あれからもう五年なんてネ。
ゼインの悲劇、ゴウの惨劇。どちらもアタシたちの心をえぐったけど、前に進むしかないのよネ。
あらやだ、ガラにもなく弱音吐いちゃっタ。でもマーブルにくらいいいわよネェ?
西の果てにはやっぱりなにもなかったワ。やっぱりあのとき、魔王は根城ごと消え去ってる。
アタシは年越しまでダンワ王国にいるつもり。ちょっと他にも気になることもあってネ。進展があったら教えるワ。
だから冬休みになったらこっちに来なさいナ。アタシにだけ弱音吐かせるなんてズルいわヨ?
じゃあ、待ってるワネ。
ジョシュアから愛と友情を込めて』
読み終えると、心がじんっと温まるような気がした。
手紙を通して懐かしい声が聞こえてくる。いつも気取ってるけど、本当はだれよりも優しくて頑張り屋で真面目。自分に厳しく他人に優しい、賢者の名に相応しい人。
何度も読み返した手紙を抱きしめると、大事にしまった。
今日は火曜日。日曜日まではまだ日がある。
根無し草な彼に手紙を出すため、高速自動追尾式のカラクリ伝書鳩を開発した。それを使って連絡を取れば、デートの日までに服装のアドバイスをもらえるかもしれない。と、マーブルは赤みの収まらない顔で考えた。
手紙――――それこそが仲間の死に沈んだマーブルたちの心に、火を灯したきっかけだった。
ラギリ村の惨劇から一年後の夏。
マーブルのもとへ、見知らぬ女性から手紙が届いた。
『はじめまして、マーブル様。突然このような手紙を書いて申し訳ございません。
私の父はダンワ王国で兵役に就いていましたが、先日病で亡くなりました。父はラギリ村の件で、最初に村へやって来たひとりでございました。ゴウ様のご遺体を最初に見つけた者でもあります。
そんな父の遺品を整理していましたら、個人的な手記を見つけました。その中にラギリ村でのことが書いてあり、これはマーブル様とジョシュア様にお見せするべきだと思い、勝手ながら送らせていただきました。
あの惨劇を思い出させるような行為を、どうかお許しください』
合わせて届いた手記に、マーブルは言葉を失った。
当時、無気力に放浪していたジョシュアを慌てて呼び出し、内容を精査した。
「……子どもたちの生存はゼインの技じゃナイ? ほら、邪竜が暴れた村でやってたでショウ。でもどうして……そうか、守護霊! アタシが仲間になってすぐ、ゴーストを倒すためにふたりで魂の一部を剣に宿してたのヨ! あいつらも忘れてたケド、それしか考えられない」
「そしてゴウくんから出ていた黒い魔力……おそらく瘴気です。だってそんなもの、この世にひとつしか存在しない。魔王の力しか」
「…………なにかありそうネ」
後日。ダンワ王国に保管されているゼインを刺したナイフを見にいった。
刃は錆びていたが、あのとき見たおぞましい黒は跡形もなかった。毒はナイフに塗られたままだというのに。
「あのとき感じた違和感のひとつがわかったワ……瘴気のせいで毒が変異していたのネ」
それからジョシュアは魔王城の状態を確認するため西の果てに。
マーブルは魔法学校に残り、膨大な資料を漁ることになった。
すべては真実を明らかにするため。
ゼインとゴウ。ふたりを殺した運命への挑戦でもあった。
「――――さて、やりますか」
そして現在。
ジョシュアのおかげで、魔王が復活したわけではないことが確認できた。
なら、今度は自分の番。マーブルは小さく気合を入れ、並んだ活字と向かい合うのだった。
「この本、文化財だけあって神話も原典に近いみたい……古代語のこの記述は……少し意訳してみましょうか」
偉業による特権のひとつで、マーブルは好きなだけ図書館を利用できる。
もちろん閉館時間が過ぎても例外ではなく、あの司書から差し入れのパンをもらい、日付が変わるまで没頭するのが日常となっていた。
この日も同じように時間が過ぎた。
そのうちジョシュアからデートへのアドバイスも届き、マーブルは落ち着かないが幸せな土曜日を迎えた。
その夜。
ある知らせが届くまでは。




