File05 -常連条例
ようこそ、よく来たね。
なんだい、私だってたまには出迎えるさ。
君がここに来るのは何回目になるやら……。
頻繁に来る所でもないんだが、すっかり常連になったようだ。
あまり深入りするのはオススメしないがね。
そうだ。常連と言えば、興味深い話があったな。
ちょうどいい。今日の話はそれにしよう。
タイトルは「常連条例」。
◇◆◇◆◇◆
世の中には様々な飲食店がある。
定食屋、小料理屋、仕出し弁当やチェーン店。
今回の話の舞台は、昔ながらの町中華。
老齢の店主が一人で切り盛りしているお店だ。
こぢんまりとした店で10人も入れば満席になる程度の広さだが閑古鳥が鳴くほどでもない。
それは、7割が常連客で埋まっているからだ。
面白い店主だから人が集まるか、といったらそういうわけでもない。
店主は偏屈なのか興味がないのか、黙々と調理と提供をしているだけなんだ。
だから聞こえてくるのは常連客の喧騒と、キッチンの調理音だけ。
常連とは不思議なシステムだよね。
"これ"といった明確な定義はなく雰囲気だけで成り立つ、いわば店と客との信頼関係。
だがそのお店には、常連としての明確な定義があった。
それは「週2回以上の来店が1カ月続く」というものだ。
いつからそう決まったのかはわからない。
変な話だろう?
一応言っておくと、店主が決めたわけではないよ。
むしろ店主は知らないくらいだ。
常連客の中だけに伝わる暗黙の了解。
常連客が従わなければならない条例。
ある種の強迫観念に囚われているように。
ただ常連客が一見客に厳しいかと言えば、そうではない。
むしろ親切すぎるくらいだ。
なにが美味しいだとか、
空調が良い席はここだとか、
セルフサービスの水を持ってきてくれたりとか。
まるで一見客に常連に"なってほしい"とでも言うような圧を感じるくらいだ。
そうして、いつしか一見客が一人常連になると、元居た常連客の一人は店に来なくなる。
来店がバッタリと途絶えるんだ。
いや、その人が消えるとかではないよ。
単純に店に来なくなるだけ。それだけなんだ。
ただ、常連でなくなった人はとにかく、その店を避けるんだ。
店がある道すら通らない。
異常なほどに徹底している。
常連が増えたら常連が減る。
いやぁ、まるで「七人ミサキ」のようだ。
知らない?なら後で調べてくれ。
……話を戻すが常連とは「決まり切った顔ぶれ。特に、その飲食店や興行場にいつも来る客」を指す。
あくまで個人の自由なんだし、行かなくてもいいんだ。
しかし漢字では「常に連なる」と書く。
終わりがないんだ。
常にあれと、連綿と続けと、そうあれかし、と。
いやぁ、もちろん語源としては違うんだろうけど、どうにも私にはそう思えてならない。
つまり常連とは終わらないことが前提だ。
そんな前提のシステムは本来すぐに破綻する。
だが、常連制度は確かに存在する。
行きたい時に行けばいい。
行きたくない時は行かなくていい。
それだけのはずなのに、集団心理がそれを許さない。
それはいつしか"行かなければならない"へ変わる。
店側としては嬉しいだろうけど。
最初に述べた通り信頼で成り立つものだが、そこに条例が組み合わさり、歪んだ信頼が築き上げられた。
……店に行って料理を食べる。
それだけの事に人はここまで腐心する。
不思議で、不器用で、愛おしい。
◇◆◇◆◇◆
今回は如何だったかな。
ん、タイトルの意味かい?
単なる言葉遊びだよ。
常連の "ん" が "い" になると条例だろう?
それに五十音最後が"ん"で終わりを示すのに、始まりの"い"に変わることで終わらなくなる……なんて。
こじつけだけれども。
始まりは"あ"だって?いろは歌として観てごらん。
うん。やっぱりこじつけだよね。
でもさ。
"ん" が "い"になる。
たったそれだけで楽しみから義務に変わる。
君にも覚えがないかい?
それこそ──ほんの些細な事で楽しかった物が義務感に変わってしまうことが。
さて、そんな条例を最初に組み込んだのは一体誰なのやら。




