File01 -存在しない事件記録
おや、珍しい。ここに新しい客人が来るとは。
ここに辿り着いたということは、君は"飢えている"んだろう。
飢えてると言っても即物的なものにじゃあない。
ここには不思議な話に飢えている人が来られるところなんだ。
私かい?
ふむ、名前なんてどうでもいいが──せっかくだ、「テラー」とでも呼んでくれ。
だが、それは重要なことじゃない。
君がここに来て話を求めている。それこそが最も重要なことさ。
それじゃあ、一つ話をしよう。
以前ここに来た君とよく似た客人から聞いた話だ。それはもう、実に詳しくね。
たしか名前は『中村・オットー・典明』だったかな。
さあ、始めよう。
あえて題を付けるなら「存在しない事件記録」というところか。
◇◆◇◆◇◆
警察にはある一件の未解決事件が記録されている。
事件は孤立したホテルで起きた連続殺人だ。
"陸の孤島"と化したホテル。そこで起こる連続殺人劇。
まるでミステリー漫画のような、古典的シチュエーションだ。
登場人物は8人。
それぞれを簡単に説明しよう。
1人目──トーマス・トリヴィア(47)。
悪名高い弁護士。どんな手を使ってでも依頼人を無罪にすることで知られていた。
2人目──中川奈々(19)。
短大に通う苦学生。バイトをしながら日々を食いつないでいた。
3人目──フェリス・フィンクール(18)。
中川と同じバイト先で知り合い、親友になった活発な女性。
4人目──クリストファー・クラン(29)。
整備士。無口で真面目だが、取り柄はそれだけという人物。
5人目──石動一成(33)。
フリーター。ズボラで借金を抱えていた。
6人目──イリス・イールゼット(21)。
就職活動の息抜きとしてホテルを訪れていた大学生。
7人目──オーレイン・奥田(51)。
裕福な専業主婦。贅沢なバカンスを楽しみに来ていた。
そして8人目──だが、
この人物だけは記録が曖昧だ。性別も年齢も、名前さえ不明。
なお、この事件では名のある7人すべてが犠牲者として記録されている。
つまり唯一情報のない8人目が犯人とされているわけだ。
共通点も何もない無関係な8人が、どうして同じホテルに集まったのか?
君は「無限の猿定理」を知っているかな。
猿にキーボードを適当に叩かせ続ければ、膨大な時間の果てにシェイクスピアの一節が現れるかもしれない……という話。
それと同じだ。
天文学的な確率でも、起こり得る、と考えられないか?
……納得できないか。
まあ当然だろう。私もこの話で君を納得させられるとは思っていない。
だが、煙に巻く気はない。
登場人物に共通点はないようで、ある。
それは、最後まで聞けば見えてくる。
よろしい、先に進めよう。
この事件は一人一人、順番に殺害されるといったものだ。
最初の犠牲者はフェリス・フィンクール。自室のバスルームで溺死したようでね。
暴れた形跡から、他殺と判断された。
その際に容疑者となったのが中川奈々だ。彼女らは親友だったからね。
孤立したホテルという閉鎖空間では認知も歪むというもの。
動機がないと中川は抵抗したが、結局はホテルの一室に拘束されたようだ。
そんな中、次の犠牲者が出る。石動一成。自室で撲殺されたみたいだ。
備え付けの置物で後頭部をガツンとやられた、と記録にはある。
疑わしい中川が身動きできない状況なのに、犠牲者が出たのは彼らにとっては衝撃だっただろう。
完璧に疑いが晴れた訳では無いが、中川は一旦開放された。
その矢先、次の事件だ。
クリストファー・クランがホテルの大浴場で感電死しているのが見つかる。
彼を突き落とし、むき出しの電線を大浴場に突っ込んだようだ。
ここまでで犠牲者は3人。しかもわかりやすく他殺だ。
生き残りたちは疑心と恐怖に飲まれていった。
残念ながら、ここから先の記録は少し抜け落ちている。
そうして、次の事件が起きる。
トーマス・トリヴィアがキッチンでガス中毒で死亡しているのが発見された。
口にガス管につながるホースを固定されてね。
指紋に限らず科学的な調査ができない中、やはり中川が怪しいのでは、という時。
矢継ぎ早に犠牲者が発見された。
イリス・イールゼットだ。ホテルの屋上から転落したらしい。
転落なら自殺も考えられる?
それはない、だってイリスの手足は縛られていたのだから。
残った3人の内、誰が犯人なのか。
誰もがなにも信じられないとバラバラになって行動したそうだ。
そうしたらオーレイン・奥田が犠牲となって発見された。後ろから縄で絞殺されたようでね。
そうなると、次は簡単だ。
犯人と目されている人物が中川奈々を殺害した。刃物で背中を刺されたことによるショック死。
そうして、謎の8人目だけが現場から消え、未解決事件として今に至る、というわけさ。
記録としては、そう残っている。
──だが、君はタイトルを覚えているだろう?
これは「存在しない事件記録」なんだ。
この事件の記録に登場するホテルも、7人の犠牲者も──
公的な記録には一切存在しない。
"消された"のではない。"最初から無かった"のだ。
では、なぜこんな記録が残っているのか?
その理由は、登場人物の名前を並べてみれば見えてくる。
犠牲者のファーストネームの頭文字を順に並べると──
F──フェリス
I──石動
C──クリストファー
T──トーマス
I──イリス
O──オーレイン
N──中川
そう──FICTION。
この事件は、虚構だった。
共通点もあっただろう? 犯人目線で見れば、明らかだ。
この事件そのものが、"虚構"であることを証明するための装置だったのさ。
◇◆◇◆◇◆
ふむ、なぜそんなことを?
その答えも"氏"から聞いている。
というのも、この事件の犯人こそが『中村・オットー・典明』氏だったのだから。
彼の名前の頭文字を並べてごらん。N、O、N──つまり「NON(否定)」。
FICTIONを「殺す」ことで、否定の象徴とした。
フィクションを否定し、事件をノンフィクション(現実)へと変えるために。
だが結局、これは「存在しない事件」だ。
現実にはなりえなかった。記録としてしか存在できなかった。
それでも君は、今こうしてこの話を"聞いて"いる。
……果たして、虚構は現実になり得るのか?
はたまた──現実こそが、最もよくできた虚構なのか。
考えても詮無いことだがね。




