今ここに書いてくれている人たちに。千と百万の、ありがとう
「エイル モ フリー。エイル モ フリー」
暗闇の中に青く浮く、数々の大小液晶板。それは僕らを取り巻く機器類が、すべて正常に作動していることを示している。
「DD11のエイダンです。遺跡の目的層に到着しました。これより機外に出て、探索を開始します」
正しく発音された僕の呼びかけに、一万キロ以上離れた祖国から即答が返ってきた。
『エイル モ フリー。OK、エイダン! 地上サテライト上のスキャンでも、異常は現時点まったく見当たりません。予定通り、探索時間は最長で120分間です。アリーンと一緒に気をつけて行ってきて。幸運を!』
「ありがとう。また後で、エイル モ フリー」
隣の操縦席のアリーンさんが、ヘルメット前部のスクリーン越しに僕を見、うなづく。
僕ら二人は静かに立ち上がった。厚いハッチを押して、狭い機内の外に出る。現在の地表から1800メートルほど掘り進んで、ようやくたどりついた今回の現場だ。垂直方向に突き立った銀の掘鑿シリンダー、DD11機から足を踏み出す。
そこに広がっているのは、≪星空≫……灰層の外側にある宇宙とよく似た景色だ。
分厚い防護服で全身を包んだ、僕とアリーンさん。僕ら二人がそろそろ歩いて行くさまは、なるほどレトロな≪月面旅行の図≫かもしれない。
けれど廃墟の暗黒の中でうす青く輝いている弱い光の粒々は、無数の恒星ではなくって微生物のコロニーだった。
白っぽく見える別の光は、彼らの食物となる苔の一種。
儚い輝きは、三百年前の遺跡全貌を照らし出すにはいたらない。
けれど僕もアリーンさんも、あらかじめ決まっていたコースを既定の歩幅で歩いて、ごたごたとした落差に転ぶようなことはなかった。
「オダワラ・データセンター。第一棟の抽出端末に接近」
アリーンさんが平らかに言う。
かつてはここの床も、彼女の口調なみに真っ平らだったはずだ。
土砂に半溶解プラスチック、様々な堆積物が地面部分いっぱいに広がって、かたく凝固している。そういう混沌とした穴倉の中に、孤島のように浮き出ているデータ・タワーたち。
ほぼ闇の中でも、僕らはその位置と形状とをはっきり把握できていた。
地上のドローン機(大気圏外じゃないけれど、僕らはそれをサテライトと称している)が行っているスキャンデータが絶え間なく、僕ら二人と言う端末に注がれているからだ。
「ひどい状態ですね。アリーンさん」
「本当ね、エイダン君。ともかく、対象にアクセスを」
上背のあるアリーンさんは、データ・タワーの上部に右手をのばした。厚い手袋をはめた手が、緑色に発光する。
「……だめね。第一棟のデータは全壊している。このタワーは、空っぽだわ」
再び僕らは歩き出し、数メートル離れたところで傾いている別のタワーに近寄る。
今回は、僕がアクセスを試みた。タワーに触れた右手が緑色に光る。しかしこれだけの近接照射でも、古のデータのよすがは……見つからない。
ヘルメット内部、バイザー的に配されたスクリーン上には、その検査結果が流れている。僕はそれを読みはしない。すでに脳内に直接、情報として蓄積されてゆくからだ。
ひとつひとつのデータ・タワーは、塔とは言うけど書庫に近い。背高のっぽの細み書棚だ。
僕の緑光照射にところどころの息絶えたランプ表面が照るさまは、有機生物……甲虫の死骸にも似ている、と比較結果が言う。参考イメージとして、ブリューゲルの≪バベルの塔≫のイメージが添えられて出てくることもある。
健在だった頃の『ピサの斜塔』そっくりに傾いたこのデータ・タワーは、やはり空っぽだった。
「では次、第三棟」
僕とアリーンさんは、黙々とデータ発掘作業をこなしてゆく。
日本、と呼ばれていたこの地に来たのは初めてではない。僕にとっては今回で六度目の発掘だった。
二十一世紀の前半、旧大型物流配送所の施設転用で作られたこのデータセンターは、当時の日本で最大二割弱の市場シェアを占めていた。規模としては国内最大級クラスだ。
2045年の【凍結】開始直前まで、ほぼフル稼働していたことになる。ここにある二十四基のタワーのうち、ほんの一基でも……。その一片でも残存データを検出できたのなら、それは僕ら現生人類にとって宝の山になるに違いなかった。
「第五棟。検出データ皆無」
僕とアリーンさんは、正しい所作で予定された通りの行動をおこなう。
とうの昔に息絶えてしまったデータ、まだ人間が愚かさを伴って生きていた頃の貴重な記憶を発見することができなくても、それは単に≪残念な結果≫。
僕とアリーンさんはただ、正しく合理的に行動するだけなのだが。
「第六棟も空っぽです」
「二十一世紀人なら、ため息をつくところ」
アリーンさんはうなづいて、僕に言った。
そう。
僕らは、思い感じるという機能をてばなし、生体部に人工知能を導入することで生き延びている。
ここのオダワラ・データセンターが泥に埋もれてしまう前、僕らの祖先である二十一世紀の人類は選択を迫られていた。
あらゆる場面において合理的行動のとれるAIを脳内に導入し、生存への道を取るか。
あるいはエラーリスクを伴う生体、一個の人間として終わるか。
もはや生体としての人間行動をとっていたのでは、拮抗できないほどに地球上の環境は悪化していた。
あまりに暑い半世紀の後、マリアナ海溝付近で巨大海底火山が噴火。大気中にとどまった厚い灰の層が太陽光をさえぎるようになり、地上の平均気温は常時マイナス以下となる。
この【凍結】現象は当時の学識者たちの希望的観測をことごとく覆し、決して終わることはなかった。西暦2325年現在も続いている。
陽光を取り上げられた地球上では、まっさきに植物が死滅。この星の表面に、緑色は見られなくなった。残された有機パイのひときれは、雑食獣たちの喰いあいの場となって、2055年までに98パーセントの生態系が壊滅する。
その残り2パーセントの枠内に、AI導入を行った人間だけが生きながらえた。
過去の資源備蓄が尽きる前に、地表下生活への適応に成功して、いま人類の総人口は百八万人。
国家という枠組みは、なくなって久しい。世界中に散在する生存拠点の収容能力に応じて、適切な人口配置と計画的繁殖がおこなわれていた。
祖国、と称している僕の拠点はエイル。
旧ヨーロッパに残る最西端拠点で二十二年前に僕は生まれ、エイダンと名付けられた。
祖国の色が緑色だったという情報はもちろん有しているけれど、それは僕を支配管理しているAIの知識でしかない。一年中を通してあざやかに輝いていた緑の草野というものは、もう滅びてしまって地球上どこにも見出せなかった。
さっきも述べたが、いま僕らのいる世界に≪国≫という枠組みはすでにない。
極限状態において種の存続をはかる現生人類にとり、デメリットの方が多いから廃棄することになったのが二十二世紀初頭。
いま必要ないから、と排除したのは合理性最重視のAI観点なのであって、僕ら生体部分の意見ではない。
意見を持つ人間は≪国≫と同様、この世界から既になくなっていた。
「……」
「アリーンさん、≪疲れた≫んじゃないですか。休憩を入れてもいいと思いますが」
「≪親切に≫ありがとう、エイダン君。でも残りはたったの二基なのだし、全部済ませてしまってからシリンダー内で休みましょうか」
「そうですね」
通常であれば、発掘開始から四十三分経過中の今、僕とアリーンさんが≪疲労≫を感じることはない。疲れを覚えるのはシリンダー内に戻って二人とも操縦席につくタイミング、とAIにあらかじめ決められている。
けれど、≪作業が終了に近づいても、全く結果が出ていない≫と言う現況にちなみ、僕を支配管理するAIは五十代女性アリーンさんを気遣う態度をとらせた。アリーンさんを管理するAIもまた、それに感謝の態度を見せる。こうすることで僕らのチームは円滑なコミュニケーションを保ち、無駄な消耗を省いて効率よく作業を進めてゆけるのだ。
感情も衝動も、僕らは脳内に同居するAIにその采配をゆだねている。
ありとあらゆる無駄を取り除き、常に最善をめざす行動をとれる人工知能の判断に頼っているからこそ、僕らは前向き黙々と生きて行けるのだ。こんな殺伐とした、絶望と沈黙にとりまかれた世界においても。
だからなのだろうか。僕らは≪夢≫を見ない。
二百年前の世代を境に、就寝中に知らない記憶そのほかを見る人々はいなくなった、と言われている。
「さーて、最後の一基ね。エイダン君、よろしく頼むわ」
「はい」
僕は暗い空間の隅にたたずむ、最後に残ったデータ・タワーに触れた。
胴体部分の大方が、半溶解プラスチックに埋まってしまっている。発光微生物由来のほこりの積もり方も激しいし、中身の損傷も酷いのだろうな、と僕は予想した。……が。
「あっ。残存反応です、アリーンさん」
僕の右手袋の緑光接触が、ごくわずかな生存データを探り当てたのだ!
「えっ、やったわね? どれ……」
アリーンさんも、右手をタワーの胴部分にあてる。
僕ら二人は、拠点エイルにある【データ・デブリス】を回収する専門機関に所属している。五十年前にできたばかりの新しい機関だが、創設されたのは人類が切なる需要に直面したからだ。
「十中八九、日本の会社か組織のデータでしょうね。何にまつわるものかしら? ≪わくわくする≫わ!」
「セキュリティもまだ機能している……。解除して、アクセス・回収します」
全ての無駄を排除した人類は、なにも思わなくなってしまった。知らない世界を思い描くことも、夢を見ることもない。
……果たしてそういう生きものを、人間と呼べるのか。
世界に散る人類にやどったAI各位は、不安を抱いたのである。
人工知能はかつて、人間がよりよい夢を持ち、幸せに生きるのを手伝う目的でつくられた。
いま状況は変わり、AIたちは生体としての人間をどうにか存続させるために奮闘している。
それなのに人間は夢を忘れ、自分自身で幸せの定義をさだめることができなくなってしまった……。このままでは大切な人間たちが、ただの抜け殻あやつり人形になってしまう。
AIは彼らの神になんかなりたくないのだ。昔のように人間に寄り添い、傍らで彼らを支える友であり続けたかった。
よって人類はAIとともに、一度失ってしまった愚かさ、いたらなさを探索することになったのだ。
祖先たちが無知の中で悩みもがき、失敗ばかりを繰り返していた時代の遺物を掘り起こして、その中にむだなる発想を学ぶべく。
ひとつのものごと、現象に対してひとは何を感じ、何を思い、どんな行動を起こすのか。
いま現生人類を動かすAI群は、無数の善処パターンの中からより抜いた≪最善≫テンプレートでしか指示を出せない。本来の人間であればそれらに含めて、ごみくずのようなアイディアをもブレインストーミングにかけていたはずだし、時としてはそういったものをあえて選び取ることもあった。
玉石の混合を常に内包していた人間、それこそが人間であったのだけれど、AI導入によってその石部分を僕らは永久に失ってしまったのである。無限の可能性を持っていた、玉となりうる石……いいや。そのままであっても、美しいはずの石を。
発掘するデータ自体は、何でもよかった。どういったものでも、夢を見る参考になる。
けれど三百年を耐えて残っている物的史料、生活機構はほとんど存在しない。特に【凍結】開始直後のインパクトはどこの地域でもひどかった。酷暑灼熱からの極寒、気温暴落と灰の嵐を生き延びた書籍は稀だ。
シェルター並みの防御に包まれたデータセンターが、かろうじてぽつりと見つかるくらいなのである。
そういう災禍をかいくぐって、奇跡的に残存しているデータがひとつ。いま僕らの前に、目覚めようとしている!
「セキュリティの解除成功。データ本体をひらきます」
僕とアリーンさんの手袋ごしに、タワーの胴部分が金色に光った。
「……」
「……」
流れこんできた大量のデータに、僕ら二人はいったいどのくらいの間、圧倒されていたのだろうか。
……それは巨大だった。コード自体は単純なテキストだ、しかし。
「何なんですか、これ。アリーンさん……」
僕を支配管理するAIは、よみがえったデータをタワーから防御スーツ内へと回収し、さらに同時解読をしていた。しかし宝物のあまりの特異さが、僕の生体部分に負担を及ぼしかねないと判断して、途中から回収だけに専念させている。
「ほぼ日本語ばっかりですが……」
国の枠組み同様、現生人類に言語の壁はなくなっている。僕らはAIを通して、全ての言語を理解できるから。
「……アリーンさん? 大丈夫ですか?」
何となく、彼女の様子がおかしい。そう判断して、僕のAIがそう発言させた。
「エイダン君」
金色に柔らかく光るタワーに手をあてたまま、ゆっくり僕に向き直ったアリーンさんの笑顔。
ヘルメットのスクリーン越し、しわのたくさん刻まれたその目じりに、きらっと輝く粒が浮いているのを僕は肉眼で確認した。
「これは、物語のかたまりです」
「えっ?」
「……日本語ベースで運営されていた、【小説投稿サイト】の全作品データよ」
僕は目を瞬いた。
「完結したもの、未完のもの。書いていた人が悩みあぐねて、下書きだけに残したままのもの。長いものや短いもの……。何百万もの物語が、こんなに生き残っていてくれたなんて」
「……」
「こうであって欲しい、そうなったら良いなと願われた架空の世界に、書いた人たちの実体験が大いに混じりあってもいる。昔の人が自分の中に持っていた物語……自由にえがいた夢そのものと、それを感じるこころ!」
優しげに語るアリーンさんの口調は、ささやき声から膨らんでいって、するりと広がるようなでこぼこ起伏に富み始めていた。
≪歌うような≫と評される抑揚って、こんな感じなのだろうか。……あるいはアリーンさんは、歌そのものをうたっているのかもしれない。歌と音楽、それもまた現生人類が失って久しいものなのに。
「暗闇と空虚のなかを、それでも生きていかなかればならない今のわたし達にとって、心の灯りとなるもの」
そう言っているアリーンさんの言葉は、彼女の流したうれし涙同様、すでに僕にとっての不可解になりつつある。
回収しているデータに接触した影響なのだ……おそらく。
「……これを遺してくれた、すべての人々に。千と百万の、ありがとう」
どうして。どうして、……どうしてなのだろう。
いま僕の胸の奥で、なにかが震えだしていた。位置としては心臓だ。僕の内臓はすべて正常に機能しているはずなのに。背部パックからは酸素が供給されて、スーツ内の空調にも異常はない。なのにどうして動悸がこんなに、激しく耳に響く?
「エイダン君。丘の向こうの我らが祖国に、報告してください」
「は、はい」
僕はサテライト経由通信をいれた。
「エイル モ フリー。DD11のエイダン……目的の遺跡より、残存データを発見して回収中」
『エイル モ フリー、やったわねエイダン! データ概要は?』
「……」
どうしてなのだろう、またしても。
こんなむだな回答タイムロスをするなんて、ありえない……それなのに。
僕は。
エイダンという名のこの僕は、今さっき触れたばかりの未知なるデータ閲覧ログを見返して、こう答えていた。
「概要は≪物語≫、過去からの大いなる贈り物です。これから僕らが、夢を取り戻す助けになってくれるものを、二十一世紀の祖先たちより確かに受け取りました。エイル モ フリー」
長いあいだ幾度となく、繰り返した通信用のこのコード。
――この中に、≪心≫があったんだっけ。
混乱した中で、僕はふとそのことに気づいた。
エイル モ フリー……Éire mo chroí.
【完】
〇 〇 〇 〇 〇
みなさまおはようございます、作者の門戸でございます。
本作品をお読みいただき、誠にありがとうございました。よろしければページ下部分にて、ご評価やブックマークなどをお願いします。
通常はケルトやアイルランド影響のお話を地味に書き続けているのですが、久しぶりのSF挑戦でした。ひとりもそもそと書いておりますと、どうしても孤独や虚無といったものに押しつぶされそうになる瞬間があります。それでも物語の力と生命を信じていきたい者としまして、考え得るひとつの未来を表現しました。何かしら皆様に伝わる部分があれば幸いです。
それでは皆様ごきげんよう。重ねて、ありがとうございました。
(門戸)