33. 騎士団長の背中
「目を覚ましたってな」
ドカドカと足音を立てながら入室してくると、ヘルマン団長はさきほどまでドロテアが座っていた椅子に、ドスッと腰掛けた。
「腹は減ってないか」
「いや……今のところは……」
「じゃあ、あとでスープかなんか持ってこさせる。食欲が戻ってきたら、肉を食え。たくさん食え。血を作れ」
「はい」
ものすごく雑な指示だが、団長らしい物言いが、ひどく心地よかった。
そして、団長の教えを守れなくてこんな事態になっていることを、申し訳なく思う。
「すみません、こんなことになってしまって。ご迷惑をお掛けしてます」
「いや、気にするな。いいこともあったしな」
「いいこと?」
俺が刺されたことで?
すると、ハッハー! と口を開けて笑ったあと、団長は意地の悪い声を出す。
「今回のは、キルク騎士団の失態だからな。だいたいあいつら、見通しが甘すぎるんだよ。五人くらいでなんとかなると思ってる時点でありえない。そのくせ、出しゃばってきたらしいじゃないか。だからな、なんと謝罪してきたぞ。当分、こっちに頭が上がらないだろう。それまでは、無理も通すし、こき使ってやる」
そして、くつくつと喉の奥で笑って身体を揺らした。本当に楽しそうだった。
たぶん、冗談じゃなくて、本気だろう。なんだか少し、キルク騎士団が気の毒になってきた。
「そういうわけで、お前はゆっくり休め」
「あ、ありがとうございます」
そう礼を述べてはみたが、なんとなく居心地悪くなって、口を開く。
「でも……」
「ん?」
これは本当に、キルク騎士団の失態だと言い切ってもいいものだろうか。
「でも俺、あいつと面識があったんです。何度も殿下に手紙を送ってきていて、何回も注意しに行ったのに。団長がいつも言う通り、こんなことになる前に止められたんじゃないかって」
「そりゃ、そうできれば一番良かっただろうがな。だが面識があったおかげで、最悪の事態は免れた」
「最悪……」
イサベリータ殿下に危害が及ぶこと。殿下だけでなく、他の被害者も出ること。
「今はあんまり気に病むな。どうすれば防げたのかは、考え続ける必要はあるがな。お前だけじゃない、騎士団全体で」
慰めてくれている。怪我人だからかもしれないが、声に優しさが含まれていた。
「あの」
「なんだ」
「あいつ……今、どうしているんですか」
苦しい、と顔と声を歪めていたあの男の行く末は気になった。
一歩間違えば、自分が行き着く先だったところにいる、男。
俺の質問に団長は、一度口元を引き結んだあと、ぼそりと答えた。
「王城内で拘束されている」
「どうなるん……ですかね、あいつ」
「王族を殺そうとしたんだ。どんな理由があろうとも、極刑は免れない」
予想通りの答えが返ってきて、俺は思わず目を閉じた。
彼が自分の望みを果たそうと果たすまいと、その結論は変わらないはずだ。
けれど俺がその結末を持って来たような気がして、落ち着かない。
「でも、団長。俺、あいつの気持ち、わからないでもないんです」
「……そうか」
ヘルマン団長は、なにも訊き返すことなく頷いた。この様子ではもしかしたら、俺のイサベリータ殿下に対する気持ちには気付いていたのかもしれない。
彼はガサツな態度が目立つが、その実、細やかな目配りができる人なのだ。だからこそ、騎士団長なんかが務まるのだろう。
優しい団長に、つい続けて零してしまう。
「だから俺とあいつとなにも違わないと思うのに、俺だけ助かるのはおかしい気がする」
「違う。あの男は殿下に危害を加えようとしていた。お前は殿下を守った。まったく違う」
焦るように早口で、団長は俺にそう言い聞かせてくる。
だが、それはあくまで、結果だ。
そこに行き着く過程で、どこかふと脇道に逸れてしまったら、俺もそちらに向かったのではないか。
俺の場合、ここまで幸運に恵まれてきた。
なにも持たない俺が、騎士団に拾われた。そしてイサベリータ殿下の側仕えとなった。奇跡と言ってもいい。
救われたか、救われなかったか。それだけの違いだ。
ヘルマン団長の腕が伸びてくる。まさかここにきてまたゲンコツか、それも目が覚めていいかもしれない、と身構えたら、その大きな手で頭をわしゃわしゃと撫でられた。
「よくやったな、エド」
「団長……」
「出来の悪い息子が、立派に成長したのを見届けたような気分だ」
そう褒めてから、ニヤリと笑った。
だとしたら、俺は素晴らしい育ての父親に恵まれたのだろう。愚痴を聞いてくれて、慰めてくれて、諫めてくれて、そして、導いてくれる。
この人は、最初の奇跡を連れてきてくれた人。
団長に拾われて、本当に良かった。道を踏み外さなくて、本当に良かった。
「出来の悪い、は余計じゃないですか?」
「うるせえよ。出来は悪いだろ」
憎まれ口に憎まれ口を返して、団長は椅子から立ち上がる。
そして俺を指さして口を開いた。
「早く現場に復帰しろ。こき使ってやるから。だから今は、いらぬことは考えずに休め」
「はい」
踵を返して部屋を出て行く団長の、その広い背中を眺める。
この人に軽蔑されない自分でいたいと、恥ずかしくない自分でいたいと、そう強く思った。




