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29. 人ごみの中で

 婚約の発表がなされてから、初のイサベリータ殿下の城外活動の日。

 ウォード騎士団では、ドロテアをはじめ、殿下の専属騎士五人全員を警護に出すことになった。さらに、専属でない騎士からも十人が追加だ。


「今日は、なにが起こるかわからん。多すぎるくらいでちょうどいい。たぶんキルク騎士団からも出すと思うがな」


 いつもの活動なのに、そんな大げさな、という顔をする騎士もいたが、団長は強い口調で続けた。


「先日のフロレンシア殿下の事件を忘れたか」


 フロレンシア殿下がハンネスタ王国に嫁ぐため、馬車で城外に出た瞬間、城門近くに集っていた一般庶民たちがわっと押し寄せたかと思うと、折り重なって倒れてしまい、怪我人が出たのだ。

 幸い、フロレンシア殿下の隊に影響はなく、人々の怪我もたいしたことはなかった。しかしそれはあくまで結果だ。大きな事件に発展していてもおかしくはない。


 とはいえ、それが起きたのは、第一王女であるフロレンシア殿下の、結婚のための旅路の始まりという、いわば一大行事でのことだった。

 対して、今回はいつも行っている城外活動だ。


「フロレンシア殿下の婚約発表から、日が経っていない。まだ城下の人間は浮かれているはずだ。なにもなければ、大げさだったと笑え」


 そうして、十五人もの騎士が殿下に付き従うことになったのだが、ヘルマン団長の言う通り、人々は浮き立っているように見えた。


 教会に併設されている養護院に慰問するため、馬車から降りて来た殿下の姿を認めると、一般庶民たちはいっせいに大声を上げる。


「おめでとうございます、姫さまー!」

「おめでとうございます、イサベリータさまー!」


 殿下がその声に応えるように小さく手を振ると、ますます歓声は沸き上がった。

 そのせいで、こちらに注意を向けていなかった人まで、なんだなんだと集まって来る。まっすぐに進むこともできない人だかりが、あっという間に出来上がっていく。


 これはまずい、と殿下の近くに駆け寄ろうとしたが、キルク騎士団の一人に止められた。


「今日は、こんな状態ですから。我々がお二人の近くを守ります」

「えっ?」

「城下は我々のほうが慣れていますからね。貴族出身の方々では、このような人ごみでの動きは鈍いのでは?」


 あっけにとられて、思わず呆然と見返してしまった。

 それをどう受け取ったのか、彼は鼻で笑うと、立ち去っていく。

 近くにいた騎士たちは、吐き棄てるように文句を口にした。


「なんだ、あれ」

「ずいぶん偉そうだな」


 いつものことではあるが、また険悪な雰囲気だ。


「こっちは十五人出してるけど、あっちは五人じゃないか」

「甘く見すぎなんだよ」

「大丈夫かあ?」


 大げさだよ、と不平不満を零していた騎士まで、そんなことを言っている。キルク騎士団を非難できるならなんでもいいらしい。


「……まあ、すぐ傍でなくとも警護はできますから。あちらは任せましょうか」


 昔、ヘルマン団長が言っていた。


『怪しいヤツはいるか、人が隠れる場所はあるか、どこか無防備になっていないか、常に目を配れ』


 今日は、その教えを守ることとしよう。

 もちろん他の騎士たちも、その団長の教えは叩き込まれている。すぐに俺の意見に同意した。

 しかし不満がなくなるわけではない。


「仲良くやるどころか、グリーブ家の長男と殿下が婚約したから、自分たちのほうが力が強いとか思ってるんだろ」

「やっぱり、あいつらと仲良くするなんて無理じゃないか?」

「でも、戦場で背中から刺されないように、ある程度は妥協したほうがいいかもしれません」

「むしろ俺たちのほうが刺しそうじゃないか?」


 ハハハ、と笑いが起こる。冗談に聞こえなくて、もし俺も戦場に行くことがあったらやっぱり背中に気を付けないと、なんてことを考えていると。


 ふと、人ごみの中に見知った顔を見つける。


「あいつ……」


 イサベリータ殿下への手紙の内容が酷くて、何度か釘を刺しに行った男だった。

 まったく、殿下に近寄るなとあれほど言ったのに。まるで効果がなかったらしい。


「殿下によく手紙を書いている男がいました。俺、ちょっと注意してきます」

「ああ」


 他の騎士にそう伝えて、男に向かって歩き出す。


「ちょっ、ちょっとすみません」


 人ごみの中を縫うように歩く。なかなかたどり着けない。人々は、イサベリータ殿下とその婚約者の姿を一目見ようと興奮気味で、俺のために道を開けようだなんて誰も考えていない。

 それでもなんとか進み、あと少しでたどり着くかというとき。


「どうして……」


 ぼそりと口にする、男の声が聞こえた。


「どうして待っていてくださらなかったんですか」


 どういう意味だ? と疑問に思ったのと同時に、思い出す。


『いつかあなたを迎えに行くことをお許しください』


 あの手紙。俺がまだ騎士になる前に、ドロテアと一緒に見た手紙。

 まさか、あれはあいつだったのか。


『『あなたを殺して自分も死ぬ』なんてものがあったらどうする』


 血の気が引く。身体中の体温が奪われるかのように、指先が冷たくなってきた。


「すみません、前を開けて」


 慌てて人ごみを搔き分けるが、「なんだよ、押すなよ!」と罵声を浴びせられるだけで、なかなか前に進めない。

 あたりの様子を窺うが、誰も男がフラフラと歩いていることを、気に留めていないようだった。


 しかしそのうち、そこにいた一人が、視線を下に移した瞬間に、ビクッと後ずさったのが見えた。


 男が、なにか持っている。

 それも、後ずさるようななにか。

 まさか、刃物……? 本当に?


「えっ」

「うそ」

「なに?」


 男に気付いた人たちは、短い声を上げて立ち竦むばかりだった。


『人間、なにか起きると一瞬、動けなくなるものなんだ』


 ドロテアが言う通り、男を見た人々は動けなくなってしまっている。そのせいで、男の前に道ができつつあった。

 これは本当にまずい状況なんじゃないか、と背中に冷や汗が流れるのを感じる。なんとしても男を止めなければ。


 これは男に向かうより、殿下の前に行くほうが早いと判断して、方向転換を試みる。まだそちらのほうが人の流れに沿っているから、きっと間に合う。

 同時に自分の胸ポケットを探った。首からネックレスと一緒に笛が掛かっていて、先が胸ポケットに入っているのだ。


『死ぬ気で吹け』


 いつか、さんざん練習させられた。

 笛先を口に含むと、思いきり息を吹き込む。ピーッと澄んだ音が喧騒の中に消えていくが、何人かの騎士は気付いたようで、こちらに視線を向け、慌てたように動き出した。


 頼む、誰か、間に合ってくれ。

 祈りながら、足を進める。


 前方を見てみれば、養護院の入り口にも人だかりができている。その人だかりが殿下の足を止めていて、中に入れなくなっているのだ。イサベリータ殿下がいる場所の周辺は、キルク騎士団の騎士たちが何人かで人々をせき止めている様子で、ぽっかりと空間ができている。だが騎士が隙間なく人々の前に立ちはだかっているわけではないだろう。だってキルク騎士団からは、騎士は五人しか任務についていない。隙間から抜けようと思えば抜けられるはずだ。


 男があそこにたどり着く前に、止めなければ。

 強引に人を搔き分け、なんとか男より先に人ごみを抜けると、同時に男のほうに駆け出す。


 キルク騎士団の騎士たちは、なぜ俺がやってきたのかわからないようで、ポカンとこちらを眺めていた。

 くそ。こんなことなら任せるんじゃなかった。


 男もようやく人ごみを抜けたところだった。俺はなんとかその前に立ちはだかることができた。


「またお前か」


 彼はそう呟く。


「いつも僕の邪魔をする」


 自分の身体を見下ろしてみれば、俺の脇腹に、深々と彼の持つナイフが刺さっていた。

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