24. お茶会のあと
イサベリータ殿下以外の王子王女が立ち去ったあと。
「行くぞ!」
手首をドロテアにガッシリと掴まれる。
「えっ」
「冷やさなければ。すまないが、イサベリータ殿下を頼む」
残っていた他の騎士にそう声を掛けると、第二王子の騎士の一人が頷いた。それを確認して、ドロテアは早足で歩き出す。
「えっ、ちょっと」
「とにかく来い!」
ズルズルと引きずられるようにして、足を動かす。
振り返るとイサベリータ殿下が、泣きそうな顔をしてこちらを見つめていた。
◇
引きずられて連れて行かれた先は、お茶会会場の一番近くにある井戸だった。
「しゃがめ!」
命令口調の指示には従うように身体が出来ている。その場ですぐさま屈み込む。
ドロテアは滑車に掛かっているロープをものすごい勢いで引っ張ると、出てきた桶を掴み、なにも言わずに中の水を俺にぶっかけた。
「うわっぷ! ちょ、ちょっと待っ……」
「我慢しろ!」
服を着たまま、頭から井戸水を掛けられる。酷い。それを何度も繰り返されて、溺れそうな勢いだ。
水を掛けた何回目かに、荒い息を何度もしながら、ドロテアは俺に問うてきた。
「脱げるか? 痛かったら言え」
「脱げますよ……」
立ち上がるとずぶ濡れになった上着を脱いで、さらにシャツも脱いで背中を見せる。ドロテアは上半身裸になった俺の身体をまじまじと見たあと、ほっと安堵の息を吐いた。
「火傷にはなっていないようだな」
「はあ……」
この人、俺のこと、男だと思ってなさそう。
やり方は手荒かったが、どうやら処置をしてくれたらしい。ありがたいことだ。優しかったらもっと良かった。
苛立ちをぶつけるように、桶を井戸の中に荒々しく投げ込むと、こちらに身体を向けて、ドロテアは厳しい声を掛けてくる。
「動くな、と以前言っただろう」
どうやら次は、説教らしい。俺は足を揃えて直立すると、胸を張って答えた。
「ですが、あれは襲撃と判断しました」
「まあ、そうだな」
ドロテアはさっくりと肯定すると、井戸の端に浅く腰掛ける。
そしてこちらに首を向けて、柔らかい笑みを浮かべた。
こんな顔、見たことない。少しばかり感動してしまった。
「反射的に動けるのは、才能だな」
「そ、そうですか」
珍しく褒められた。こそばゆい。
「確か以前も……イサベリータ殿下のお披露目舞踏会だったか、そのときも動けたと聞いた」
「ああ……」
あれか。倒れてきた殿下を身体で受け止めた。
「人間、なにか起きると一瞬、動けなくなるものなんだ。だから一歩遅れる。その一歩が命取りになる。騎士は、それを訓練で補う」
俺に言い聞かせるかのように、そう語る。授業の一環かもしれない。
しかし次に、どんよりと沈んだ声が発された。
「なのに私は動けなかった。情けない……」
ドロテアは真剣に落ち込んでいる様子だった。
今日は珍しい表情の連続だ。居心地が悪くなって、なにか声を掛けないと、と慌てて口を開く。
「あ、でも、俺の位置からはよく見えたし」
すると、ドロテアはなぜか眉を顰める。
「エドアルドに慰められるとは……私も堕ちたものだ……」
そう呟くと、がっくりと肩を落とした。
まあまあ酷いと思う。
◇
濡れた制服を着替えてイサベリータ殿下の部屋に行くと、彼女は座っていたソファから勢いよく立ち上がり、こちらに駆け寄ってきた。
「エド、大丈夫だった?」
「ご心配をお掛けして申し訳ありません。大丈夫です。たいして熱くもありませんでしたし」
いや本当のところは、けっこうな熱さだったわけだが、それをわざわざ口にすることもないだろう。
しかしそれを察したのか、イサベリータ殿下は目を伏せる。
「わたくしが、上手くいなせなかったばかりに……」
どうやら責任を感じてしまっているようだ。そもそもイサベリータ殿下はこれっぽっちも悪くないのに。これはいけない。
「い、いえ、そんなことはありません。むしろ俺がもっと上手くできればよかった話で。どうか、お気になさらないでください」
「ええ……」
あわあわと言葉を重ねてみせるが、納得できないのか、イサベリータ殿下は目を伏せたままだ。
もしここで気に病んでしまったら。殿下はまた、ずっと俯いたままなのだろうか。
それは嫌だ、と思う。
きっと勇気を出して反撃したのだろうに、こんなことでつまずいてしまうなんて、悲しすぎる。
「あの、殿下」
俺の呼びかけに、殿下はゆっくりと顔を上げた。その表情には笑顔のかけらもない。俺のことで、こんな顔をさせてしまうだなんて、あってはならないことだ。
だから俺は続けた。
「その、俺は、反論された殿下を見て、かっこいいと思いました」
「……かっこいい?」
殿下は上目遣いでこちらを窺う。
これは本心だ。きっとビルヒニア殿下も、だからこそ癪に障ったのだと思う。
「はい、かっこよかったです」
大きく頷くと、殿下は泣きそうな顔で、でも弱々しくも微笑んだ。