23. 第一王女のお茶会にて
その日は、フロレンシア殿下主催の、王子王女たちのお茶会が開かれていた。
今日は六人の殿下たちが集まっている。
アルトゥーロ殿下は残念ながら参加しておらず、第二、第三、第四王子、そしてもちろんフロレンシア殿下と、それから第二王女であるビルヒニア殿下がいた。
相も変わらず、イサベリータ殿下のことはまるで眼中にないとでも言いたげに、五人は話に花を咲かせていた。
やることが陰湿だよなあ、とは思うが、もちろん表情は動かせない。隣にいるドロテアも、当然、無表情のままだ。
いつもと変わらずこのやりきれない時間を過ごして、そうしてお開きかと思ったとき、フロレンシア殿下がイサベリータ殿下に声を掛けた。
「イサベリータ、あなた最近、グリーブ侯爵家のご子息と親しくしているのですって?」
それは本当だ。
あれからミゲルさまは、夜会でも積極的にイサベリータ殿下をダンスに誘う。夜会以外でも、教会への慰問に行くからご一緒に、と申し出たりもする。
傍から見ていても、イサベリータ殿下に好意を持っているのだろう、と簡単にわかるくらいだ。
殿下はすべてに付き合っているわけではないようだが、教会には養護院が併設されていることも多く、そこへの慰問は断る理由もないようで、時間の合うときには足を運ぶようにしている。
急に話を振られて驚いたのか、イサベリータ殿下は慌てたように顔を上げると、はい、と戸惑うような小さな声で答えた。
「ミゲルさまは教会と懇意になさっている方ですし、お話を伺うのもいいかと」
「そうね、王家と教会の関係を、友好的にしておくのは良いことだわ」
フロレンシア殿下は、あっさりと同意した。
しかし続ける。
「けれど、邪推されるような行動は控えることね」
邪推。この場合、間違いなく、男女の関係のことを指しているのだろう。
でも、殿下たちは二人きりで会うわけではない。どちらにも騎士が控えていて、仲の悪いキルク騎士団とウォード騎士団の騎士が、互いに牽制しながら守っているのだ。
このフロレンシア殿下の言い方では、耳にした者が誤解するよう誘導しているみたいに聞こえる。底意地が悪くないか? と苛立ちを感じていると。
「ミゲル・グリーブさまといえば、貴婦人たちの間でも評判の殿方ですわ」
第二王女、ビルヒニア殿下まで口を挟んできた。
「そんな方まで侍らせているなんて、母親譲りの美貌とは、本当に素晴らしいものだこと」
そう口にして、ほほ、と口元を隠した。
フロレンシア殿下はそれを聞いても澄ました表情のままだ。他の王子たちは、やはり困ったように眉尻を下げて、苦笑いを浮かべている。
だが。
イサベリータ殿下は膝の上でぎゅっと拳を握り、俯いたままでいるかと思いきや、パッと顔を上げて口元に弧を描いた。
「ビルヒニアお姉さま、それを邪推と言うのですわ」
「な……」
第二王女は口を開けたまま固まってしまっている。
いつもとは違い、突然に反論した殿下に、皆の注目が集まっていた。
イサベリータ殿下はそれに構わず、背筋を伸ばして続ける。
「そのような推測はミゲルさまにも失礼ですし、少々、はしたなくもありましてよ」
その深い海色の瞳で、じっとビルヒニア殿下を見つめている。
その目の力に負けたのか、ビルヒニア殿下はブルブルと身体を震わせ、そして大声を上げた。
「なんですって!」
第二王女は、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がる。
「お前、愛妾の子の分際で、この私になんてこと……!」
急に罵声を浴びせられたイサベリータ殿下は、蒼白になって固まってしまっている。言い過ぎた、と後悔しているに違いない。
それからビルヒニア殿下は、すっと腕を動かした。その指は、さきほど紅茶が淹れられたカップに向かっている。
それを見た瞬間、反射的に身体が動いた。
王子王女たちは、誰もが身動きしないままでいる。騎士たちも一瞬、ビクリとはしたが、足までは動いていない。
なんでだよ。これは動かないといけないところだろう?
『絶対に口を開いてはいけないし、動いてもいけない』
騎士見習いの頃から、ドロテアにさんざん言い聞かされたことは、ちゃんと覚えている。
でも今はダメなんじゃないのか。黙って見ていろって? それは無理な相談だ。
いつかヘルマン団長が言っていた。
『襲撃でもされれば別だがな』
そうだ。これは、イサベリータ殿下に対する襲撃だ。
俺は間違っていない。
イサベリータ殿下の傍に滑り込むように走り寄り、殿下が腰掛けている椅子の、両の肘掛けをそれぞれ掴んだ。
その途端に、背中にバシャッと紅茶が掛けられる。
「あっつ……」
思いの外、熱かった。
ポットに淹れられた紅茶をさらにカップに移したものだから、そうでもないと予想していたのだが、これを殿下が浴びていたらと思うとゾッとする。
イサベリータ殿下は俺を見上げて、口を半開きにして、目を何度も瞬かせていた。
「殿下、お怪我は」
そう声を掛けると、はっとしたように殿下は返してくる。
「だ、大丈夫よ、一滴だって掛かっていないわ」
その返答を聞いて、ホッと安堵の息が漏れる。
すると背後で、はあ、と大きなため息が聞こえた。フロレンシア殿下だった。
「ビルヒニア、落ち着きなさいな」
「フロレンシアお姉さま……!」
「今のは、イサベリータのほうが正しくてよ」
「お、お姉さま……?」
「わたくしも、少々下品ではないかと思っていたの」
よく言うよ、と口の端が上がる。
それからフロレンシア殿下は、「それに」、と続けた。
「イサベリータの顔に火傷跡でも残ったらどうするつもりなの? ビルヒニア。あなた、責任が取れて?」
その非難に、ビルヒニア殿下が息を呑んだのがわかった。
なるほど。イサベリータ殿下の美貌は王家の財産でもあるから、そこの心配をしたようだ。非情な考えだと思うよりも、さきほどの言葉よりはフロレンシア殿下らしい発言だな、と妙に納得してしまった。
俺はいつまでもイサベリータ殿下に覆い被さるような姿勢でいるのもおかしいので、肘掛けから手を放し、踵を返すとテーブルに向かって頭を下げた。
俺の立場では、これ以上は口出しできない。
しばらく呆然と立ち竦んでいた第二王女は、手に持った空のカップをテーブルに戻すと、すとんと腰を下ろしてから口を開いた。
「も、申し訳ありません……」
第一王女の不興を買ってしまったと思ったのだろう。ビルヒニア殿下は素直に謝罪の言葉を口にした。謝る相手は第一王女らしいが、屈辱なのか声が震えている。
「興が冷めたわ。今日はお開きにしましょう」
フロレンシア殿下が立ち上がると、他の王子王女もそれに倣って立ち上がる。
最後にビルヒニア殿下が席から立ち、悔しそうに歯噛みしながらも、イサベリータ殿下に向かって深く頭を下げた。