21. 次期侯爵 その1
叙任式が終わったあと、イサベリータ殿下は他の騎士に囲まれて、あっという間に去っていった。本当に忙しいときに来てくれたのだろう。
ちなみに、ヘルマン団長はグズグズと鼻をすすりながら泣いていた。ついでに、振る舞われた酒を誰よりもグビグビと飲んでいた。この不良中年め。
ドロテアは難しい顔をして、「これでいいんだろうか……」と腕を組んで唸っていた。
ラモンはなぜか、大笑いをしていた。
「最後にいいもの見れたよ」
そう俺の肩を叩いて、翌日には実家に帰ってしまった。
そうして俺の、騎士としての生活が始まる。
けれど正式に騎士になったからといって、自分の仕事は特に変わることはなかった。
変わったことといえば、任務中は常に腰に剣の重みを感じるようになったことくらいだ。
ラモンから引き継いだ剣。いつでも彼が俺を見守ってくれていると思うと、心強かった。
それから、他の騎士が殿下に侍っているときには、あの嫌な手紙の検閲なんかもやっている。
『他の男のものになってしまう日が来るのかと思うと、嫉妬でこの身が焼かれるようです』
はあー、と大きく息を吐く。
これは危ない。釘を刺しにいかないと。
そんなわけで、他の男性騎士とともに城下に出掛ける。
女性騎士だと、下手に話を聞いて宥めると、騎士自身に好意を向けられることがある、というなんとも歯痒い理由があるので、男性に限るのだ。
差出人の家に向かい、多少威圧的に牽制すると、グダグダと暴言を吐かれるものの、たいていは一度でもう手紙は来なくなるし、まとわりつくこともなくなる。
もしかしたらこの腰の剣が、『威嚇用』として機能しているのかもしれない。
しかし、そう簡単にいかないこともある。
「だって手紙は、姫さま本人は読んでいないんでしょう?」
「あれはさすがに殿下に渡せない。ちょっと冷静に考えてみよう。な? お前が書いた手紙は、少しばかり行き過ぎて……」
「だったら、わからないじゃないですか。渡してくださいよ、そうしたら姫さまだってきっとわかってくださる」
「いや、だからね、急に距離を詰めると殿下も驚くだろう? だから、ああいうのじゃなくて、一歩引いて……」
「なんで僕の邪魔をするんですか。あっ、わかった、お前たちも姫さまが好きなんだ。だから周りに近付く男を排除したがるんだ。職権乱用だ! むしろ姫さまが危ない!」
今日も今日とて、押し問答だ。ごっそりと気力を奪われる気がする。
「ダメだ、全然言葉が通じていない気がする……」
最後には、あまり殿下を怖がらせないように、と注意して、なんなら牢屋にブチこむぞ、と軽く匂わせながら、手紙を出したり近付いたりすることをやめるようにと言い含めて、なんとか頷かせたのだが……あの様子ではたぶん、一週間程度でまた同じ内容の手紙が届く。
一緒に行った騎士も、ため息交じりだ。
「フロレンシア殿下やビルヒニア殿下付きのヤツらに訊いてみたんだが、ないわけではないが、ここまでではないそうだ」
「イサベリータ殿下だけ、こんなに酷いんですか?」
「そりゃ、あれだけ美女なら憧れる男も多いんだろう。なんか惹きつけるものがあるんだろうな。あと、王族とはいえ母親が平民だから、妙な親近感がある気がする」
「なるほど……」
完全な王族となると、あまりにも遠い気がして近寄ろうとも思わないが、平民の血が混じると、もしかしたら、と思ってしまうのかもしれない。
イサベリータ殿下が一般庶民からの人気が高いのも、それがあるからというし、その考察は間違っていないような気がした。
けれどそんな話を聞いているうち、なにかが心に引っ掛かって、胸の内を傷つけるような感触がする。
忘れるな。
ときどき、自分を諫めなければならないときがあるのが、苦しい。
◇
仕事を終え、騎士団の宿舎に向かって歩いていたときのことだ。
向かう先の廊下の端に、一人の男性が壁にもたれて立っていた。なにかを待っている様子だ。
見たことがある。確か、グリーブ侯爵家の長男だ。ミゲルと言ったか。スラリと背が高い、なかなかの色男だ。
グリーブ侯爵家は、教会直轄の騎士団、キルク騎士団の最大の出資者で、信仰心の篤い一族と評判だが、単純に既得権益が目的なのではとも噂されている。
イサベリータ殿下が出席する夜会などにも参加しているのを、何度か見かけた。だから見覚えがあるのだ。
「やあ」
そのミゲル・グリーブは、爽やかな笑みを浮かべ、俺に声を掛けてきた。
まさか俺に用があるのだろうか。まるで心当たりがない。
次期侯爵閣下を前に、俺は直立不動の姿勢を取る。
すると彼は、笑顔はそのままに、こちらに問うてきた。
「君、イサベリータ殿下の騎士だよね?」
「はっ」
姿勢を崩さないまま、そう応じる。
「ああ、楽にしてもらっていいのだけれど」
「いえ、ありがたいのですが、お気遣いなく」
楽にして、と言われて、では、と力を抜くわけにもいかない。彼もそのあたりのことはわかるのだろう。苦笑を浮かべるだけだった。
「少し、話をしてもいいかな」
「構いませんが……」
職務中ではない。特に用事もない。いわば自由時間だ。
しかし一介の騎士に、侯爵令息がなにを話すことがあるというのか。
もしかしてお叱りでも受けるのだろうかと身構えたが、彼は目の前の窓枠に両腕をついて廊下の外を眺めながら、口元に弧を描いた。