19. 騎士叙任式のはじまり
騎士叙任式は、前日から準備が始まる。
俺にとってはイサベリータ殿下に仕えるための儀式だが、実際のところはクルーメル神に対する忠誠を誓うもので、まずは王都に近い教会に一日、泊まり込む。身を清めたら、俺は徹夜で祭壇に向かって祈りを捧げなければならない。
ドロテアが、儀式用の真っ白い騎士の衣装を用意してくれた。それを翌朝、ヘルマン団長が身に着けさせてくれるそうだ。
俺は、一人でここまで来られたわけではない、と強く思う。
祭壇の上には、すでに俺のための剣が捧げられている。ラモンが言うところの、「あれは飾りだ」という剣だが、確かに柄のキラキラした装飾も、鞘の革の厚みも、腰に下げたら重そうだな、という代物だった。
それが明日、司祭の手によって、俺の元にやってくる。そうして晴れて、正式に騎士となるのだ。
夜中、しんと静まり返った教会内で、祭壇を前に俺は膝をついた。
正直なところ、神など信じてはいなかった。だがこうして荘厳な雰囲気の中で過ごしていると、もしかすると存在するのかもしれない、という考えが頭をもたげてくる。
ここまで俺は、あまりにも恵まれていたのではないか。
本来なら入団などできなかった騎士団に、どこかの少年が悪事を働いたばかりに入団できた。
王族の中で孤立しているイサベリータ殿下と年が近いからと、普通はありえない、王族付きとして見習い期間を過ごした。
まだ見習いを続けるはずだったのに、ラモンの事情で、急遽、騎士昇格が決まった。
そもそも、両親の死がなければ、俺は騎士など目指していなかっただろう。イサベリータ殿下のお側に仕えることなどなかっただろう。
俺は、首に掛けられたネックレスを取り出し、それをぎゅっと両の手の中に握ると、胸の内で謝罪しながら、祈る。
俺の幸運は、誰かの犠牲の上に成り立っている。なにかの意思が働いているような気もしているのだ。
だとしたら、ここにいるのは神ではなく、悪魔なのかもしれない。
◇
朝になると、ヘルマン団長がやってきた。俺の顔を見ると、ニヤリと口の端を上げる。
「眠いだろ」
「ええ、まあ」
苦笑しながらそう答える。なにせ徹夜で祈りを捧げていたのだ、眠くないはずがない。ときどき聖職者と思われる人間が様子を見にくるので、うたた寝すらもできなかった。
「けっこう集まってるぞ」
「本当ですか」
「ここのところ、なかったからかな。お祭りなんだよ、叙任式ってのは。酒が振る舞われるし」
「ああ、お酒目当てってことですね」
小さく笑いながらも耳を澄ませてみれば、確かに教会の外はザワザワと賑やかだ。
団長は俺の着替えを手伝いながら、ソワソワと声を掛けてくる。
「文言は、全部覚えたか?」
「たぶん」
「もし頭の中が真っ白になっても、落ち着けよ。間違ったら間違ったで、いい思い出になるから」
「はい」
「忘れたら、司祭さまが助けてくれるから慌てるなよ」
「大丈夫ですよ、心配性だなあ」
「いや、そりゃあ心配だよ」
そう返してくると、団長はしかめっ面をしてみせる。
もし父親がいたらこんな感じなのかな、と思うと、じんわりと胸が温かくなる。
ヘルマン団長は、まじまじと俺を眺めたあと、首を傾げた。
「お前は、落ち着いているな?」
「一晩、いろいろ考えましたから」
「そうか」
今までのこと、特にラモンのことを思ったのだろう、団長は素直に頷いた。
俺は袖のボタンを留めながら、ポツリと問うた。
「驚かせようとしているんですかね?」
「えっ」
「いや、なんでもないです」
慌てて顔の前で手を振る。こんなこと、団長に訊いても困らせるだけだった。
ヘルマン団長は俺の背中をポンと叩きながら、前に押し出す。
「よし、行ってこい」
「はい」
「お前はもう、立派な騎士だ」
思いがけずそんな声を掛けられて、一瞬、息が止まった。
胸に手を当て、その言葉を噛み締めると、足を踏み出す。
祭壇横の深紅のカーテンをくぐり、教会の礼拝堂に足を踏み入れると、わっと歓声が沸いた。
本当だ、ひしめき合うように、一般の人々が教会内に溢れ、こちらを見つめている。
前列は関係者が座るところなのか、ドロテア、それにラモンも来てくれていた。俺のあとから出てきた団長も、背を丸めてそっと席の端に腰掛けている。
俺は指示通り、祭壇の前に立つと、そこにいた司祭を前に跪く。
司祭は聖典を手に、叙任式の開始を宣誓する。
「兄弟よ、我ら集まりたるは、今、神の御前にある、エドアルド・スマイスを神に仕える騎士に任ぜんがためなり。この任命について故障ありと知る者あらば、今申し立つべし」
すると、静寂が応えた。
そうして騎士叙任式は始まった。
俺は司祭の問いに答えていく。けれどもう、これは決まったやり取りだった。
「この務めは、悩める者、貧しき者を慰め、弱き者を助け、迷える者を導くものなれば、汝、その責任のいかに重きかを熟考したるか」
「しかり」
「日々怠らず、その聖なる務めを行うか」
「神の助けによりてこれを務めん」
「この志を成し遂ぐる、恵みを日々祈り求むるか」
「我、かくなさん」
そもそも、俺は自分のために騎士になりたかった。自分一人で生きていける手段として騎士を選んだ。
こんな俺で大丈夫なのかな、とも思うが、だからといって、ここから去りたいとも思わない。
そんなことを心の中で自問自答していると、一瞬の静寂のあと、あたりがにわかにざわつく。
「噓だろ」
「お、おい」
「うわっ、いいときに来た」
ザワザワと教会内が喧騒に包まれていく。
やっぱりね、と忍び笑いが漏れた。
司祭が一歩、後ろに下がり、代わりに祭壇の中央に歩み寄ってきたのは、イサベリータ殿下だった。
一騎士の叙任式に、王女殿下が来るかどうかと問われると、少々怪しい。しかも今はイサベリータ殿下は忙しく動き回っていたはずだ。
専属だから、ということもあるだろう。
けれど俺は、殿下は来てくれるんじゃないかという予感がしていた。
なぜか確信していたのだ。
イサベリータ殿下は、俺の騎士昇格を、一番近いところで祝ってくれる、と。