18. 騎士昇格
団長の部屋に呼び出され、また説教だ、と緊張しながらノックをする。
しかし入室した俺を前に団長が発言したのは、思いも寄らないことだった。
「エド、お前を騎士に昇格させることになった」
「……え」
俺はしばらく呆然と、ヘルマン団長の顔を見つめてしまう。
いやもちろん、騎士にはなりたい。早くなりたい。
でも、こんなに早く昇格するとは思っていなかった。今だって、毎日のように説教を受けているのに。
俺の驚きが伝わったのか、団長は説明を始める。
「まあ、特例だな」
「特例……」
「イサベリータ殿下付きの騎士に、空きができたんだよ。で、誰を代わりに入れるかってなったときに、やっぱりすでに殿下の信頼を得ているお前がいいんじゃないかって話になってな」
「空き? 異動ですか」
「いや、辞める」
「えっ、誰ですか」
ドロテアと、他の四人。まさかドロテアが辞めるとは思えないが……誰だろう。
「ラモンだ。家の事情でな」
専属騎士の五人の中で、一番真面目で実直で努力家な人だ。俺に対しても最初から優しかったという、貴重な人だった。
俺が以前、食堂で勉強をしていたときも、『基本は大事にしないと』と言ってくれ、それからも勉強しているのを見かけては、わからないことを教えてくれた。
そのラモンが、辞める?
「だから、引き継ぎとかあるか、訊いておけ。挨拶もな」
「はい……」
急な話に戸惑いながら、俺は退室するとすぐに、ラモンの姿を探した。
◇
彼はすぐに見つかった。
食堂で、一人ポツンと腰掛けている。
「あの……」
ただ黙々と果実酒を飲んでいる、ラモンの傍に歩み寄る。すると彼はこちらを見上げて、わずかに口の端を上げた。
「騎士昇格、おめでとう」
「ありがとう、ございます。でも……」
素直には喜べない。本来なら、俺はまだ見習いのままで、騎士にはなれないはずだった。
ラモンの家庭の事情とやらで、運よく、昇格するだけだ。
彼は自分の隣の椅子を引くと、座るように促す。
「まあ、座れよ。少しばかり、愚痴を聞いてくれたっていいだろう」
「……はい」
俺が腰を下ろすと、ラモンはまた一口、果実酒を飲んだ。それからポツポツと語り始める。
「俺の実家は、子爵家なんだがな」
「はい」
「兄がいて、爵位は兄が継ぐことになっていたんだ。父はもう高齢だし、家のことや領地のことは、ほとんど兄が取り仕切っていて」
そして、ふう、と息を吐く。
「ところが、兄が倒れてな」
「えっ、大丈夫……なんですか」
「ああ、今のところ命に別状はないんだが、手とか足とか動かなくなったらしくて。だから俺に補佐してほしいって連絡があったんだ」
「そんな……」
命に別状はない、とはいえ、手放しに良かったと喜べる状態ではない。それに、すべては『今のところ』だ。
「ご心配……ですよね」
「いや?」
「えっ」
あっさりと否定の言葉を口にしたラモンに驚いて、顔を上げる。彼は皮肉げに笑っていた。
「俺はね、なんでも兄が優遇されるのが嫌だったんだ。兄は次期当主だと決まっていたからね、同じことをやっても兄は褒められ、俺は無視される。兄には毎日馬鹿にされたよ。一事が万事、この調子でね。だからこんな家は捨ててやるって、志願して騎士になったんだ」
「そうだったんですか……」
「見習いから入って、騎士になって、王族付きになって……。がんばったし楽しかったんだが、最後にやっぱり家に縛られた」
果実酒が入ったゴブレットを握る手に、力が入って震えていた。
「じゃ、じゃあそんな家は無視しちゃって、騎士を続けましょうよ」
だって、一番真面目で実直で努力家の人なのだ。それなのに、望んでいない場所に帰らなければならないなんて、酷すぎる。
しかもその代わりに騎士になるのが、未熟な俺だ。悔しくてたまらないんじゃないのか。
「そうしたいのは山々なんだが、屋敷で雇っている人間も、領民もいるしね。そのうち家を乗っ取るために、精を出すことにしたよ」
そうして、小さく笑う。
なにも言えなくて、そしてどんな表情をしていればいいのかわからなくて、俺は俯く。
すると彼は、しばらくゴソゴソとしていたかと思ったら、俺の肩を叩いた。
「これ、やるよ」
「え」
顔を上げた俺の前に差し出されたのは、彼の剣だった。
「叙任式で剣を賜るが、あれは飾りだよ。ゴテゴテして、重くて、任務のときに使えるもんじゃない」
「で、でも」
俺なんかが貰ってもいいものではない気がする。
しかしラモンは、ずいっと俺のほうに剣を差し出した。
「お前を後任に推薦したのは俺だよ」
「えっ」
「やっぱり、イサベリータ殿下のためを思ったら、よく見知った人間のほうがいいと思ってな。だから、がんばってくれ」
やっぱり彼は、一番真面目で実直で努力家な人なのだ。
じわりと目に涙が浮かんだが、俺は何度も目を瞬かせて、なんとか堪える。
「使ってくれたほうが俺も嬉しいから、受け取ってくれ」
「あ、ありがとうございます」
俺は両手を差し出して、その剣を受け取った。
いつか感じた、本物の剣の重み。やはりズシリと重いものだった。
「叙任式は、お祭りだぞ。楽しめよ。一生に一回しかないんだからな」
「……はい」
俺はその剣を、抱き締めるようにぎゅっと握った。
ラモンは俺の頭に手を置いて、ポンポン、と軽く叩く。
それで、どうしても堪えられなってしまって、涙が一筋、頰を伝った。