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15. 夜空に輝く星よりも

「で、殿下……」

「さっきチラッと目に入ったから、エドアルドではないかと思ったの」


 どこか得意げに、イサベリータ殿下はそう言った。

 俺は思いも寄らぬ人の登場にうろたえて、キョロキョロとあたりを見回してしまう。

 広間の中にも視線を移してみたが、どうやらこちらを注視している人はいないようだ。皆、歓談やダンスや飲酒に忙しそうにしている。

 とはいえ、今日の主役がこんな端っこにいてもいいものか。


「大丈夫なんですか」

「大丈夫よ。疲れたから少し休憩すると伝えてきたもの」

「そうでしたか」

「それに皆さまは、アルトゥーロお兄さまとお話ししたいの。わたくしは、もうすべての方に顔見せは済んだから」


 その平淡な声を聞いて、ああ、殿下は、これは品評会だと理解しているのだ、とわかった。

 いずれどこかの誰かに嫁ぐために、いかに自分を高価に見せるか、いかに価値あるものだと思わせるか、という会なのだと認識している。

 それが殿下の求めた居場所なのだとしたら、少し、悲しい。


 ふと、殿下は俺の腰に目を留め、驚きの声を上げた。


「えっ、どうして帯剣しているの?」

「ああ、これはドロテアに借りました。威嚇用だそうです」


 剣の柄に軽く手を置いて、苦笑交じりにそう答える。すると殿下は胸に手を当て、ほうっと息を吐いた。


「そうなの。わたくしが知らない間に叙任式を終わらせたのかと思ったわ」

「まさか。まだまだですから」


 すると、イサベリータ殿下は、ずい、と一歩前に踏み出し、そしてドレスの裾をちょっとだけ持ち上げる。


「どう?」


 今回は、どう答えて欲しいのか、すぐにわかった。


「とても、お美しいです」


 心からの賛辞を述べる。

 とても綺麗だ。この広間の中にいる着飾った女性たちの誰よりも。夜空に輝く星よりも……は、少しキザかもしれないが、言い過ぎではないと思う。


 殿下は満足したのか、ふふん、と笑って胸を張った。


「ダンスも上手く踊れたわ」

「ええ、見えました。素敵でした」


 そんな朴訥とした言葉に、彼女は目を細める。


「そう、それならいいわ」


 そう返してきて、その場でくるりと一回転してみせる。ふわりとドレスの裾とレース飾りが広がって、また彼女を美しく見せた。


 しかし最後の着地でバランスを崩し、身体が傾いだ。


「きゃ……」

「殿下!」


 俺は反射的に駆け寄る。

 そしてイサベリータ殿下の身体の下に自分の身体を滑り込ませるようにして、なんとか地面に叩きつけられることだけは阻止した。


 ホーッと息を吐き出す。危ないところだった。俺の心臓がバクバクと脈打っている。よかった、怪我なんてさせたら、この舞踏会が台無しになってしまったかもしれない。

 身体の上にいる殿下は、仰向けになったまま、瞬きを繰り返していた。現状を把握できていないようだった。


「大丈夫ですか、お怪我は」


 そろそろ起き上がってもらわないと、非常にまずい。いろんな意味でまずい。

 でも俺からは指一本触れることはできないから、殿下にどいてもらわないといけない。

 誰も見ていないよな、と心配しつつ、両手を開いて腕を左右に浮かせる。触っていませんよ、という主張をするように。


 我に返ったのか、突然に殿下は立ち上がって、小走りで元の位置に戻る。それから両の腰に手を当てて、背筋を伸ばした。

 この薄暗がりの中でも、顔が真っ赤になっているのがわかる。

 俺は呆然と、後ろに手をついてしゃがみ込んだまま殿下を見上げた。


「は……はしゃぎすぎたわ」

「は、はい」


 もうどう返していいのかわからない。

 イサベリータ殿下も、どうしていいのかわからないのだろう。何度も口を閉じたり開いたりしている。

 それから、なんとか、といった感じで声を絞り出した。


「あ、あの……悪かったわね」

「い、いいえ」


 俺は立ち上がって、直立不動の姿勢を取る。すると、殿下は驚いたように口元に手を当てた。


「怪我をしたの?」

「え?」


 視線を追ってみれば、手のひらから血が滲んでいた。さきほど滑り込んだときに、地面で擦ったのだろう。


「ああ、かすり傷です。怪我と呼べるものでは」


 本当に、怪我だなんて大げさなものではない。むしろこの程度で傷を作ってしまうなどとは、恥ずかしいことだ。


 しかし殿下は、ビシッと俺を指さすと、口を開いた。


「エドアルド、お前、わたくしを守って怪我などしないように」

「えっ」


 急に、そんなことを言われても。

 王女を守るためなら自身のことなど後回しにするのが、騎士というものだ。見習いだけど。


「目の前で怪我なんてされたら、寝覚めが悪いわ」


 続けて、そんな憎まれ口を叩かれる。

 けれどどこか、その口調に厚意が含まれているのが感じ取れた。


「はい」


 俺は、御前で腰を折る。


「以後、気を付けます」

「そうなさい。命令よ」


 つんと澄まして、そう返してくる。

 これはきっと、優しさというものなのだろう、と思う。胸の中に、温かななにかが生まれた気がした。

 だから、つい、言ってしまったのだ。


「あの」

「なに?」

「お、お誕生日……おめでとう、ございます」


 しどろもどろな俺の祝いの言葉を聞くと、しばらく目を瞬かせてこちらを見つめたあと。

 ふふ、と笑ってから、殿下は口を開いた。


「ありがとう」


 そしてくるりと身を翻すと、広間の中に戻っていく。

 するとその場には、元の通りの薄暗い静かな空間が戻って来た。


 俺は姿勢を正すと、また両腕を後ろに回し、肩幅に足を開いて、広間の中を見守る任務に戻る。

 けれど心臓が、ドキドキとうるさく鼓動を耳に伝えてきていた。熱くなった頰に、夜風が気持ちいい。


 今夜の俺は、もしかしたらほんの一時、あちら側の世界に迷い込んでしまったのかもしれない。

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