11. 騎士団に入るまで その3
それから俺は、騎士見習いとして宿舎で生活することになった。
まともな食事とまともなベッドと制服が本当にありがたい。衣食住が保障されている騎士団に入りたいという判断は、間違っていなかった。
見習いということで雑用をたくさん言いつけられたが、叔父に命令されるときと、心持ちが全然違う。むしろ騎士になるためなら、喜んでこなしたいくらいだった。
とはいえ、団長の一存で入団してしまった俺には当たりもキツかった。言葉遣いも良くなかったから、それで他の騎士たちを怒らせることも多々あった。そのあたりはドロテアが教えてくれたが、なかなか身に付かず、上手くいかないこともたくさんあった。
もちろん不満が積もりに積もって、後に騎士に殴りかかるという醜態を演じたわけだが。
それでも叔父の元で暮らすよりは、かなりマシな気がする。
このまま叔父家族のことも忘れてしまうのでは、と思った頃、ヘルマン団長に呼び出された。
「お前の実家な、王家の所有になったぞ」
「は?」
なにがどうしてそうなった。
「所有ったって、別にそこに王族が住むってわけじゃない」
アホ面を晒しているのだろう俺に、団長は苦笑交じりで、そう答えた。
「単純に、一時預かりだ。どうする?」
「どうって」
「買い戻すか? 今は無理だろうが、いつか買うってんなら、売らずに置いておくよう申請してやる」
よくはわからないが、叔父一家は俺の両親から受け取った財産を、王城に報告しなければならなかったそうだ。そうして税金を納める義務があった。それを怠ったということで、納めるはずの税金よりも多額の罰金を支払う羽目に陥ったらしい。
当然、屋敷も没収された。
「えーと、その税金は、本来は俺が支払うものなのでは……」
「本当はな、お前の両親が亡くなった時点で、役人がそういうのを計算してくれるのさ。働いて得た金品からももちろんいただくがここは抑え気味で、それ以外からはガッツリ搾り取るってのがこの国の主義でな。でも残された者が幼かったりすると、ある程度の温情が受けられる。役人もスマイス家には幼い子がいるってことで強硬に取り立てはしなかったから、気付くのが遅れたんだ」
「へえ……」
「それで、いないとわかった時点で役人と騎士で突入して、金目のものは全部取り押さえた。強盗みたいだったってさ」
「うわ」
「ちゃんと申し出ていれば、受け継いだ財産の八割くらいで済んだんだぞ」
「八割か……」
もし俺が一人で受け継いだとして、一人で暮らせるくらいのものは残す、ということだろうか。
いやでもちょっと回収しすぎじゃない? という気持ちにもなるが、おそらく叔父もそう思って黙っていたから、この結末なんだろう。
「だが家とか土地は持ち帰れるものでもないし、そのままだ。いい場所にあるし、ちょっと高いかもしれないが」
元々、俺たち家族が住んでいたというのに、そこに帰ろうと思うと多額の金が必要ってか。
なんとなく理不尽な気もするが、すぐに売り飛ばさないのは温情というものなのだろう。
「ちなみに……俺がそこに住んでいないことを報せたのは……」
「さあ。どこかの善良な市民だろ」
「……へえ」
すぐに怒ってゲンコツを頭に振り下ろす人は、善良な市民と呼べるのだろうか。
「叔父さんたちは?」
「さあね。でも罰金はまだまだ残っているそうだから、どこかで死ぬ気で働いているんじゃないか? こうなったら役人どもからは逃げられねえぞ」
「なるほど」
強盗みたいだった、というのが誇張でもなんでもなければ、叔父家族はそれなりに制裁を受けるのだろう。
確かに、もうあそこには両親もいなくて、両親との思い出の品もあまりない。だから離れてもいいと決心はした。
でも、努力すれば取り戻せるというのなら、それに乗らない手はないのではないか。
「そういうことなら、何年掛かるかわからないけど、いつか買い戻したい」
「じゃあ申請しておくぞ。けど、なんらかの都合でその前に売られる可能性もあるから、そこは了承してくれ」
「わかった。そのときは諦める」
俺は神妙な顔をして頷く。
けれど団長は、机に肘をついて顔を覆うと、はーっと失望のため息をついた。
「お前、そろそろ目上の者には敬語を使うことを身に沁み込ませろ。騎士は、そういうのは大事なんだ。特に王族に仕えるウォード騎士団員はな」
「あっ、はい。えーと、了解しました」
背筋を伸ばしてそう答えると、やっぱり団長は、諦めたようなため息で返してきた。
◇
そうして俺は騎士団に入団を果たしたわけだが、今日ここに至るまで、やっぱり不出来なままらしい。
食堂で、イサベリータ殿下から借りた教材を広げてメモを取っていると、通りがかった騎士の一人が声を上げた。
「なんだ、これ」
「ああ、勉強会とやらをしているんだっけな」
周りにいた騎士も、そんなことを口にしながらこちらに寄ってくる。少しばかり、侮蔑を含んだような声だった。
案の定、教材を覗き込んだ騎士たちは、口々に揶揄い始める。
「お前、まだこんなこと勉強しなくちゃいけないのか」
「簡単すぎないか」
「ひっでえ」
けれど殴り合いの一件から、多少は当たりもキツくなくなった気がする。気安く話し掛けられることも多くなった。
「あんなに綺麗な王女さまと一緒に勉強会とか、羨ましい限りで」
「指一本触れられないですよ……」
「そりゃそうだ。逆に拷問だな」
ハハハ、と笑い声が沸く。
「俺たちにとっては、いくら綺麗でもまだ子ども、って感じだけど、お前は年も近いもんな」
「いや……」
最初から手の届かない人だと認識しているから、拷問だなんて気持ちにはならない。
しかしムキになって反論すれば、どこまでも揶揄われるに違いないから、俺は曖昧に言葉を濁した。
すると机上を眺めていた騎士の一人が、「うん?」と首を傾げる。
「おい、これ、綴りが違うぞ」
「え、どれですか」
「これ」
その騎士は、俺が書いたメモを指差す。しかし、すぐに指を離した。
「いや……これだけじゃないな。こっちも」
なんだなんだと、そのあたりにいた騎士たちが机上を覗き込んでくる。
なぜか皆、深刻そうな表情になってしまった。
「噓だろ」
「お前……。そりゃ、イサベリータ殿下も放っておけないって」
「今、俺、殿下が勉強会って言い出したの、すごく納得した」
もう本当に散々だ。恥ずかしくて死ねる。
皆は貴族の出だから、きっと高度な教育を受けてきたのだろう。
「間違って覚えたら、あとが困るぞ。基本は大事にしないと。丁寧に見ていこう」
同じイサベリータ殿下専属だからか、ラモンという騎士が、優し気な声音でそう諭してくる。いや、同じと思われたくないからこそ、かもしれない。
「わかりました」
俺は素直に頷く。するとラモンも頷き返してきてくれた。
そのとき、俺のメモと教材を見比べていた騎士の一人が、ふいに口を閉じ、そしてメモを俺の前に差し出してきた。
「……ここは、解答が変わるかもしれないぞ」
「え」
「ハンネスタとは……緊張状態が続いているからな」
「戦にならなきゃいいけどな」
それは、クルーメル国内の地理の問題だった。
揶揄う気満々だった騎士たちも、この状況を思い出してしまったのだろう、神妙な顔をして黙り込んでしまった。
さすがの俺も、ハンネスタという国が隣国だということは知っている。
そしてときどき、国境の小競り合いが起きていることも。
今は辺境伯が交渉に当たっていて、なんとか戦にまでは発展していないようなのだが、先行きは怪しいと漏れ聞こえてくる。
もしそうなったら俺は最前線に駆り出され、勉強会も終わってしまうんだろうな、と思ったら、少し胸が苦しくなった。