10. 騎士団に入るまで その2
嵌め殺しの小窓は、ためらいがまったくなかったためなのか、手入れが行き渡っておらず脆くなっていたのか、とにかく幸いにも一発で壊れた。
部屋の入口の扉の外のずっと向こうで、小さく怒鳴り声が聞こえる。窓を壊した音が聞こえたのだろう。
叔父がここに来る前に逃げ出さなければならない。
窓枠に散らばるガラス片に、そのへんにあった毛布を被せると、椅子を足場にしてよじ登り、外へ出た。ちょうど子どもが通れる大きさで助かった、と息を吐く。とはいえ、背中はガラスでいくらか傷ついたようだが、構ってはいられない。
さすがに靴はなかったので靴下で走り出す。どこに行けばいいのかなんて、そこまでまるで思いついてはいなかった。
自分の荒い息が、耳にうるさい。
けれど焦って走りながらも、どこか冷静な自分もいて、いろいろと考えを巡らせ続ける。
このまま走っているだけで、逃げ切るなんてできるはずがない。いずれにせよ、どこかに保護してもらわなければならない。しかし叔父が保護者の顔をして迎えに来ても困る。連れ戻されたら、今よりもっと酷い状況になるのは目に見えていた。それから、お金が必要だ。着の身着のままで逃げているのだから、食料のひとつも持っていない。では働く? この年で、雇ってくれるところはあるのだろうか。いやそれは聞いてみなければわからない。とにかく、住み込みで働けるところだ。宿舎のあるところ。
そこまで考えたときに、ちょうど、王城が目に入った。
◇
「騎士団に入れてください!」
俺は城門の前を守る、騎士の一人に向かってそう懇願した。
その騎士は、驚いたように身を引いたあと、困ったように眉尻を下げ、そして俺の姿を上から下まで眺める。
それから、ため息交じりに答えた。
「いや坊主、騎士は、入れてくれって言ったらなれるもんじゃないんだよ」
「じゃあ、どうしたらなれる?」
俺は必死だった。だから食い下がるしかなかった。
騎士団に宿舎があるのは有名なことだ。年齢制限は聞いたことがないが、若くても『騎士さま』と呼ばれて尊敬されている。
そのときはわからなかったが、王城を守っていたのだから、当然、ウォード騎士団所属の、貴族の出の騎士だったのだろう。次第に面倒になってきたのか、汚いものを見る目つきをして俺を追い返そうとする。
「はいはい、帰った帰った」
「嫌だよ、帰らない!」
だからといって、諦めるわけにもいかなかった。いつ叔父が追い付いてくるかもわからない。
「しつこいな! 帰らないんだったら、牢屋に入れるぞ」
「あっ、その手があった」
「はあ?」
ひとまず牢屋に入れてもらって、それから行き先を決めるのはどうだろう、などと考え始めたときだ。
「なんだあ? なに揉めてるんだ」
「あっ、団長」
城門の通用口から、ひょっこりとゴツい身体つきの男が姿を現した。
その場にいた騎士が直立不動の姿勢になるのを見て、これは偉い人だ、と理解する。
「いや……この子どもが、騎士団に入りたいと押しかけてきまして」
騎士の説明を聞いたその偉い人は、少しの間考え込んだあと、俺の目の前にしゃがみ込んで視線を合わせてくる。
それが、ヘルマン団長との出会いだった。
「まあ、話だけは聞いてやる」
「うん!」
偉い人に直接話を聞いてもらえるのだ。俺は心底安心した。
「騎士になりたいって? でも親御さんは? 心配してるんじゃないのか」
「いない。死んだよ」
あっさりとそう答えると、団長は眉を曇らせた。それから俺の足元に視線を移す。そのとき靴を履いていないことに気付いたようだった。
「そっ……か。じゃあ騎士団じゃなくて、養護院だ。坊主は知らないかもしれないがな、教会に隣接されていて」
「養護院は、受け入れ先があったらそこに行かされるんだろ。連れ戻されると困るんだ」
「……あ? どこに」
「家に」
俺の返答に、団長は首を傾げる。
「ん? 親はいないって」
「叔父さんがいる。俺、もう殴られてこき使われたくないんだ。俺は一人で生きたいんだよ」
勢い込んで、そう訴える。
どこまでわかったのか、団長は眉を顰めて、低い声で問い掛けてきた。
「……お前、どこの子だ?」
「城下に屋敷があるよ。スマイスっていうんだ」
「ああ……あそこか」
団長はしばらく思案するように顎に手を当て、黙りこくった。
すると、パン、としゃがんだまま膝を叩く。
「よし、今から面接してやる」
「団長っ?」
背後の騎士が声を上げたが、ヘルマン団長は手を立てて、それを制した。
そして俺の目をじっと覗き込んでくる。
「言っておくが、騎士になれたからって、いいことばかりじゃないぞ」
「うん」
「鍛錬はそりゃあもう厳しい。たるんでいれば、容赦ない指導がある」
「うん」
「今は平和だが、戦が起きてみろ。新人は、真っ先に最前線に向かわされる」
「うん」
「命の保証はできないんだぞ」
「それでもきっと、今よりは生きていられる」
俺はすべての問いに、迷いなく頷いた。
団長は、はあ、とため息をついて頭の後ろをガシガシと搔いている。
「騎士団ったって、ふたつあるぞ」
「そうなの?」
「教会に仕えるキルク騎士団と、王族に仕えるウォード騎士団。どっちがいいとか……ないよなあ。まあでも、お前は教会のほうが……」
「オッサンのいるほうがいい」
俺がそう口にした途端に、ゲンコツが降ってきた。
「いってえ!」
頭を押さえて転がると、団長はため息をつきながら立ち上がった。
「団長と呼べ」
「……団長」
「よし」
そうして俺は、騎士団員となったのだ。
◇
あとで聞いた話だが、この前日、騎士団は街で窃盗を繰り返す少年たちを捕まえたらしい。彼らを統率していたのも、これまた少年だったそうなのだが、その少年を団長は覚えていた。
以前、騎士団に入りたいと押しかけてきたことがあるそうだ。
そのとき残念ながら、彼はすげなく追い返され、そして行き先をなくした彼は犯罪に手を染めだした。
だから団長は、同じようにやってきた俺を追い返せなかったのだ。
幸運、と言い切るにはその少年に申し訳ないような気もするが、間違いなく俺にとってはこの上なく、幸運なタイミングだったのだ。