第8話 小さな勇者 (後編)
ルキの長所いっぱいの話です。
今後しばらくは前後編でなく1話更新ぐらいになる予定です。
ある日、マルクはようやくテスカと直接会う機会を得た。
広い屋敷の応接間で、立ち上がったテスカは目を見開き、そして次の瞬間には深く頷きながら微笑んだ。
「……まさか、マルク殿が生きておられたとは。本当に、本当に…」
テスカの目には、再会の喜びがにじんでいた。
アリヴェル王国が崩壊し、ほとんどの騎士たちが命を落とした中で、マルクの消息も途絶えていた。
そんな絶望の中で、こうして再び会えたことは、テスカにとって奇跡に等しかった。
「テスカさん……」
マルクはテスカの手をしっかりと握り返し、ゆっくりと頭を下げた。
「今こそ、アリヴェルを取り戻すために、力を貸してください」
するとテスカは、静かに頷いた。
「もちろんです。マルク殿がお力になってくださるなら、わたしも全てをお話ししましょう」
マルクは丁寧に頭を下げると、後ろに立っていたルミナを紹介した。
「こちらは、道中助けられた旅の仲間です。ルミナと言います」
「テスカさん、はじめまして。お話、聞かせていただいてもいいですか?」
ルミナは明るく頭を下げる。その振る舞いに、テスカも自然と微笑を返し、三人は席についた。
テスカは、現在の大陸の状況を語り始めた。
アリヴェルが滅び、帝国はその勢いを止めることなく、次々と周辺の地を飲み込んでいるという。
またギルバディア王国は半壊し、都を移し、帝国に対抗するための備えを進めていた。特に、戦から一線を退いていた伝説の魔導師ヨヨが再び表に立ち、魔法使いの育成に尽力しているのだと。
「……ですが、帝国もまた力を増しています。強き者を金や脅しで引き入れ、あるいは人工的に戦士を造るなど、手段を選ばぬ様子……」
その話にマルクは表情を引き締める。
一方で、テスカはふと目を伏せ、呟いた。
「……アリヴェル王国の姫、アリシア様が……もしご無事であれば、“女神”の血が生きていれば……こんな時代も、変わったかもしれません」
ルミナは、その言葉に反応した。
テスカの瞳に浮かぶ絶望の色を見て、席を立ち、彼の手をそっと握った。
「きっと、姫は見つかります。まだ、希望を捨てないで……」
まっすぐなルミナの声に、テスカはゆっくりと瞬きをして、かすかに笑みを浮かべた。
「……あなたは、本当に優しい方だ。昔の女王アリステラ様を思い出します」
ルミナは、ーーそっと微笑んだ。
ーーそのとき、屋敷の奥から慌てた様子の使用人が駆け込んできた。
「テスカ様! お嬢様が……ナナ様が、まだ戻っておりません!」
空気が凍るような緊張が、部屋を満たす。
使用人は必死に事情を説明した。数日前からナナはときおり短時間の外出をしており、初めは止めようとしたが、生き生きとした笑顔を見るようになり、止めることができなかったと言う。
「申し訳ございません! 本当に、あのとき止めていれば……!」
テスカはその場で立ち上がり、怒声をあげそうになるのをマルクが止めた。
「テスカさん、まずは落ち着いてください。詳しく話を聞かせていただけますか」
マルクの言葉に我に返ったテスカは、深く息を吐き、使用人の報告を聞き直す。
ナナは、「同い年ぐらいの友達ができた」と話しており、彼に会いに行っていたのだという。
「――同い年、まさか」
ルミナがぽつりと呟いた。すぐにマルクと顔を見合わせる。
宿に戻ると、案の定、ルキの姿はなかった。
ふたりは、ナナとルキが一緒に行方をくらました可能性が高いと判断し、急いで街の中を探し始めた。
一方、少し遡った時間ーー。
ナナとルキは、とある人気のない路地裏にいた。穏やかな時間の中、二人で歩いていたが、その平穏は突如として破られた。
「っ……ナナ!」
ナナの背後から現れた数人の男たち。
その顔には明らかな悪意が滲んでいた。彼らは、豪商テスカの娘が最近になって出歩いているという噂を聞き、身代金目的で誘拐を企てたのだ。
少し離れた位置からナナの姿を見守っていたルキは、異変に気づいた瞬間、反射的に飛び込んだ。
「やめろっ!!」
小柄な体で全力でぶつかり、ナナに手を伸ばしていた男を突き飛ばす。
突然の奇襲に驚いた悪党たちだったが、すぐにルキが丸腰であることに気づき、殴り倒す。
「チッ、小僧が……!」
そのまま、ルキもナナも袋の中に押し込められる。
こうして、二人は攫われてしまったのだった。
ーー意識が朦朧とするなか、ルキはうっすらと目を開けた。古びた木の天井板と埃の匂いが鼻を突く。横を見ると、怯えた表情のナナがしゃがみ込んでいた。
「……ルキ様……っ、ごめんなさい……私のせいで……っ」
ナナは震える声で謝った。だがルキは頭を振った。
「……ちがう……ナナのせいじゃねえ。気にすんな」
彼はそう言って、縛られた手足をなんとか動かして逃げ出せないかを探っていた。が、すぐにその扉が軋みを立てて開いた。二人を誘拐した男のひとりが、鋭い目つきで部屋に入ってきた。
「大人しくしてろ小僧、下手なマネはすんなよ」
男の目が光る。その言葉にナナが泣きながら縋るように言った。
「お願いです……ルキ様は関係ないんです……彼だけは帰してください……!」
しかし男は取り合わなかった。その瞬間、ルキが咄嗟に身を起こし、男に飛びかかった。
「ナナ、逃げろっ!」
勢いに押されて男がよろけ、扉が開いた隙をナナが駆け抜けようとした。だが、奥にいたもう一人の男がすぐさま立ちはだかる。
「逃がすかよ!」
ナナの腕を掴み、ルキを蹴り飛ばして二人を再び部屋の奥に連れ戻す。男は荒々しく縛り直しながら舌打ちした。
「ガキが調子に乗りやがって……もう二度と口きけなくしてやるよ!」
そう怒鳴ると、男は手にした棒を振り上げた。ナナに向けて、それを振り下ろそうとする。
――その瞬間。
「やめろッ!」
ルキが咄嗟に身を起こし、ナナに覆いかぶさった。棒がルキの背に容赦なく叩きつけられる。鈍い音が部屋に響く。
「ルキ様あああっ!!」
ナナの叫びが虚しく響いた。何度も何度も棒が振り下ろされ、ルキの身体は力なく沈んでいく。
「やめろって言ってるでしょ……」
部屋の空気が、ひやりと冷えた。
次の瞬間、男の背後から放たれた氷の魔法が、鋭い音を立てて炸裂した。無数の氷塊が弾け飛び、鋭い破片が容赦なく男の体を切り裂く。
「……間に合った」
冷気を纏った杖を手に、ルミナが静かに立っていた。その目には怒りが宿っている。
もう一人の男が慌てて裏口に走るが、その出口を塞ぐようにマルクが立ちはだかっていた。
「……ここまでだ」
静かにそう言うと、マルクは一瞬で男を斬り伏せた。
残された部屋の中。ナナは縛られたルキに駆け寄り、泣きながらその身を抱きしめた。
「ルキ様……! お願い、目を開けて……!」
ルミナがそっと近づき、ナナの肩に手を置く。
「大丈夫よ。必ず助けるから」
そう言って、ルキの身体にそっと手をかざす。淡い光が傷に染み入り、ルキの呼吸が少しずつ穏やかになっていく。
「……よく頑張ったわね、ルキ」
ルミナがそう優しく囁いた。
こうして二人は無事に救出され、テスカの屋敷へと戻った。
テスカは感謝の言葉を述べ、三人を屋敷でもてなそうとしたが、マルクは首を振った。
「先を急ぎますので……お気持ちだけ、ありがたく」
そう言って、意識を取り戻したルキと共に屋敷を後にする。ルキはナナの前で足を止めた。
「……じゃあな、ナナ」
ナナは目に涙を浮かべながら問いかけた。
「また……会えますか……?」
ルキは少し照れくさそうに笑って、彼女の頭を優しく撫でた。
「……必ず会える。だから泣くな」
そう言って、背を向けて歩き出す。
その後ろ姿を見送りながら、ナナは微笑み呟いた。
「……これが、恋……なのですね」
我が娘の呟きを聞き、驚きを隠せずタジタジするテスカであった……。