第25話 悪夢
ここで、伝説の魔導師ヨヨの登場です。
アリステラの過去を知るヨヨはルミナに優しく寄り添うのだった。
暗い。何も見えない。
結界に包まれた王の間——そこは、血と魔力の重さに支配された密室だった。
剣戟の音。絶叫。斬撃。
そのただ中で、マルクは立っていた。体中は傷だらけで、血に濡れ、呼吸すらままならない。それでも彼は剣を握り続け、無数の帝国兵に囲まれてなお、前を睨んでいた。
——ルミナの目の前で。
結界の向こうから、その姿をただ見ていることしかできない。
「……マルク……」
ルミナの指先は、震えながらもガラスのような結界に触れた。押しても、叩いても、焼いても砕けない——絶対の隔たり。
そのとき、ふらりとマルクがこちらを向いた。
血だらけの顔。その中で、ただ一つ、確かに輝いているものがあった。
——瞳。
その瞳が、まっすぐにルミナを捉える。
「……たすけてくれ……」
かすれた、震える声。懇願でも、呟きでもない。ただ、心の底からの叫びだった。
——だけど、ルミナの身体は一歩も動かなかった。
動かしたい。結界を越えて、今すぐ抱きしめて、守りたい。けれど脚は床に縫い止められたように固まり、声すら出せなかった。
その瞬間——
「マルク!!」
ルミナの悲鳴と同時に、背後からガンツの巨大な剣がマルクの背中を貫いた。
赤い飛沫が宙を舞い、マルクの体がゆっくりと崩れ落ちていく。
「マルクーーーッ!!」
その叫びが、空間を震わせる。
——ガバッ、と跳ね起きた。
汗に濡れた額、乱れた呼吸。ルミナは荒く肩で息をしながら、部屋の中を見渡す。
……ここは、見知った部屋。ギルバディアの屋敷。夢だった——と、ようやく理解する。
けれど夢ではなかったこともあった。
膝に目をやると、まだ残るすりむけた傷。あの日、あの夜——必死で走り、転び、涙を流した、あの記憶が鮮やかに蘇る。
「……全部……全部、本当なんだ……」
その呟きと共に、ルミナの頬を静かに涙が伝った。
ふと、気配を感じて窓辺に目を向けると、そこにひとりの老婆が座っていた。
傾いた陽の光が柔らかく部屋を照らし、老いたその顔には、優しげな微笑みが浮かんでいた。
「怖い夢でも見たのかい?」
声は、穏やかであたたかかった。
けれど、ルミナの心の奥に渦巻くものは、それだけで癒えるにはあまりに重すぎた。
「……夢、じゃないんです」
そう呟いて、ルミナはゆっくりと身体を起こす。
胸の奥に押し込めていた想いが、堰を切ったように溢れ出した。
バルナの崩壊。国王の死。マルクの捕縛。
そして、自分の無力さ——。
ぽつぽつと語るうちに、ルミナの頬には再び涙が伝い始めていた。
「……全部、私のせいだって思ってしまって……何も、できなかった。何一つ、守れなかったんです……!」
嗚咽まじりに訴えるルミナの言葉を、老婆は黙って聞いていた。
そして、静かに呟いた。
「そうさねぇ……大切なものを、たくさんなくして、人間はようやく強くなるもんさ。あんたも、今その途中なんだよ」
だが、ルミナは首を横に振った。
「……あなたに、何がわかるんですか……!」
思わず、感情があふれた。
「私、マルクが好きだった……。最初に助けられて、その背中に憧れて……優しくて、強くて、どこか寂しそうで……
この人となら、どんな未来も歩けるって、そう思ったのに……」
言葉を紡ぐうちに、涙がまたあふれる。
「でも……でも、好きになんて、ならなければよかった……! こんなに苦しくなるくらいなら……!」
その瞬間、老婆の目が細められ、やさしく笑んだ。
「……アリステラと……同じことを言うんだねぇ」
その名を聞いた瞬間、ルミナの身体が震えた。
「……まさか……!」
ルミナの声が、微かに震える。
「……あなたの……名前は?」
老婆は、ゆっくりと目を閉じ、静かに名乗った。
「ヨヨ……皆からは、ヨヨ婆と呼ばれているよ」
「ヨヨ……婆様……!」
ルミナは、胸にこみ上げる何かに耐えきれず、再び泣き崩れる。
——しばらく、言葉にならない涙を流した後、ルミナはそっと顔を上げた。
「……教えてください、ヨヨ婆様……。私の知らない、アリステラ……様のこと……もっと」
ヨヨはただ一言、ああ、と頷いた。
そして、ゆっくりと、物語が始まった。