第20話 退却命令
大混乱に包まれたバルナ兵。
全ての判断はマールに委ねられる。
「陛下……!」
「もうだめだ……」
兵たちの叫びは、祈りのように響いた。
——そこへ、逃げ出した兵が、血の気の引いた顔で戻ってきた。
「ま、まさか……!?」
「……囲まれてます! 王宮の周りを……妖魔と帝国兵が取り囲んで……! まるで……逃げ道なんて、初めから……!」
全員の顔が、凍りついた。
暗殺の失敗。
国王の重傷。
結界に閉ざされ、動けぬマルク。
そして外には、妖魔を従える帝国兵により、完全に包囲されていた。
敵は初めから、全てを見越していたのだ。
逃げ場など、最初からなかった。
一方ルミナは、激しい怒りを湛えた瞳で魔法使いたちへと突撃した。次々と倒していくも、結界は消えない。
「どうして……っ」
震える声でそう呟き、彼女は結界越しにマルクの姿を探した。
結界の中では、王がその身を締め上げられ、吐血しながらもなお皇帝に刃を向けていた。だが、齢を重ねた身体では、もはや半妖と化した皇帝には抗えない。
そして……
「くだらん」
冷笑と共に、皇帝の触手がさらに絞り上げる。
——グシャ。
乾いた音とともに、バルナ王の命はあっけなく潰えた。
「陛下あああああああっ!!」
ルキは応戦する敵に精一杯で、王の死をしっかりと目にする余裕さえなかった。
だが、ルミナは違った。結界の向こうに倒れ伏す国王を見つめ、その手を震わせた。
「まるで、全部……計画通り……っ」
彼女の呟きに、兵たちは唇を噛みしめ、剣を握り直す。
「よくも……よくも、陛下を……っ!」
今までバルナの人間を、自分の子供の様に扱ってくれた国王。バルナ兵達にとって国王とは、親も同然の存在だった。そんな恩人をボロ雑巾の様に絞り殺された惨劇を彼らは目の当たりにしたのだ。勝てるはずもないとわかっていながらも、彼らは立ち向かわずにはいられなかった。
「許さんぞおおおーっ!」
マールは、その姿に目を伏せ、立ち尽くす。
マールも同じ気持ちだった。優しかった国王の面影を、ただ繰り返し思い出していた。
そして……我に帰り目に入ったのは、ガンツと剣を交えるマルクだった。マルクは何も言わなかった。ただ、強い意志のこもった瞳で、マールに訴えかけていた。
——マールは、ハッとなり思い出す。
マルクは……以前にマールに伝えていた言葉があった。
「いざとなったら、僕を捨てて兵を退却させてくれ……僕が、殿を務める」
その言葉を、マールは決して忘れてはいなかった。
国王が死んだ今、全兵の指揮権はマールにあった。
親の仇同然のパルメシア帝国に怒りを覚えながらも、誰よりも冷静に戦況を読む必要があった。
そして……
(陛下……お許しください)
……心でそう呟き、少し間をおいて、マールは剣を振るうと共に声を張り上げた。
「バルナ兵は聞けぇぇっ!! 王は倒れた! もはやここに勝機はない! 全員、生きて帰れ!! 一人でも多く、生き延びるのだ!!」
その声に、兵たちが顔を上げた。
敗北を悟りながら、それでも必死に剣を握りしめる者たち。
「生きろ! この絶望を語り継げ! 希望の種を繋げるのは、お前たちだああっ!!」
マールの叫びに、兵たちは涙をにじませながら、なお剣を振るい、退路を切り開こうとする。
マール自身は、混乱の中でルミナとルキの姿を探しながら、彼らだけは——否、まず彼らから——この地獄から逃がすと、静かに心に誓っていた。