第13話 尾行
不審な動きをとるマルクを尾行するルミナ。
一体どうなってしまうのでしょうか。
バルナでの生活にも、ようやく日常のリズムが生まれていた。
訓練場ではルキが汗を流し、ルミナは日々書物をめくり、時には治癒の魔法で兵士たちを支えた。皆がそれぞれの役目を果たしている、そんな平穏な時間……のはずだった。
だが、その日常の中に一つだけ、不自然な影が差していた。
マルクが、毎日のように一人で王宮へ通っていることだった。
ルキはあまり気にも留めなかったし、剣の稽古に夢中で、 マルクの行き先など気にする余裕もなかった。
けれど……
「……今日も、いないのね」
ルミナは、ぽつりと呟いた。
訓練所の帰り、ふと立ち寄った部屋。そこには誰もおらず、ベッドも整ったまま。マルクの気配が、もうずっとここにはない気がしていた。
日が経つにつれ、マルクは二人との距離を取るようになっていた。すれ違っても挨拶すら曖昧で、視線を合わせようとしない。
(やっぱり……怒ってるのかな)
ルミナは、自分の胸に手を当てた。
ルミナはまだ"全て"を話せていなかった。それに対して、 マルクが怒っているのではないか。そう思うと、不安と後悔が波のように押し寄せた。
(でも、ちゃんと……話してくれないと、わからないよ)
ーーこのままではいけない。
そしてついに、ルミナは意を決して、マルクの後を追うことにした。
ーーその日、マルクは静かに王宮の門をくぐった。
闇に紛れたルミナは、城門の陰からそっと後を追う。バルナ王国の王宮にも何度か足を運び、顔を知られるようになっていた彼女は、咎められることなく内部へと潜り込むことに成功した。
廊下を進むマルク。その足取りはいつになく重かった。
やがて彼は、一つの部屋の扉の前で立ち止まる。
辺りを一度見まわし、部屋に入るマルク。
中からは、多く人の話し声が微かに漏れ聞こえてきた。
(……王様の声……マールさんも……?)
壁際に身を寄せ、ルミナはじっと耳を澄ました。
「ーー例の件ですが、マルクさん単独では、やはり危険かと……」
「……仕方がない……皇帝の暗殺が優先だ」
その声に、ルミナの心臓が跳ね上がった。
聞き慣れた、あの優しい声。迷いのない、静かな決意。だが内容はあまりに重く、受け止めきれなかった。
(……暗殺……? マルクが……?)
「老体では、足りぬかも知れぬが……いざとなっては私も剣を取ろう……」
バルナに長く滞在する理由。
不穏な動きを見せるマルク。
ーー直感で、全てを理解したルミナは立ち上がっていた。
(やだ……そんなの、だめだよ……!)
音を立てぬよう、しかし堪えきれず、駆け出すようにその場を離れる。
部屋の中、ふと気配を感じたマールが眉をひそめる。
「……誰か、今そこに?」
扉を開けた彼の目に映った廊下には、誰もいなかった。
ーールミナは泣いていた。胸が苦しくて、呼吸もままならない。
ただ、マルクに“もしものこと”があったらと考えるだけで、涙があふれて止まらなかった。
「どうして……マルクが……!」
王宮の階段を駆け下りる少女を、遠くからひとりの少年が見ていた。
訓練所の隅で休憩をとっていたルキが、目を細める。
「……なんだ、あれ……? 泣いてた……?」
胸に小さな不安を覚えながら、ルキはその姿をじっと見つめ続けていた。
ーー夜も更け、空には薄雲が漂い、街の灯りが淡く揺れていた。
訓練所での鍛錬を終え、汗を拭きながら歩いていたルキは、王宮から出てくるひとりの姿を目にする。マルクだった。
「……マルク!」
少し駆け足で近づくと、マルクもこちらに気づいて足を止め、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「ルキか。夜遅くまで頑張っているようだな」
「へへ、訓練してると時間なんてあっという間だよ。最近なかなか会えなかったから、ちょっと懐かしいな。」
そう言って、ルキは訓練所での出来事や、騎士たちと打ち解けてきたことを楽しげに話し始めた。マルクは黙って相槌を打ち、時折優しく笑って聞いていた。
だが、ルキの口からふと出た言葉で、その穏やかな空気が変わる。
「そういえばさ。今日、訓練の途中でルミナが……泣きながら王宮から飛び出していくの、見たんだ」
マルクの目がわずかに見開かれる。
「……それは、いつのことだ?」
「たぶん、昼過ぎくらい。何があったか知らないけど、あの泣き方はただ事じゃなかったぞ」
マルクはしばらく無言のまま空を見上げていたが、やがて視線を戻し呟いた。
「……そうか。」
するとルキは眉をひそめ、少し強い口調で言った。
「なあ、マルク。ルミナのやつ、ずっと寂しがってるぞ。 お前、最近一緒にいてやってないだろ? ちょっとでいいから……顔くらい見せてやれよ。」
その一言に、マルクはしばし俯いたのち、小さく息を吐いた。
「……ああ。今から行こう……謝りに。」
そう言って、ふたりは並んでルミナの部屋へと向かった。
ーールミナの部屋の扉をノックしても応答はない。そっと開けると、中は薄暗く、机に伏した小さな背中が揺れていた。
「まだ泣いてんのか……」とルキが呟く。
その声に気づいたのか、ルミナがゆっくり顔を上げた。そしてマルクを見つけるや否や、目に涙を溜めたまま駆け寄った。
「お願い、マルク……暗殺なんて、やめて……!」
マルクの胸に顔を埋め、嗚咽を漏らすルミナ。
マルクは戸惑ったように目を見開いたが、すぐにそっとルミナの肩に手を置いた。
「……聞いていたのか。」
ルミナは、こくんと頷いた。
「マルクが全部背負う必要なんて、ない。他にも方法が、絶対あるはず……!」
ルキは困惑したように眉をひそめ、ふたりを交互に見た。
「ちょっと待てよ。……暗殺って? どう言うことだよ……」
重い沈黙のあと、マルクはルキの方へ向き直り、瞳に決意の光を灯す。
「……わかった。……君たちには、ちゃんと話すよ」
ーーマルクは、静かな声で、しかし言葉を選びながら語り始めた。
その表情は、今までに見たことのないほど険しく、そしてどこか、寂しげだった。
「僕は……バルナ国王が企てた、暗殺計画の中核を担っている。実行の役は、僕だ。……失敗すれば、命はない」
ルキもルミナも、言葉を失ったままマルクを見つめる。
マルクは俯き、声を絞り出すように続けた。
「君たちに話せば……絶対についてくると言うだろう。それが分かってたから、言えなかった」
「当たり前だろ!……俺たちは仲間だぞ!」
ルキが勢いよく声を上げた。
「私だって……!」
ルミナも泣きながら、さらに言葉を重ねた。
「戦うって決めて、ついてきたんだよ……!」
「……それでもダメだ」
マルクの声は静かで、しかしはっきりと拒絶を告げた。
「ルキ、君は強くなった。でも、まだ子どもだ。無理をすれば、命を落とす」
ルキに言い放った。
「……そしてルミナ。君にはもう、……傷ついてほしくない。それに……失うわけには……いかない」
ルミナははっとして、口をつぐんだ。自分の運命の重さが、胸の中にずしりとのしかかる。何も言えず、ただ下を向いた。
ルキは理解が及ばず、強く拳を握る。けれど、マルクの決意を前に、言い返すこともできなかった。
「……悪いけど、これは命令だ。来ないでくれ」
そう言って、マルクは踵を返し、静かに部屋を出ていった。
部屋に残されたルミナは、ただただ涙を流すばかりだった。
「どうしよう……どうすれば、このままじゃマルクが……」
ルキは拳を握りしめ、黙って部屋を出て行った。
ーー翌朝。
ルキは早朝から目を覚ますと、迷うことなくルミナの部屋へと向かった。
勢いよく扉を開け放ち、「行くぞ」とだけ言ってルミナの手を強く引いた。
「え、ちょっと、なによ急に!?」
ルミナは驚き、戸惑いの声を上げるが、ルキは振り返らず歩き続けた。
連れてこられたのは、訓練所の奥……そこにいたのは、剣を磨いていたマールだった。
「ルキくん、ルミナさん。どうしましたか?」
マールはいつもの穏やかな声で問いかける。
ルキは意を決してマールに言う。
「……暗殺計画の件で、話がしたい」
マールの目が見開かれる。思わず動きを止めたルミナも、ルキを見つめる。
マールは少し黙った後、
「……少し場所を変えましょう」
真剣な声で言い、二人を王宮内の静かな一室へと案内した。