1:大好きなお姉さまが婚約破棄されました(8)
「わたくしが殿下を好きかどうか? 考えてもみなかったわ」
エレノアは頬に手を添え、記憶を掘り起こそうとしている。
「……ジェラルド殿下と婚約が決まって、立派な妃にならなければと、そんな気持ちでいっぱいだったし」
「お姉さまは殿下に未練がありますか? 殿下と結婚したいですか? お姉さまと婚約しているのに、ほかの女性を隣に置くような殿下と、結婚したいですか?」
セシリアがぐいぐいとせまると、エレノアも真剣な眼差しで考え込む。
しかし、それに声をあげたのは母親だった。
「私は反対ね。このまま殿下と婚約関係を続け結婚したとしても、エレノアが幸せになれるとは思えません」
「お母様?」
今まで沈黙を貫いていた母親が意見を口にしたことで、エレノアも動揺を隠せない。
「だけど、エレノアが殿下のことが大好きで、信じたいと言うのであれば別。この婚約を続けるかどうかは、あなたの気持ち次第よ。親としては、やはり娘には幸せになってもらいたいの。私たちのようにね」
驚いた父親は顔をあげ、愛する妻の顔を見る。夫婦の間には、なんともいえない甘い空気が漂い始めた。
父は風魔法の使い手のケアード公爵家、そして母親は水魔法の使い手のコナハン侯爵家の出身だ。二人は、学園時代に出会ったと聞いている。政略的な結婚が多い魔法貴族のなかで、恋愛結婚をした二人なのだ。
そしてエレノアは父親の魔力を受け継いだ。生まれたときから、彼女の側には風の精霊がいる。
「……そうですね。お母様のおっしゃるとおりだと思います。わたくしは、殿下に恋をしていたわけではありません。ただ、魔法貴族としての責務を全うしたいと……」
そこでエレノアは言葉を詰まらせ、下を向く。
もしかして姉が泣いているのではと、セシリアは焦ってしまうが、すぐにエレノアは顔をあげた。その瞳に決意の炎が灯る。
「ジェラルド殿下との婚約解消を受け入れます。慰謝料とか領地とかいらないのですが……くれるというのであればもらっておきましょう」
「だが、どこを選んでも収入の見込めない土地だぞ?」
父親が言うように、厄介払いとでもいうような土地ばかりを提示してきたのだ。
「お父さま。土地のリストを見せてください」
割って入ったのはセシリアだ。
父親は驚いたようにパチパチ瞬いたが、すぐに土地候補の書類をセシリアに手渡した。
それをセシリアとエレノアが一緒に確認する。
(そうだわ。アニメ版のオープニングには、さとうきび畑が描かれていた。クリエーターが沖縄出身で、ほんの遊び心だったと。ええと、その場所はケアード公爵領からも近い……)
謎の記憶が蘇ってきた。
「フェルトンの街がいいです。ここなら、ケアード公爵領から近いです」
また三人の視線がセシリアに集まった。
「フェルトンか……まぁ、どこも似たり寄ったりだからな。だったら、領地から近いという理由で選んでもいいな」
だけど、エレノアの視線は鋭い。まるでセシリアを睨みつけるかのよう。
「お姉さま。どうされました? お顔が、怖いです」
セシリアはにかっと笑って尋ねた。
「セシリア。あなた、視えてるの?」
「はい? お姉さまの顔ならばっちりと見えています」
もう一度、満面の笑みを浮かべる。
「違うわよ。もしかして、未来が視えているの?」
間違いなく、焦った気持ちが顔に出ていた。しまったと思った瞬間、両親が驚いた表情をしたからだ。
七歳の女児に演技など、どだい無理な話だ。ずばりと指摘されたら、誤魔化せない。余計に顔には焦りが生まれる。
「エレノア、どういうことだ? セシリアには未来視が備わっていると?」
「おそらく。セシリア自身は気づいていないかもしれませんが……」
そこでエレノアは説明を始めた。
まずセシリアが学園の大ホールで既視感を覚えたこと。それをセシリア自身が疑問に思い、エレノアに尋ねてきたこと。さらに会ったこともないイライザの名前を言い当てたこと。そして今、土地のリストから迷わずにフェルトンの街を選んだこと。領地から近いと言っているが、絶対にほかの理由があるはずだと。
セシリアの顔はしだいに青ざめていく。昨日、脳内に流れ込んできた謎の記憶。そして今朝方、夢だと思っていたエレノアの未来。
それが過去視や遠視といった魔法の力である可能性が出てきた。そしてこの能力は選ばれし人間にしか使えない。