1:大好きなお姉さまが婚約破棄されました(4)
「――セシリア、朝よ。起きなさい」
鈴を転がすような声が聞こえて、セシリアは目を開ける。頭はまだもやがかかったようにぼんやりとしている。
「あ、お姉さま。おはようございます……」
目の前に大好きなエレノアの顔があった。
「おはよう、セシリア。あなたがなかなか目覚めないから、アニーが困っていたわ。昨日は、よっぽど疲れていたのね」
アニーとはセシリア付きの侍女だ。着替えやらなんやらを手伝ってくれる大好きな侍女。年はエレノアよりもほんの少しだけ上。
良家の子女は、行儀見習いを兼ねて他家に奉公に出る。アニーは魔法貴族ではないが、子爵令嬢だ。つまり良家の子女に該当する。
魔法貴族の出でない者も、魔法学園とは別の学校に通うことはできる。しかしアニーは学校には通わず、ケアード公爵家へとやってきたのが今から五年前。セシリアが二歳のとき。
アニーは最初からセシリア付きだったわけではない。ただセシリアがアニーが大好きだから、この屋敷の仕事に慣れた頃、両親にお願いしたのだ。
そのアニーがいくら声をかけてもセシリアが起きなかったため、困り果てた彼女は両親とエレノアに助けを求めたようだ。そしてその話を聞いたエレノアが、わざわざ部屋にまでやってきて、こうやって起こしてくれたというわけだ。
「さあ、セシリア。お父様もお母様も、お腹を空かせて食堂で待っているわ。さっさと着替えましょう」
そう言ったエレノアは、部屋の隅に控えていたアニーに目配せをする。アニーも安堵の笑みを浮かべている。よっぽど心配していたのだろう。
「おはよう、アニー」
「おはようございます、セシリア様。目が覚めてよかったです……」
「そうよ、セシリア。アニーの慌てようったら」
「エレノア様……それは、言わない約束では……」
「え? そうだっけ?」
とぼけるエレノアにアニーは困った様子を見せるものの、嫌がっているようには見えなかった。仲のよい友達がじゃれ合っているかのよう。
昨夜のパーティーのことがあったというのに、エレノアが笑顔でよかったとセシリアは胸をなでおろす。
「はいはい。アニーもセシリアの準備を手伝ってちょうだい」
ぱんぱんと手を叩いて、場を仕切り直したエレノアの声で我に返る。
アニーの仕事は早くて正確だ。あれよあれよといううちに、セシリアの身支度は整った。
白いレースのエプロンがついている、ラベンダー色のエプロンドレスである。髪の毛は、エレノアが手早く三つ編みを二本作ってくれた。いつもはアニーの仕事だというのに、エレノアがやりたいと言い出したからだ。
「では、食堂にいきましょう」
エレノアとしっかりと手を繋いで、セシリアは目的地に爪先を向けた。
食堂にはすでに両親がそろっていて、にこやかにセシリアたちを迎えてくれた。
「おはよう、エレノア、セシリア」
「おはようございます、お父さま、お母さま」
「おはようございます。今日のセシリアはお寝坊さんだったのよ。わたくしが起こして、やっと起きたの」
執事が椅子を引きエレノアは自然と座るものの、口だけはしっかりと動いている。
「昨日は慣れない場で疲れたのだろう。今日はゆっくりと休んでいなさい」
父親のその声が合図になったかのように、食事が運ばれてきた。
セシリアがぐっすりと眠りこけてしまったのは、わけのわからない記憶のせいだ。
夢だと思っていた。いや、あれは間違いなく夢だった。ただ夢から覚めても、内容はばっちりと覚えている。
横目でチラリとエレノアを確認すると、目が合った。
「セシリア、こちらのジャムも美味しいわよ」
エレノアがオレンジ色のジャムを手渡した。
婚約破棄を突きつけられて落ち込んでいると思われたエレノアだが、そうでもなかった。いや、落ち込んでいるのかもしれない。それを家族に悟られないようにと気丈に振る舞っているのだろう。
なによりも、夢の中の彼女は間違いなくジェラルドが好きだった。むしろ執着とも呼べるような感情だった。そのいきすぎた歪んだ愛の先に待っているのが処刑である。
だけど、断固としてそれを回避したい。
それに流れ込んできた記憶の中のエレノアと、セシリアが知っている目の前のエレノアはどこか違う感じがする。
(そうだわ……お父様はいつも、見方を変えてみなさいと言っていたわ。あの記憶はすべてイライザ視点によるもの。となれば、お姉様から話を聞かなくちゃ)
だが、どうやってエレノアから話を聞き出すべきか。
どうして、婚約解消されたの? と無邪気に聞いたところでそれはエレノアの心の傷をえぐるだけだろう。それとなく聞き出す方法はないだろうか。
エレノアがすすめてくれたジャムをパンにたっぷりと塗りつけながら、セシリアは考える。
(婚約解消の書類が届くのは今日の午後。だけど陛下もお姉様のことを気に入っているから、意思確認のような書類だったはず……)
ジャムたっぷりのパンをちぎって口の中に放り込むと、オレンジの酸味が頭をすっきりとさせ、甘味によって心がふわりと落ち着いた。
(婚約解消による慰謝料が提示されるけれど、それが最低金額で……ほかに王家直轄の領地をという話だったけれど、その領地も王家がもてあましている場所で……。だからお父様は婚約解消するメリットが見いだせず、陛下に謁見の申し込みをする。その結果、陛下の思惑とおりお姉様とジェラルド様の婚約は解消されず、このあとも続くことになる……)
ジェラルドがあの場で婚約破棄宣言をしても、簡単にそれが実現されるわけではない。国王も巻き込んで、後腐れないように手続きする必要があるのだが、やはり国王は二人の婚約解消については反対なのだ。
王太子妃として、エレノア以上にふさわしい女性はいないだろう。魔法公爵家の娘で、父親は外交大臣を務め国内外に顔が広い。母親も、独身時代には学園で教鞭をふるっている。また、水魔法を繊細に操るため、水害が起こったときにはたまに呼び出される。この国の水瓶を守っているのはケアード公爵夫人とも、裏ではささやかれているほど。
だから王家としては、エレノアとジェラルドの婚姻によってケアード公爵家との繋がりを強固たるものにしたかった。
「セシリア。今日はたくさん食べたのね」
母親の声で我に返る。
「はい」
元気よく返事をしたセシリアは、牛乳をごくりと飲んだ。