最終話 勇者たちは眠りについた
人がごった返していた。かなりの大都市だ。道は整備され、人々の服装は見慣れないものだった。
「今日はお祭りなんだよ」
手を離し、リィナが言った。
「勇者クリスティアン生誕三百年の!」
色々と確認したいことがあり、彼女にまた尋ねようとしたときだ。背後から背を叩かれた。
「兄ちゃん、いいね! その格好、勇者クリスティアンだろう?」
振り返ると、酔っ払っているのか、赤い顔をした男がにこにこと笑っている。
「俺がクリスティアンなんだが」
「なりきってるね! じゃあな!」と、陽気に男は去って行く。
「クリス! こっちだよ、見せたいものがあるんだ!」
連れて行かれたのは広場だった。ここが一番人が多い。露天が並び、皆、浮かれた雰囲気だった。
一際目を引いたのかが、広場のど真ん中にそびえる銅像だ。
俺だった。
足下にはこう書かれている。“勇者クリスティアンの像”
思わず言った。
「俺は勇者じゃない」
「勇者だよ」
「違う」
「違わないよ」はっきりと、彼女は言った。
「魔王を倒したのはわたしだって、世界中の人は知っているし、わたしの像もお祭りもあるよ。だけど一緒に、勇者クリスティアンも愛されてる」
銅像を見た。多分伝聞で作り上げられた像なのだろう。実物よりも大柄で、顔は厳つかった。
「俺はずっと非道いことを考えていた。君が現れなければよかったと。君の才能なんて気のせいだと。俺だけが勇者なんだと、そんなことばかり考えていた」
今思えば、とても勇者の器ではない。
「わたしが思うのは、何を考えているかじゃなく何をしたかが重要だってこと」
いたずらっぽく、彼女は笑う。
「……勇者って、剣に選ばれたからなるもんじゃないんだって、思う。みんなを勇気づけて、元気づけて、誰よりも勇敢で優しいあなただから、勇者なんだよ。みんなあなたの弱さに気づいていた。でもね、大好きだった。あなたは誇りを失わなかった。そんなあなただから、みんな愛していたんだ。わたしも、愛していた。
あなたが何を考えていたとしても、あなたはわたしに居場所を作ってくれた。剣も魔法も教えてくれた。わたしに生きる意味を与えてくれた。その事実は変えられない」
ほっと、救われたようだった。俺がやったことは無駄ではなかったんだ。俺がリィナに剣を届け、リィナは世界を救った。戦った日々は、今も人々の胸に生きている。
彼女は再度、俺の手を握った。
「もう一つ、行きたい場所があるんだ」
次には、森の中にいた。
目覚めた森とは、また雰囲気が異なる。巨木は神々しく、古の神々を思い起こさせた。
「ここがわたしの故郷。もう、戦いの跡なんて少しもないよ。三百年かけて、再生したの。一族は街に移り住んで、他の人ともう、見分けはつかないけれど。――ここに、聖剣を埋葬したいの」
もう魔王はいない。なら聖剣も、もはや聖剣にはなり得ない。
彼女の家族も埋葬されたであろうその場所に、俺たちは深い穴を掘り、聖剣を埋めた。
「勇者も聖剣も、これで終わりか」
俺に価値を与えてくれたその二つは、時を経て伝説に変わり果てた。
「誰の為の剣だったんだろうね。誰の為の魔王で、誰の為の勇者だったんだろう」
ぽつりと呟くリィナに、俺は問いかけた。
「もう、教えてくれてもいいだろう。俺を蘇らせるために、君は何を犠牲にしたんだ?」
彼女の体はどこにも悪いところはない。以前のように、体の一部を犠牲にしてはいなかった。
「さっきも言ったけど、わたし、魔王から命をもらったの」ふふ、と彼女は笑う。
「仲間を看取って、魔王を看取って、次に何をしたらいいか分からなかった。それで、あなたが言っていたことを思い出したの。世界は美しいんだって。
だから、世界中を回ってみた。いろんな人がいたよ。悲しいこともあった。でも、楽しかった。本当に楽しかった。
それで思ったんだ。クリスに伝えたいって。わたしを見つけてくれてありがとうって、伝えなくちゃいけない」
風が吹き、彼女の髪を揺らす。
「わたし、三百年で、せいぜい十歳くらいしか年を取らなかった。残りの寿命はどれほどあるんだろうって考えたら、なんだか、もういいかなって思ったの。それで、最後にあなたに会いたかった。
蘇らせた代償は、わたしの残りの寿命全部。それで、あなたを一日だけ、生き返らせてもらった」
「ああ、なんだか、そんな気がしていたんだ」
予期していたことだった。命には命が必要だ。
一度死んだ命に、再び生が宿っただけでも奇跡だ。俺の人生が無駄ではなかったと知れたことも、奇跡だ。
「死にたかったわけじゃないよ。でも十分生きたから。あなたにも会いたかったし。
知ってた? わたし、クリスのこと大好きだから」
「知ってたよ」
初めて会った時から、俺も同じ感情を抱いていたのだから。
巨木の下に二人して腰掛け、ひたすらに語り合った。俺の家族の話、生まれた国の話、仲間の笑える話、リィナの故郷の話、家族の話、俺が死んでいた時の彼女の旅の話。
いつまで経っても、話題が尽きることはなかった。やがて日が傾き、夕闇が迫り、夜へと変わっても、俺たちは話し続けた。
魔王の話。勇者の話。聖剣の話。一番最初の友達の話。
リィナの命が終われば、彼女に継承された魔王の力は再び解放されるのかもしれない。
あるいは人類が増えた時、“偉い人”どもが再び魔王を作り出すかもしれない。
その時、また勇者と聖剣の話が始まるのだろう。
だが俺と彼女の話は、今日で終わりだ。
「ねえクリス」彼女が言う。「やっぱりわたしにとっての勇者は、クリスティアンだけよ。ずっとずっと、そうだから――」
だったら、俺にとっての勇者は。
憧れ、そうなりたいと願い、焦がれたのは。
その言葉が、最後まで伝わったか分からない。
リィナが俺の肩にもたれかかる。幸福そうな表情のまま、まるで眠るように、先に逝った。
一人残された俺は、静かな森の声を聞く。
ふいに誰かに見られているような気がして、顔をあげた。夜空に浮かぶ、大きな金色の月があった。誰かの瞳に、よく似ていた。
孤高で、荘厳で、人を寄せ付けない輝きを放ち、されど柔らかく、闇を照らし続ける、その瞳に。
俺の体から、ゆっくりと力が抜けていく。その前に、既に熱を失った、リィナの体を抱きしめた。
俺は人を救えただろうか。望むような勇者になれただろうか。いいや違う。勇者でなくても別にいい。
誰の為の命だったんだろうか。きっと誰の為でもない。それでも誰かを救いたくて、俺の命はあったのだ。
願わくば、誰かがこんな夜に俺を思い出し、わずか一歩踏み出す助けになれたらいい。それで俺は満足だ。月になれずとも、輝けずとも、それでいいんだ。
俺が俺としてあれてよかった。他の何者でもない俺でよかったんだ。
なあリィナ。君がそう、気づかせてくれたんだ。俺にとっての勇者は、リィナ、君だけなんだ。
傍から、返事はない。
だが俺は、いまだかつてないほどに満たされていた。
なあ、俺たち、本当によく頑張ったよな。与えられた役目を、最後まで全うしたのだから。
返事はやはりなかったが、彼女はきっと同意していることだろう。
そうして夜が明ける前、俺も目を閉じて、今度こそ、二度と目覚めはしなかった。
〈おしまい〉