死にかけ勇者クリスティアン
俺は勇者クリスティアン。
誰もが俺の名を呼び、俺に憧れる。俺の似顔絵を入れた商品は瞬く間に売れるし、俺の救った街はクリスティアン町へと名称を変更した。至る所に俺の銅像が立っている。人々に尊敬され、称えられてきた。
それが俺。勇者クリスティアンだ。
だが今、俺は死にかけていた。
魔物との戦いで負傷したなら、まだ格好がつくというものだ。
俺は、病に倒れていた。
魔物との戦いの最中、血を吐いて倒れ、いっそのこと死んだ方がましだと思える熱にかかり、数日寝込んだ、そんな末の日だった。
運命の出会いがあった。
出会いはあまりにも唐突で、そうして鮮明だった。
「クリス、あなたに会いたいという方が……」
気遣わしげな仲間の一人の声とともに、俺が休んでいるテントの中に、彼女が入ってきた。
痛みと熱により意識は朦朧としていたが、それでも彼女の姿はいやにはっきりと見えた。十代半ばだろうか。汚れた服と痩せ細った体から、裕福でないだろうことは推測できた。
だがその目の輝きは、尋常じゃなかった。夜空の星を全て集めて凝縮したような、あるいは数万人殺した後の英雄のような、そんな奇妙な光を放っているように感じた。
だが俺が注目したのはそこじゃない。
注目したのは、彼女が手に持っていたものだ。
「なぜ、その剣を持っている?」
声を出すのも痛みを伴ったが、尋ねずにはいられなかった。
――それは、勇者が天から与えられる聖剣だった。
倒れた際に手から離れ失せてしまい、もう二度と戻ってこないと思っていたものだ。
仲間達も彼女に驚いている。無理もない。聖剣は、勇者か、あるいは剣に選ばれた導き手にしか触れないものだから。
恐らく少女はその事実を知らないのだろう。
何食わぬ顔でその剣を持ち上げると、俺の方へ雑に放り投げ、そうして初めて声を出した。
「拾ったんだ。礼をちょうだい。お金がいい」
明確な発音の、利口そうな声だった。
面食らう。
幼少期に剣に選ばれて以来、俺は勇者であったから、そのような礼を欠いた態度に慣れておらず、妙に新鮮に感じたせいだ。
「金を貰ってどうするんだ?」
「遠くへ逃げる」彼女は答えた。「奴隷商人がいないところまで」
重ねて問おうとして、咳き込んだ。口から血混じりの痰が出る。
「今日は遅い。話は明日にしましょう」また別の仲間が、俺の背をさすりながら言った。
剣を届けに来た少女は頷き、テントを出て行く。
遠ざかっていく声が聞こえた。
――本当にあれが勇者クリスティアンなの? まるで病人みたいだ。
情けないが、これが俺だった。
俺が勇者になったのは、十三歳の時だった。
やはり今と同じように病に倒れ、高熱に数日苦しんだ末に、剣を見つけた。剣を見つけ、病は消えた。
同時に俺には使命が与えられた。
拾ったのは聖剣であったから、俺は勇者だった。だから使命はとってもシンプル。こうだ――魔王を倒せ。
以来、七年、魔物を倒しながら、魔王を探していた。そうしてようやく、居場所を突き止め、病に倒れた。
翌日になって、体の変化に気がついた。だるさはなく、頭も軽い。食欲もある。健康体に戻った気分だ。
「もしや効果の弱い呪いや毒の類いだったのでしょうか」
テントの中で朝食を食べている際、様子を見に来た仲間の一人がそう言った。数日すれば治るものだったのかもしれない。あるいは――傍らの剣を見つめて思う。この聖剣が俺の手元に戻ったせいか。
と、テントの入り口が乱雑に開かれた。
見張りが侵入者を止めているが、俺が制したのは見張りの方だ。テントを開きやってきたのは、昨日の少女だった。
昨日から、変化はしている。汚れた体は清められ、長くボサボサだった髪は結い上げられている。仲間の服を借りたのか、清潔な格好をしていた。
しばらくの間、声さえ忘れて彼女の様相に見入ってしまった。
改めて見ると、恐ろしいほどに整った顔立ちをしていることが分かる。
単に見目が整っているという感覚とはまた異なる。人の持つ、根源的な生命力が溢れ出しているような美しさだった。
高い頂に積もる雪のようなほとんど白銀に近い金色の髪に、野生の狼を彷彿とさせる金色の瞳。昨日は恐ろしく思えたその瞳は、わずかに落ち着いて見える。
「昨日とは別人だ」
「あなたもね、今日は健康そうに見える」
そっけなく、彼女は応じた。
「勇者クリスティアンの仲間に、勇者に会うなら綺麗にしろと、湯浴みさせられたんだ」
言いながら、俺の隣に腰掛ける。
「昨夜のうちに逃げようとも思ったけど、まだ礼を受け取っていないから」
そう言って、視線を聖剣に向けた。俺もつられて剣を見る。
「何人殺した?」無意識にそう問いかけていた。
少女は驚いたように目を丸くした後で、ばつが悪そうに答える。
「わたしが殺したんじゃない。剣が殺したんだ」
側で不穏そうな表情で俺らのやりとりを聞いていた仲間が、おずおずと言った。
「奴隷商人から逃げる際に拾ったようで、どうも彼らを始末したようです」
「……でも、なんで分かるの?」
彼女の問いに、俺は答える。
「勇者は剣の声を聞くことができるからな」
明確な声ではなく、感情や雰囲気が伝わってくる程度のものだったが、人を斬った後の聖剣が纏う空気は、いつだって同じだった。
「じゃあわたしも勇者? 剣はあいつらを殺していいって言ってた」
勇者が何人もいてたまるか。勇者は俺だけだ。数年間、ずっと魔物相手に戦って来たんだぞ。それをほいほい現れた少女に軽々しく勇者などと言われては困る。
「いや君は、“導き手”だ」
言った瞬間、仲間は目を見張った。
俺が勇者なのだから、少女は導き手以外に考えられない。
まあ、導き手だとしても困る。
まだ魔王も倒していないのに情けのない話であるが、俺は勇者としての役目を終えるらしい。それ以外に、説明がつかなかった。
不思議そうな表情をしている少女は、きっと教育を受けていないに違いない。普通の人間であれば、導き手と勇者の話は学校で習うはずだ。
「ミチビキテって、なに?」
「導き手は、剣を護り、勇者に届けるのが使命だ。古くから、そう決まっている」
彼女はなおも、腑に落ちてはいなかった。
「じゃあ使命は果たしたんでしょう? わたしは勇者クリスティアンに、見事聖剣を届けたんだもの」
違う。首を横に振りながら、俺は言った。
「導き手は、勇者と勇者の間に、剣の世話をする役目がある。つまり今の勇者である俺から、次の勇者に代替わりだ。君はその役目を神からもらったってことだな」
「じゃあ、あなたは死ぬの?」
彼女の瞳が、初めて揺れたように思えた。「なんて失礼なことを!」仲間が彼女を怒っている。不躾な態度に俺も一発怒りたかった。俺だって死にたいわけではないし、勇者の役目を他の誰かに渡す気もない。だが、仲間の手前、勇者である建前があり、努めて冷静に言った。
「母も突然の吐血から、すぐに亡くなった。きっと同じ病だ。剣はそれを悟り、次の勇者を探し始めて、その役割を君に託したんだろう」
「でも、死ぬまではあなたが勇者でしょう? 勇者と勇者の間に剣を預かるのが導き手なら、剣はまだあなたのものだ」
多分、彼女に悪意はない。純粋に、俺に問いかけているようだ。
勇者の寛大さを見せつけようと俺はあえて大きく頷いた。
「まあな。確かにそうだ。剣をありがとう。でも俺が死んだら、剣は君によって次の勇者に運ばれなくてはならない」
ふうん、と彼女は言った。
俺は困惑する。なんてつまらなそうな表情なんだ。導き手というのはとても尊い役目で、勇者ほどではないけれど、誰もが羨むものなのに。
ならここは、懐の大きな勇者であることを見せつけるため、彼女を誘ってみよう。
「じきに俺は死ぬだろうから、それまで俺といればいい。勇者のお供を奴隷にしようとする頓狂な奴はいないから、安全だ」
どうせ着いて来ないだろうと思った。勇者の旅は魔物との戦いの旅であり、過酷極まるものだから、少女の望むものは得られない。
少女が去って、俺が死んだなら、聖剣は別の者を導き手に選ぶだけだ。どうせ人は死ぬ。死ぬまでに何をなしたかが重要だ。病が進行するのなら、俺は死ぬ前に魔王を倒し、勇者として世界中から尊敬されたい。
だが彼女は、相変わらず表情を変えないままで頷いた。
「一緒に行く」
なんてこった。だが聖剣は渡さないぞ。これは勇者のものだからだ。
「君の名前は?」
「リィナ。姓は知らない」
古い言葉で、“祝福”という意味の名前だ。俺はリィナにしぶしぶ言った。
「リィナ。君を歓迎する。……それから、奴隷商人を殺したのは、俺も間違ってないと思うよ」
後半は本音だった。
初めて、リィナは微かに微笑んだ。
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剣と魔法、勇者と魔王のファンタジーが書きたくて作りました。
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