26 恋の終わり
自室に戻ったトゥランは、露台に続く窓を大きく開け放ち、窓辺の長椅子でゴロゴロしていた。
「……なぁヨナ、おれの気のせいだったと思うか?」
「何のお話ですか?」
ヨナは、トゥランの衣装を箱から出しながら聞き返した。
北の領主の城に置いてきた使節団がようやく戻って来たので、ヨナはやる事がたくさんあって忙しい。
「おれは、あの娘がシオンの代役をやっていたと思ったんだが……何だか自信がなくなった」
「でも昨日は、シオン王子の様子に違和感があったと言っていませんでしたか?」
ヨナにそう言われて、トゥランは昨日のシオンの姿を思い出した。
確かにそうだ。今まで会っていたシオン王子は、病弱さなど感じさせないほど溌溂としていて明るかったのに、昨日のシオンにはそれが無かった。
「そうなんだが……今朝あの娘と話してみたら、なんかこう、違うんだよな」
「そう言えば、泣かせてましたね」
ヨナは、ちらりと冷たい視線を主に送る。
「いや……ナガルに似てないって言ったくらいで、まさか泣くとは思わないだろう?」
いつもは嫌味なくらい自信たっぷりに生きているくせに、時々、ただの子供のようになる主人に、ヨナは呆れたようにため息をつく。
「ナガルさんが言っていましたよね、母親が違うって。案外彼女は、その事を知らなかったんじゃないですか?」
「ああ……なるほどな!」
「それに、わたしはトゥランさまの気のせいではないと思いますよ」
ヨナは衣装を棚にしまいながら答える。
「わたしは本物のシオン王子には会っていませんが、先日までのシオン王子とあの娘は確かに似ています。それに、ナガルさんがシオン王子の従者になったのは、確かひと月ほど前でしたよね? ならば、こうは考えられませんか? あの娘がナガルさんの出仕について都へ来たのではなく、その反対だったとは」
「反対? ナガルが、カナンについて来たってのか?」
「ええ。あの娘が王の隠し子なのか、亡き王妃の血縁なのかはわかりませんが、王子の代役を命じられた妹に、兄がついて来たとは考えられませんか?」
「なるほど……さすがヨナだな」
トゥランはニヤリと笑うと、むくりと起き上がって長椅子の上で胡坐をかく。
「やはり、確かめたいな」
「ええっ、もういいじゃありませんか。それよりも、鳥便が持って来た皇帝陛下からの密命のことを考えて下さいよ!」
ヨナは立ち上がると、長椅子の前まで進み、怖い顔でトゥランを見下ろした。
「宮中で孤立無援のあなたには、陛下の求めに応じることが何より大切なことではありませんか?」
「はぁ? 皇帝の命令は、水龍王の返事を聞いて来いってだけだろ。属国か人質を渡すか。皇帝が提示した選択肢は、二択に見えるだけで答えは一つだ。おれがやるのは、この国の王に、他の選択をさせないようにするだけだ。簡単な事だろう?」
トゥランは両手を広げてやる気無さそうに言う。
「……では、あなた自身の野望はどうしたのですか? もともと水龍国へは、王女との婚姻の可能性を探りに来たのですよね? それなのに、あなたは王女に気にいられたら逃げ回ってばかり。王女をたぶらかすどころか、体の弱い王子を構って遊んでばかりではありませんか。気が乗らないのはわかります。こんな小国じゃ役に立たない可能性もありますが、いい加減この先の事を考えて下さい。わたしはあなたに、どこまでもついて行くと決めているのですよ!」
ヨナはトゥランを問いつめる。
「そいつは悪かったな。だがおれは、頭の弱い女は趣味じゃないんだ」
トゥランは相変わらずふざけた格好で、のほほんと答える。
「あなたがこの国の実権を握ってしまえば、女など好きに出来ます。なにも王女に義理立てする必要はありません」
「そうは言ってもなぁ、あの王女は煩すぎてかなわん」
トゥランは嫌そうにパタパタと手を振る。これほど嫌いになってしまっては、ヨナも諦めるしかない。
「では、妹姫の方にしますか? それとも、あの娘が王の血縁か調べましょうか?」
ヨナはため息をついて、呆れたような微笑みを浮かべた。
「それは面白そうだな。ぜひ調べてくれ、ヨナ」
どこまで本気なのか、トゥランは真顔で食いついてくる。
「では……南へ鳥便を放っておきますよ」
ヨナはがっくりと肩を落とした。
〇 〇
スーファ王女からのお茶の誘いを、この日のトゥランは珍しく快諾した。
どうした風の吹き回しですかとヨナが聞いても、トゥランは笑みを浮かべただけで何も答えなかった。
王宮の庭園にある池の中央に張り出した白い石造りの東屋は、水辺ということもあって涼しい風が吹いている。
氷で冷やされたお茶と花のような菓子を、侍女が円卓に置いてゆく。
スーファは頬を上気させたまま、侍女が下がるのを待っていた。
「来てくださってありがとうございます、トゥランさま。何度もお誘いして、申し訳ありませんでした」
スーファの様子を見て、トゥランは笑みを漏らした。
「確かに困りました。スーファ王女、あなたはきっと、おれが月紫国の重要な皇子だと勘違いされているのですよね?」
「……えっ?」
大きな目を見開いてスーファが呆然とするのを、トゥランは首をかしげたまま眺めている。
「聞いていないですか? おれが二十七番目の皇子だって。皇帝や皇太子にとって、大勢いる皇子はもはや家臣のようなものです。皇太子にはすでに正妃がいるが、あなたがもし月紫国の皇妃になりたいなら、皇太子が皇帝になるとき後宮へ入ればいい。女同士の争いは絶えないが、数は問わない」
「わっ……わたしは、そんな……」
スーファは可哀そうなくらい動揺している。
「おれに言わせれば、こんな平和な国からは離れない方がいい……が、それはあなたの自由だ」
トゥランは意地悪な言い方をして、一息にお茶を飲み干す。
「わたしは、トゥランさまのことが……」
「ほう、あなたは異国の、しかも家臣扱いの皇子でもいいと?」
「どうせ……異国へ嫁がなくてはならないなら、好きな方の所へ嫁ぎたいと思ってはいけませんか?」
スーファは顔を上げて、真正面からトゥランを見つめる。
「いいや。だが、あなたはいろんな事に幻想を抱き過ぎている。月紫国で生きるのは命がけだぞ」
「ならば、トゥランさまが水龍へ来ればいいのです」
怒ったように言うスーファを見て、トゥランは声を上げて笑った。
「シオンにもそう言われたぞ。自分の代わりに王になれとな」
「あ……兄上に?」
「ああ。だが断った」
「なぜですか?」
スーファの懇願するような瞳から、トゥランは目をそらした。
「おれはこの国のことを、それほど大切には思っていない。万が一おれが王になどなれば、きっとこの国をめちゃくちゃにしてしまうだろう。もしそうなっても、スーファ王女、あなたではおれを止めることが出来ない」
トゥランは静かに立ち上がった。
スーファの顔を見下ろすと、口元が微かに震えている。
もう十分だろう、とトゥランは思った。
もう二度とスーファ王女から誘いを受けることはないだろう。これからは自由にこの王宮に滞在できる。そう思うと、スーファに突きつけた意地悪な言葉への罪悪感よりも、嬉しさが込み上げてくる。
(まったく、羨ましいほど平和な国だな)
トゥランが東屋から出て行くと、木の陰に控えていたヨナが呆れた顔をしているのが見えた。




