【コミカライズ】十七歳の誕生日、わたしは異世界に召喚された
十七歳の誕生日、わたしは異世界に召喚された。
「やったぞ、成功だ!」
キラキラと光る魔方陣の中央、しゃがみ込んだわたしの耳にそんな声が聞こえてくる。魔法使いですって感じのローブを身に纏った人や、騎士っぽい装束の人達が周りを取り囲んで、広間は熱気に包まれていた。
(そっか……成功したんだ)
わたしはわたしで、ちょっとした感動に打ち震えていた。
ずっとずっと、元の世界から逃げ出したかった。消えてしまいたいと思っていたから。
いつも男漁りばかりして、わたしを邪魔者扱いする母親。わたしを身籠ってしまったことが全ての不幸の始まりだったと、何度言い聞かされたか分からない。
『お前が生まれてこなかったら! お前なんか居なくなってしまえば良い!』
それが母親の口癖だった。わたしだって、別に生まれたくて生まれてきたわけじゃない。
少なくとも、あんな母親の所に望んで生まれてくる人間が居るはずないじゃないか。親ガチャに失敗したってよく言われるけど、ホントその通り。
アイツが働かないせいでまともな服も買い与えられず、スマホだって持ってない。スーツ姿の若いお兄さんに必死で勧められて、何とか高校には通わせてもらえることになったけど、クラスでも浮きまくっていたから居場所なんて無かった。
(どうせなら捨ててくれたら良かったのに)
施設で育った人間の方が、余程良い暮らしをしている。そんな風に思って黙ってバイトを始めたら『お前のせいで役所から金を返せと怒られた』と数か月後にめちゃくちゃ打たれた。
(この世界は腐っている)
こんな人間が間近に居ることも知らず能天気に笑っている同級生も、教師も、現状を変える気のない糞みたいな政治家たちも、みんなみんな大嫌いだ。
いっそのこと命を絶ってしまおう――――そう思っていた時に図書館で見つけたのが、いわくありげな一冊の本だった。
ボロボロで分厚い装丁の真っ黒な本――――その中に、異世界へ転移する方法が書かれてある。別に本気で信じていたわけじゃない。だけど、それでどうなっても黙って死ぬよりはましかもしれない。わたしは本に書かれていた方法を試した。その結果がこれだ。
「ようこそ、聖女様」
そう言って一人の男性がわたしの元へと手を差し出した。男性はこの場にいる誰よりも、高そうな服を身に纏っている。年の頃、わたしよりも4~5歳年上といった所だろうか。その割にはめちゃくちゃ偉そうである。
(そっか……わたし、聖女としてこの世界に招かれたんだ)
わたしが立ち上がると、彼は満足そうに微笑む。
「私はヘンリー。この国の王だ」
そう言って男性はグッと胸を張った。
キラキラの金髪、碧い瞳、自分がイケメンだと信じて疑っていない不敵な笑みだ。正直言って好みじゃないし、何だかいけ好かない――――それが国王ヘンリーに対してわたしが抱いた第一印象だった。
「君の名前は?」
「――――里依紗です。横山 里依紗」
「リィサか……良い名前だな」
本名を名乗ると、ヘンリーはそんな風に返事をした。どうやら苗字まで覚える気はないらしい。わたしとしてもそれで構わないので、コクリと小さく頷いて見せる。
「君にはこれから聖女として、この国のために尽くしてもらう」
ヘンリーはそう言って、目を細めて笑った。
***
その日からわたしの聖女としての生活が始まった。
王宮に一室を与えられたわたしは、毎朝早く起こされて近くにある神殿へと強制連行される。そこで数時間祈りを捧げた後、宮殿に帰ってゆっくりできる――――かと思いきやそういう訳にもいかない。
時に魔物の潜む森へ、時に王都で困っている人の元へと赴き、聖女の祈りを捧げる日々を送った。
(疲れた……! あの糞国王、マジで人使い荒いんだけど…………)
わたしなんかに特別な力は存在しないと思っていたけど、この世界に召喚された時点で実装されたらしい。祈るだけで魔物が消失したり、目に見えて弱らせることが出来たし、人々の飢えや傷を癒すことが出来た。
「お疲れ様、リィサ」
気やすくそう声を掛けるのは、わたしに付けられた騎士だ。
「ありがと。ヒロもお疲れ」
ヒロは薄茶色の髪に碧い瞳、人懐っこい笑みが特徴で、モデル出身の俳優みたいな綺麗な顔立ちをしている。あっちの世界に居たら絶対絶対モテるのに、侍女や官女とかで彼に声を掛ける人は不思議と居ない。
(変なの……こっちとあっちじゃ美の基準が逆転してるとか?)
そんな風に思いつつ、わたしは大きなため息を吐く。疲れで身体が限界だった。意味不明なことに、聖女の癒しの力ってのは自分が相手じゃ発動しないらしい。他人のためだけに存在する力って奴だ。
(まぁ、食うには困らないし、服も可愛いのを用意してもらえてるけど)
当然ながら、王宮暮らしは元の世界に比べたら天と地ほどの差があった。肉や魚を食べられるのはもちろんのこと、フルーツやデザートも食べ放題。美味しいし、カロリーにも気を配られているし、至れり尽くせりだ。重労働の対価とはいえ、何だか申し訳ない気分になってくる。
王宮を歩く以上みすぼらしい恰好は出来ないってことで、ドレスも相当良いものを用意してもらっていた。フリルとかレースとか、最初は恥ずかしくて嫌だったけど段々慣れてきたし、毛玉だらけの寸足らずな洋服を着ていた頃よりずっと良い。
(ホント、もう少しだけ自分の時間が貰えたらなぁ)
社畜っていうのはこういう気分なのだろうか。そんな風に思いつつ、侍女に淹れて貰ったお茶を飲む。
(本当はジュースとかの方が疲れが取れると思うんだけど)
貴族や王族っていうのは優雅に見せるのが大事な生き物なのだろう。わたしまでそれに倣って生きる必要があるのかは甚だ疑問だけれど、ここに居る以上は仕方がない。
「ねぇ、ヒロ。わたしは一体いつまでここでこんな生活を送るんだろうね」
ふと頭に過った疑問をぶつけると、ヒロは何とも複雑な表情を浮かべる。すぐに答えがわかったけど、わたしはそのまま身を乗り出した。
「先代の聖女様は? どうなさっていたの?」
「――――――先代の聖女様は、十年前にこの場所で亡くなったんだ」
そう口にするヒロは、ひどく苦し気だった。わたしは眉間に皺を寄せつつ、唇を尖らせる。ヒロは躊躇いがちに口を開閉しつつ、そっと目を伏せた。
「異世界から召喚されて十年間、彼女はこの国に尽くした。毎日神に祈りを捧げ、討伐へと借りだされ、その癖何の自由も与えられなかった。ここを出ることも、誰かを愛することも許されなかった。
本当は聖女なんて名ばかり。正直俺は、聖女っていうのはこの国の生贄なんだと思っている」
ヒロの言葉にわたしは小さく息を呑む。生贄――――どこかしっくりくる言葉だ。
「滅多なことを言うんじゃない」
その時、背後から唐突にそんな声が響いた。振り返れば、そこには国王ヘンリーが居た。険しい表情でヒロを睨みつけ、つかつかとこちらへ近づいてくる。
「――――ノックぐらいして頂いて然るべきだと思いますけど」
思わずわたしはそう口にした。貴族だとか王族だとか関係ない。この異世界においても最低限のマナーだ。
(異世界からやって来た聖女には、そんな礼儀すら不要ってことなんだろうか)
そんな風に思っていると、ヘンリーはニコリと微笑みながら小さく首を傾げた。
「いや……すまなかった。普段はこんなことをしないんだが――――弟がとんでもないことを口走ったのでね。聞き捨てならなかったんだ」
そう言ってヘンリーはわたしの隣にドカリと腰掛ける。彼はそのままわたしの肩をグイッと抱き寄せ、キラキラしい笑顔を浮かべた。
(キモイ……マジで止めて欲しい)
身体を捩りつつ、わたしは眉間に皺を寄せる。そもそもヘンリーは既婚者だ。セクハラに加え、ともすれば不貞行為と取られかねない行動を取るのは如何なものだろう。
(って…………ん?)
わたしはヘンリーの先の発言を振り返りつつ、ふと目を見開いた。
「弟……? ヒロがあなたの?」
言いながらわたしは怪訝な表情を浮かべる。ヒロが王子扱いされている所なんて、わたしは見たことがない。完全な下っ端、何なら庶民のような扱いを受けていた。俄かには信じられない話だ。
「そうだよ。まぁ、弟と言っても非公式だけどね。ヒロは私の父親が前任の聖女に産ませた子なんだ」
そう言ってヘンリーは蔑むような笑みをヒロに向けた。ヒロは何も言わないまま、そっと下を向いている。胸が変な音を立てて鳴り響いた。
(聖女はこの国の生贄……)
先程のヒロの言葉が一気に真実味を帯びてくる。
何の自由もなく、誰かを愛することも許されない。国のため、ただただ酷使されるだけ。
(わたしはそんな人生を望んでいたんだっけ?)
ゴクリと唾を呑みながら、わたしはヘンリーを見上げる。すると彼はニコリと微笑みながら、小さく首を横に振った。
「良いかい、リィサ? 聖女っていうのはとても素晴らしい仕事だ。誰にでもできることじゃない。君にしかできないことだ。皆が君を求めている。君の力が沢山の人々を救っているんだよ?」
そう言ってヘンリーは恭しくわたしの手を握った。わたしは何も言い返せないまま、ヘンリーのことをまじまじと見つめる。
(確かにそれはその通りなんだけど……)
討伐に顔を出せば、騎士達は皆喜んでくれる。わたしのお陰で魔物に食い荒らされた土地を少しずつ取り戻せているのだと彼等は教えてくれた。
王都に住む人々だってそう。皆涙を流して喜んでくれた。病気が治ったとか、苦しみから逃れられたとか、お腹が空かなくなったとか――――色々。
(でも、それってわたしじゃなきゃできないことなのかな?)
全部が全部そうじゃないんじゃない?って思わなくもない。
大体、あっちの世界では困った人を救うのは国の役割だった。『困ったときに何もしてくれない』なんて憤っていた時期もあったけど、少なくとも最低限の生活を保障してくれていたし、親が居なくなった子を育てる制度だとか色々あったもの。この国みたいに聖女に全部を丸投げってことは無い。
(だけど、召喚されたとはいえ、ここに来ることを望んだのはわたし自身だしね……)
そんなわたしの考えを見透かしているかの如く、ヘンリーは目を細めて笑う。
「リィサ――――君にはこれからも期待しているよ」
ポンとわたしの肩を叩き、彼は部屋を後にした。
***
それから半年ほどの時が経った。
わたしはあの日と変わらず、今日も聖女としての務めを果たしている。
「リィサ、こっちに来てくれ!」
ヒロはあれから、前にも増してわたしに優しく接してくれるようになった。何処へ行くにもわたしの側に付き従い、わたしのことを護ってくれる。聞いた話によれば、わたしの知らない所でも鍛錬に励んでくれているらしい。討伐で遠征に出掛ける時も、彼が居れば何の不安も感じなかった。
「どうしたの、ヒロ?」
そう口にしつつ、わたしは思わず目を見張る。空を覆う様にして、虹色の薄いベールが掛かっているのが見えた。それはキラキラと輝きを放ち、とてもとても美しい。わたしは思わず感嘆の声を漏らした。
「見ろよ。これ、リィサの張ってる結界なんだ。毎朝のお祈りの成果って奴」
「……本当に? これ、わたしが張っているの?」
言いながら胸が熱くなった。
半年前のヘンリーとのやり取り以降、わたしはあまり聖女というものについて考えないようにしていた。考え始めると『これで良いのかな?』って不安になるから。だけど、こんなすごいものを自分が作り上げているんだって思うと、何だかこの生活も悪くはない気がしてくる。そんな風に思っていたら、ヒロが徐にわたしの手を握った。
「母さんが言ってたんだ。これを見てると救われるって。この世界に来て良かったって思えるようになるんだって」
そう言ってヒロは、懐かし気に微笑む。
彼もまた、あれ以降聖女や彼の母親について一度も口にしなかった。きっとわたしを気遣ってのことだろう。そう思うと、何だか胸がむず痒くなる。
「ヒロのお母さんの気持ち、よく分かるなぁ。
わたしね……あっちの世界が大嫌いだったの。自分の母親も、周りの人間も、社会も、それを作っている大人たちも――――何もかもが嫌いで堪らなかった。皆消えてしまえって思っていたし、反対に自分が消えてしまいたいとも思った。誰かの役に立ちたいなんて思ったことは無かったし、やり甲斐とかそういうのもどうでも良かった」
本当に、何もかもがどうでも良かった。わたしなんて元々存在しないかのように、社会はクルクルと廻っていく。誰かのために何かを頑張るなんて、とてもじゃないけど考えられない。それじゃいけないって分かっていても、止められなかったのだ。
「だけどね……わたしは多分、誰かに愛されてみたかったし、自分のことを好きになりたかったんだと思う」
そう――――どうでも良いと言いつつ、わたしはいつも腹立たしかった。自分の価値が見出せなくて、いつも苦しくて堪らなかった。ヒロの母親もわたしと同じだったんじゃないか――――そう思うと涙が自然と込み上げてくる。
「俺はリィサのことが好きだよ」
その時、ヒロがそう言った。繋がれたままの手のひらにグッと力が込められる。心が熱く大きく震え、わたしはそっとヒロを見上げた。彼は顔を真っ赤に染め、チラチラと躊躇いがちにわたしのことを見つめている。涙が一気に込み上げてきた。
「そんな風に、悩んだり迷ったりしながら頑張ってるリィサが俺は好きだ。護ってやりたいと思うし、幸せにしてやりたいと思う。君は聖女になるためにこの世界に来たんじゃない。幸せになるために、ここにやって来たんだよ」
そう言ってヒロは穏やかに微笑む。長年誰にも言えないまま、胸に秘めていた願いが疼き始める。
「わたし、幸せになっても良いのかなぁ?」
そんなこと、望んじゃいけないと思っていた。望んでも叶わないと思っていた。どんなに足掻いた所で、わたしを待ち受けるのは真っ暗な闇、絶望しかないんだって思っていたのに。
(ヒロはわたしの光だ)
空に向かって真っ直ぐに伸びるあの虹色の結界のように、温かく優しい光。それは私が焦がれて止まないものだった。掴んで、確かなものにしたくて手を伸ばす――――すると、ヒロがわたしの手を取り優しく彼へと導いた。
「俺が幸せにするよ」
彼の言葉に、私は満面の笑みを浮かべた。
***
「君を私の側室に迎えたいと思っているんだ」
「…………は?」
けれど、国境の地から王宮へと帰還をしたわたしを待っていたのは、ヘンリーからのそんな言葉だった。
人払いをされた国王の執務室。ヘンリーは不敵な笑みを浮かべつつ、わたしの方へと近づいてくる。わたしは後退りつつ、眉間にぐっと皺を寄せた。
「光栄だろう? 君はこの国で最高の栄誉を手にするんだ」
「――――ご冗談を。王妃様に何と仰るおつもりですか? 大体、この国に側室なんて制度は無いでしょう?」
「無いものは作ればいいだけだ。私は王だよ? 私が望めば何でも叶う。妃にだって何も言わせはしないよ」
ヘンリーはそう言って首をひねる。まるで『何が悪いんだ』とでも言いたげな表情だ。
(こいつ……本気だ)
ゾワゾワと身の毛がよだつ。気持ちが悪い――――反射的にわたしは首を横に振った。
「今なら前任の聖女を手籠めにした父上の気持ちがよく分かるよ。人間、毛色の違うものはついつい愛でたくなるものだよね。リィサは愛らしい顔立ちをしているし、その反抗的な表情――――ついつい屈服させたくなる」
下卑た笑み。わたしは急いで執務室のドアに向かって走る。けれど、それより早くヘンリーがわたしの手を掴んだ。グイッとその場に押し倒される形になって、わたしは必死に抵抗する。けれどヘンリーは寧ろ嬉しそうな表情を浮かべ、わたしのことを押さえつけた。
「おっ……お待ちください! わたしは――――わたしには好きな人がいるんです! ヒロと……彼と将来の約束をしました! どうか、考え直してください」
「――――――ヒロと?」
言いながらヘンリーはピタリと動きを止めた。わたしはホッと胸を撫でおろす。けれどそれも束の間、彼はフハッと吹き出し、大声で笑い始めた。
「そいつは良い。私はあいつが大嫌いなんだ! 同じ血が流れているなんて信じられない……本当に忌々しい男だよ。
本当は、あいつの母親が亡くなった時点で新しい聖女を召喚するべきだったんだ。それをヒロと、あいつに絆された父上が止めた! 国のために酷使されてるなんておかしいって……ふざけたことをぬかしやがった。
そのせいで一度、この国は傾いた。魔物に侵され、民が苦しみ、いつ他国から攻め入られるか分からない状態だった。それなのに、あいつは今ものうのうと生きている。私はそれが許せないんだ。
リィサを私の側室に迎えたら、ヒロは死ぬほど苦しむだろう。それだけでも君を手籠めにする価値はある。最高じゃないか」
その瞬間、絶望にも似た怒りがわたしを襲った。
(国王は――――この男は狂っている)
グッと拳を握りつつ、わたしはヘンリーを睨みつけた。
「異世界から召喚した聖女ありきの国なんて、そもそもが間違っているでしょう?」
「…………は?」
わたしの言葉にヘンリーは大きく目を見開く。
「わたしの居た世界では、君主が――――国王や首相が国を守るために動いていました。
そりゃぁ数百年に一人、救世主みたいな人が現れることはあったけど、余所から呼び寄せたわけじゃなかったし、あなたほど他力本願じゃなかった筈だもの!
側室制度なんて作る暇があったら、国民のために尽力したらいかがですか?
聖女が居ないと国や民を守れないなんて――――成り立たないなんておかしい! ヒロのせいにするなんて間違っているわ!」
この数か月間、彼に対して抱いてきたわだかまりを一気に爆発させる。ヘンリーは顔を真っ赤に染めて、わたしに対して拳を振り上げた。
「黙れ! 聖女の分際で私に意見するな!
そうだ……良いことを教えてやろう。以前ヒロが『聖女は生贄』だと言っていただろう――――その通りだ。君はこの国の――――――この私の生贄なんだ! 逃げられると思うな。幸せになれるなどと――――」
「リィサは必ず幸せになるさ!」
その時、大きな音を立てて扉が開くとともに、ヒロが勢いよく部屋の中に飛び込んで来た。ヘンリーの護衛と揉み合いになったのか、髪の毛はグチャグチャで、せっかくの騎士装束もヨレヨレになっている。
だけどわたしにとってヒロは、誰よりもカッコいいヒーローだった。
ヒロはヘンリーを蹴り飛ばしてわたしのことを抱きかかえると、脱兎のごとく部屋から駆け出す。
「ふざけるな、ヒロ! おまえ、このままこの国で生きて行けると思うなよ! リィサもだ! 二人とも絶対に捕まえてやるからな!」
「二度と帰るかこんな国! 絶対絶対、捕まってなんかやらねーーよ!」
そう言ってヒロはわたしを抱えて走り去る。彼は満面の笑みを浮かべていた。わたしも涙を流しつつ、ヒロと一緒になって笑い声をあげる。
「誰か! その二人を捕まえろ!」
そんなヘンリーの声が聞こえてくるけど、誰もわたし達を捕まえようとはしない。皆困ったような笑みを浮かべ、わたし達のことを見守っていた。
(ありがとう)
彼等はきっと、ヒロの母親――――前任の聖女やわたし、それからヒロのことを陰ながら想ってくれていたのだろう。彼等の幸福を祈りつつ、わたしはギュッと目を瞑る。
ヒロはわたしを馬に乗せると、そのまま王都を駆け出した。少しずつ、少しずつ王宮が遠ざかっていく。追手が迫る様子はなく、わたしはホッと胸を撫でおろした。
「遅くなってゴメン」
ヒロはそう言って、シュンと肩を落とした。わたしは目を丸くしつつ、後からヒロのことをキツク抱き締める。
「ううん……ヒロなら絶対来てくれるって信じてた」
ヘンリーのことは驚いたし、ムカつきはしたけど、不思議とそんなに怖くはなかった。ヒロがわたしを助けに来てくれるって信じていたから。
「だけど、良かったの? こんな形で国を出ることになって」
「当たり前だろ? これで綺麗さっぱり、この国と別れられる!」
ヒロはそう言って笑いながら、先程よりもスピードを上げた。追い風がわたし達の背中を優しく押す。とても清々しい気分だった。
「あっ……でも、わたしが居なくなったら、次の聖女が召喚されるだけなんじゃない? その子がわたしのせいで嫌な思いをするのは――――」
「心配ないよ! 前の聖女が生きている限り、新しい聖女は召喚できないようになっているんだ! だから、リィサがうんと長生きしたら良い。ヘンリーの馬鹿も諦めがつくだろう」
ざまぁみろ!と口にして、ヒロはくっくっと笑い声をあげる。わたしも一緒になって微笑んだ。
「ねぇヒロ……わたし、絶対絶対幸せになるから!」
それは、今までのわたしじゃ考えられなかったセリフだ。けれど、口にしても良い――――信じても良いと心の底からそう思える。
十七歳の誕生日、わたしは異世界に召喚された。ヒロと共に――――幸せになるために。
「当たり前だろう?」
ヒロはそう言ってこちらを振り向く。わたし達は顔を見合わせると、満面の笑みを浮かべるのだった。
***
あれから数年の月日が経った。
あの後、国王ヘンリーは民衆から君主の座を奪われたらしい。わたしとヒロに対して幾人もの追手を放ったようだけど、逃げ込んだ国に結界を張ったせいか、はたまた追手が亡命したためか、それらがわたし達に及ぶことはなかった。
彼は最後まで自らの政治を顧みることなく、他力本願でどうしようもない君主だったそうだ。
「今日も街に行くの?」
ヒロが困ったような笑顔でわたしに尋ねる。頷きつつ、わたしはそっと彼の手を取った。
「うん。幸せのお裾分けをしたいなぁって」
誰かに強要されるでなく、自らの意志でわたしは聖女を続けている。ヒロはずっと、そんなわたしを優しく見守ってくれていた。
「それじゃ、参りますか」
あの日と変わらぬ満面の笑みを浮かべ、わたし達は街へ駆け出すのだった。