唐突
奈々華は兄と父の三人家族だが、父は家に寄り付かない。
実質奈々華と兄の二人暮らしと言ってもいい。
高校三年生の兄と中学二年生の妹の二人。
父は保護者として、毎月決まった額を口座に振り込んでくれる。
だから生きているということだけはわかる。そんな程度。
でも奈々華は現状の暮らしに満足していた。
「平行世界って信じる?」
夕食後のまったりとした時間に、兄がそんなことを言い出すまでは。
「平行世界?」
奈々華は皿を洗いながら、ダイニングキッチンの向こう、
ソファに座ってテレビを観ている兄にオウム返しに尋ねた。
家事は奈々華の仕事。兄も手伝うとは言ってくれるが、意外に不器用なため
かえって足手まといになってしまうのだ。
「そう。パラレルワールド」
「何?突然」
あとで構ってあげるから大人しくテレビでも観ていなさい。
テレビには仁が贔屓にする球団の野球中継が映っていた。
「俺も詳しくは知らないんだけど、量子力学っていう学問がある」
「もしもーし?」
「サイコロを振って仮に一が出たとしよう」
「……」
「でもサイコロで一から六が出る確率は同じだ」
「ならば二が出た世界も、三が、四が、五が、六が出た世界があってもおかしくはない」
兄は何かにとり憑かれたように、抑揚のない声で喋り続ける。
奈々華はひどく不安になった。
「サイコロは単純な例だけど、世界にはいくらでも起こりえたこと、
選びえたことがある。だったらその選択がなされた、
その出来事が代わりに起こった世界もあっていいはずだ」
大好きな球団のチャンスにも兄の目は虚ろだった。
そしてゆっくりとソファから立ち上がる。
「奈々ちゃんに今からその一つを見せてあげるよ」
歩み寄って奈々華の手を掴むと…
地面が揺らぎ、飛行機が離陸したような浮遊感を感じる。
視界が暗転する。兄の姿も消え、手をつかまれている感覚だけ。
奈々華は自分の意識が遠のいていくのを感じた。