蛍光
「勅使河原教授!」
見慣れた金髪をポニーテールにした少女に、兄は気まずさなど微塵も感じさせない足取りで近づいていった。テセアラは対照的に、兄を見て表情を曇らせる。
「早かったですね。交渉は上手くいきましたよ」
恐らく例の秘密兵器の貸し出しのことだろう。仕事の話から入るのは気まずさからか。
「さっすがテセアラ氏。出来るなあ」
自然体なのは兄だけで、奈々華もテセアラと目が合わないように注意してしまう。
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ明日早速戦力調査に行くか?」
「ええ、今日はもう休んで下さい」
テセアラとほんの一瞬目が合った気がした。しかし次の瞬間にはテセアラは自分のテントに歩き出していた。
千人会東北ベースも、今まで寄った他二つと変わり映えのしないテント群が軒を連ねているだけだった。違うところといえば東北地方らしい夜の肌寒い空気ぐらいか。奈々華はテントの入り口から覗く暗闇に思わず身震いした。
「もう休めって言われてもね?」
車内で体を休めていた自分と兄は眠くはないのだが。後ろを振り返ると、兄が安らかな寝息を立てて寒そうに体を丸めていた。
「何でねれるの?」
幸いなことに千人会東北ベースの近くには河原があり、夜闇の中に光る星の光を反射して川の流れがキラキラと輝いていてとても幻想的で、眠れない奈々華の心を楽しませてくれた。
河原のごつごつした岩の上に腰掛け、ぼんやりと星の輝く夜空と、さらさらと流れる川の水をぼんやりと眺めながら思った。
この世界は、今見えている自然の光景も自分のいた世界となんら変わらないのに…この世界は異世界で、宗教が支配する中人々は純朴で、今日出会った少女の犠牲で変わらずに回り続ける。何もかも現実感が湧かず、夢なんじゃないかとさえ思ってしまう。
でも、兄が言った。
革命を起こす…少女を助ける。子供が泣いている社会は最悪だ。
「眠れないんですか?」
弾かれたように振り返ると、女声の主、テセアラ・バーンが立っていた。
「仁さんは不思議な人ですね」
テセアラも奈々華の隣の少し小さめの岩に腰掛ける。星の光に金髪が映える。
「どうして?」
「一見ふざけているように見えて、実は色々と考えている。過激な発言もするくせに、実際はそんな気はなくて…それどころか誰よりも人に遠慮しながら、思いやりを持って接する」
「そうかもね」
昼行灯という言葉が頭に浮かんだ。だがそんな一言で片付けられるほど、兄は単純ではないことも知っている。
「あ。ホタル」
テセアラの指差す方向を見ると、川辺をゆらゆらと黄緑色の光が浮いていた。隣を見るとテセアラは無邪気に顔を綻ばせている。
「お兄ちゃんとさ、昔ホタルを捕りに行ったんだけど結局見つからなくて…お兄ちゃんに怒っちゃったことがあったんだ」
今思えば随分と理不尽なことだ。東京の少し山奥に行ったところで見つかるはずもないのに。
もっと水のきれいなところに行かないと、いないんだよと兄が慰めてくれたのを思い出す。
「……」
「でも次のお休みにお兄ちゃん、一人でどこかに出掛けてさ…帰って来たらホタルを虫かご一杯に捕まえて…どうだ!って私に見せたの」
ホタルが遠くに飛び去り、辺りはまた星の光だけが頼りの薄暗い夜の帳に支配された。
「でも実際に見るとホタルってゴキブリに似ててさ…今度はどっかやってって泣いちゃったの。お兄ちゃんはしょうがないから友達にあげるって出て行ってさ」
知らず自分の顔が綻んでいるのに気付いた。隣のテセアラも微笑んでいた。
「…当時中学生だったお兄ちゃんは一度も怒らなかった」
何でこんな話をしているのか分からなかった。ひょっとすると兄の良さを分かち合いたいと思ったのかもしれない。夜風が火照った頬に気持ちよかった。