名残
「電車というのは面白いな!」
教祖様は電車がお気に召したらしい。奈々華にとっても地下鉄というのは馴染みがあるが、路面を走る電車というのは新鮮だった。だが天鬼様の尊顔を車両外面に等間隔でペイントしてあるのだから、気持ち悪いの一言に尽きる。内装は奈々華の知る電車とほぼ変わらないのが救いだ。
「それは良かった」
兄は嫉妬する気もおきないほど、優しい目をしていた。異性と言うより、可愛らしい子供を見るような目だからかもしれない。
「わらわは…不自由をしてはおらんが、対等な態度で接してくれる者はおらん」
「…そうか」
「だから主のような人間は…」
「お兄ちゃん!見て見て。あれなんだろう」
窓から見えるのは、いつか見た天鬼の彫像だった。夢に出てきそうなほど大きい。羽根の細やかな造りといい、厳しい顔つきといい、非常に完成度の高いものだったが、それだけに何とも嫌悪感を抱かせるものでもあった。
「ああ、大天鬼像だよ。各地の彫像はあれを縮小したものだ」
奈々華の肩に手を置いて、兄が振り返りながら言った。兄の瞳にガラス窓が映る。
兄を挟んだ向かいの天野が不機嫌そうに鼻から息をもらすのが聞こえた。
テングル教会本部は一階建てのようだが、馬鹿みたいに広かった。昔の内裏とはこんな感じだったのだろうか。何せ全貌が地上からでは見渡せそうにない。せいぜい見えるのは純和風の庭園と、その遥か奥にある、漆塗りの黒光りする巨大な門扉だけだ。
「ここまでで良いぞ。どうする…入っていくか?」
「どうする?」
兄がやはり庭園内を縦断する、小麦色の縄を踏みしめながら奈々華を見遣る。
「う〜ん、特に興味ないかな」
これ以上天野といても何のメリットもない。
「そうか」
天野が少し寂しそうな顔になる。大人げないが、他の何よりも兄と二人の時間が優先される。
「ていうかその縄踏んじゃダメなんじゃなかったの?」
「ああ、いいんだよ。信者の中でも知らない人間も多い、古い慣習だからね」
兄の尻を蹴飛ばす小気味よい音が辺りに響いた。
「あの子も嫌いかい?」
兄が出来の悪い子供を見るように、生暖かい目を奈々華に向ける。
「そうだね…あんまり」
「どうして?歳も同じなんだからお友達になれないか?」
「無理だね」
自分から兄を奪う可能性のある人間はすべからく敵だ。正面を向きなおした兄が左手で頬をかいた。巡礼目的の信者たちが列をなして自分達とすれ違っていくのが兄の体越しに見える。
「まあ…こういうのは強制出来るもんでもないしね」
「気になるの?」
「まあね」
「どうして?」
どうして?あの子のこと好きだとか言ったら、ロリコンと罵ろう。
「俺の目的にはあの子を助けることも含まれているからね」
大方予想通りの答えだ。この兄は人がいいというか、お節介というか…
「私があの子と友達になることが、あの子を助けることになるの?」
「いや…そういうわけでもないんだが」
歯切れの悪い兄にも、あまり不満は湧かなかった。
何気に累計ユニークアクセスが千人目前まで来ていると知り、驚いています。
こんな駄文を読んで下さる心優しい方がいらっしゃるのは本当に感謝感謝です。
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