忌子
マーロンド国は、北に魔の森、東に海、南西を険しい山々に囲まれた大国である。国民は一様に大なり小なり魔力も有しており、魔法は生活に根付いていた。貴族の家には卓出して高い魔力をもった子が生まれる。貴族の結婚とは、すなわち魔力を子孫へ繋ぐ手段であり、マーロンド国の貴族にとって最も重要な義務である。
リディアは、クレイバー公爵家の第4子として王都で生まれた。クレイバー侯爵家は、マーロンド国建国のころから歴史書にたびたび名を残す由緒正しい名家であり、公爵夫人は先のマーロンド国王の末の妹姫であった。三人の息子のあと7年ぶりに授かった待望の女児リディアの誕生に 侯爵家は非常に喜んだ。
生後4か月ごろ、リディアは体調をくずした。侯爵夫人は治療魔法を得意としていたため特にあわてることもなかった。
治療魔法とは、人の持つ魔力に働きかけ人間に備わっている自然治癒の能力を高めるものである。リディアに治療魔法を施しはじめると、違和感に気が付いた。いくら治療魔法を施してもまるで手ごたえを感じないのだ。それどころか、赤子のリディアの顔に赤い発疹がでると、それは体中にが広がった。
知らせを聞いた公爵は急遽王都で高名な治療師を呼び寄せてリディアを診せた。しかし、彼の治療魔法をもってしてもリディアを治癒するこはできなかった。
治療師の診たところ、リディアの病は赤子によくある病気で、治療魔法を使わずとも完治するということであった。そこで治療師は、赤子の水分補給に気を付け、体を清潔に保ち、体温の変化に十分注意を払いつつ体に冷たい布を当てる等の庶民に知られる処置を施した。
3日ほどたつとリディアの熱は下がり、5日ほどすると体中にあった発疹は引いた。しかし公爵夫妻の憂いは晴れなかった。なぜなら治療師が、治療魔法がうまくいかなかったのはリディアの魔力になにか原因があるのではないかと懸念したからだ。
そこで公爵閣下は長年の友人であるウォルシュ卿に相談した。ウォルシュ卿は王都の魔法研究所の所長であり、『魔力』研究の第一人者であった。ウォルシュ卿が慎重にリディアを調べた結果、最悪のことが明らかになった。リディアには魔力がまったくないというのだ。あまりのことに侯爵夫人は目の前が真っ暗になり、事実卒倒されてしまわれた。
公爵夫妻は、国中の書物を取り寄せ 魔力のない人間について調べた。すると「忌み子」という言葉を見つけた。これまで、魔力を持たない子供は存在した。それらの子は「忌み子」または「禁忌の子」とよばれ蔑まれ、時には恐れられていた。なぜなら「忌み子」は不幸や災いを招くと信じられているからだ。不幸の内容については詳しく記述されてはいなかった。
これまでにも、貴族の家にも魔力なしの「忌み子」が生まれることはあったようだ。しかし、その場合、使用人に金をつかませ秘密裏に処分していたようだ。という情報をもってきたのはウォルシュ卿であった。
公爵夫妻は、「忌み子」に関せる情報を求め、ありとあらゆる魔力に関する書物や歴史書を調べたが、吉報はなかった。それどころか「忌子」は総じて短命であるらしい。これが、寿命が短いのか、ほかのものに弑された結果短命なのかはわからない。夫人は 娘の将来を愁い、嘆き、悲しだ。娘が無事成人するまで生き延びたとしても、魔力のないリディアは貴族の娘の幸せを掴むことはできない。学園に通うことも、社交界にデビューすることも、結婚することもできないのだ。
公爵夫妻は疲れ切っていた。特に夫人は、リディアを魔力のない体に産んでしまったことを夫であるクレイバー侯爵に泣いて詫びた。夫人の責任ではないといくら伝えても、妊娠中のあれやこれやを思い返しては自身を責めていた。
そんなある日、9歳の長男フランツが夫妻が調べものをしている書斎に訪ねて、見せたいことがあるから一緒に来てほしいといった。しばらく息子たちを放っていた自覚のあった二人は、作業をやめてフランツといっしょに子供部屋まできた。双子の息子が座り込んではしゃいでいた。
「お父様とお母様をつれてきたぞ」
フランツが双子に声をかける。
「あ。お父様、お母様 見てください。」
「リディアがすごいのです」
双子が興奮した様子で話す。
すると、仰向けにねていたリディアが両足をあげくいっと体をひねるような動作をすると、ころんとうつぶせになった。息子たちは手を叩いて喜び、またリディアを仰向けにして寝返りする様子を見て楽しんでいる。
「素晴らしい!寝返りが打てるようになったんだね。」
父公爵は感嘆の声をあげた。
夫人も、リディアのそばに近づくと子供のように座り、リディアの様子を見守った。
もういちどフランツがリディアを仰向けにする。するとまた両足をあげてくいっとひねると、ころんと寝返り、頭を持ち上げてにっこり微笑んだ。
「お母様、リディアが僕を見てわっらています。」
「かわいいなーリディアが僕だけのものになったらいいのに。」
「おい、リディアはみんなのものだって決めただろ。」
三人の息子が口々に言うのを、聞きながら、
夫人は静かに涙した。娘は魔力はないかもしれないが、愛おしい我が子に変わりはない。こんなに愛らしく微笑むこの子が災いを招くはずはない。娘を「忌み子」なんてよばせない。侯爵も夫人と同じ気持であった。その日、クライバー公爵夫妻はリディアをあらゆる悪意から守り育てることを決意したのであった。
それからしばらくして、夫人は、産後の肥立ちが悪いことを理由に、3人の息子と赤子のリディアを連れて領地のマナーハウスに移り、社交界から退いた。