神童、二十歳過ぎればただの人
それは雲一つない晴れやかな日だった。
突然、女が降ってきた。青く眩しい空から。
女は地に横たわって血を吐いて、今にも息絶えそうだった。
「貴方の魂を貸してちょうだい」
瀕死の女はそう言った。
◇◇◇
「ほら、今日の賃金だ」
ユリウスという青年がいた。
日雇いの労働者で、今日は街外の道路を整備している。
ユリウスは土を掘り道を踏み固める。そんなユリウスの衣服は汗でぐっしょりと濡れている。
安い賃金の上、厳しい肉体労働の仕事ではあるが、それなりの充足感をユリウスは覚えていた。
「今日も疲れたぜ。あっちぃんだよなぁ、最近」
風が吹かず、むわっと熱気が籠ったような空気に、容赦なく照り付ける太陽。
傍目を見ると、監督が冷気の魔法を用いて木陰で涼んでいる。
「俺もなぁ、昔は魔法を使えたのにな。ああやって涼みたいぜ」
ユリウスはポロリと独り言を零した。
ユリウスは魔法が使えなかった。いや、ある日を境に魔法が使えなくなった。
ユリウスが幼かった頃、空から落ちてきた女を助けてからだ。
その女はボロボロで、今にも死にそうだった。だから幼いユリウスは何も考えずにその女を助けようとした。女が言うには、魂を貸してほしいのだという。ユリウスは幼いながら了承した。困っているのだろうと思ったからだ。
女はユリウスの手を握り、そして力が吸い取られた。
女はそのままお礼を言って飛び立ち、虚空に消えてしまったのだ。
「はぁ~、滅茶苦茶美人だったのは覚えてるんだけどなぁ、おっぱいデカかったし」
その女は美しい長い銀髪とあふれんばかりの乳を持っていた。お尻や太ももはムチムチで、ユリウスは幼いながらに「えっちだ……」という感想を持ってしまった。
「ん~、やっぱりよぉ、素敵な女だったけど、あんまりにも代価がなぁ」
ユリウスはそう呟いて、僅かな賃金をもって酒場へ向かった。
死んでしまいそうな暑い日に飲むエールは、ユリウスにとって唯一の楽しみであった。
◇◇◇
「よぉ、親父。いつものエールを頼むぜ」
酒場のマスター、ドイルはユリウスを見てはにかんだ。
小さな酒場ではあるが、少し上等のエールがウリで、ユリウスは常連であった。
木のカウンターに五つしか置いていない小さな椅子が、古臭い酒場の雰囲気とマッチしていて、ユリウスのお気に入りだった。
「今日も良く仕事をしてきたらしいな。ほらよ、いつものだ」
ドイルが、魔法の冷気で冷やしたエールを注いでくる。カランと酒瓶からグラスへ注ぐ時に出る音が喉を責める。水滴が垂れるガラスのグラスからは、少し黄色がかった液体からジュクジュクとガスが沸き上がっていた。これが最高に美味いのだ。
「いやぁ、肉体労働の後の親父のエールは、最高だ。美女が相手なら、より良いんだがな」
「バカいってんじゃねぇ、俺で十分だろう。それに、こんな酒場にそんな美人がくるもんかい」
「そりゃそーだ」
ユリウスはグイッとグラスを煽った。一息で飲み干し、男らしさを演出する。マスターのドイルが溜息をつき、新しい酒を注いだ。
「俺もさぁ、昔はすごかったんだぜ、魔法も使えたしよぉ」
「魔法が使えない奴もときたまいる。それは仕方のないことなんだぜ、現におまえさんは使えないじゃないか。その話を俺はあと何回ほど聞けばいいんだい?」
ドイルは苦笑いし、ユリウスの話に付き合った。ユリウスは酒に酔うと、いつも過去の話をした。曰く、神童で将来を期待されていた。ある日突然魔法が使えなくなり、家から追い出され、流れるように今の地位に収まったことを聞いていた。ドイルにとっては眉唾の話であり、ユリウスの負け犬のようなその台詞を、職業柄とはいえ聞き続けるのは嫌だった。
「その通りなんだがよぉ、使えなくなった心当たりもあるんだけどよぉ、ウィック」
ドイルは溜息をつくと、使い古した木のカウンターにユリウスが突っ伏した。酔いつぶれたらしい。
「酒に弱いくせに、飲むのがはえーんだよ。しゃーねぇなぁ」
ドイルはユリウスに毛布をかけ、そのまま休ませてやることにした。
とはいっても、いつものことであり、次の日の朝にユリウスは申し訳なさそうなフリをして、お金を清算していく。ドイルとしては、親切にしたくなる客ではあるが、少し困りものであった。