1-8 襲撃 Ⅱ
魔物とは、瘴気に当てられ変異した生物の総称。
どす黒い靄に見える瘴気を身に纏い、瞳の色は真っ赤に染まり、凶暴性が増す。独自に魔力を宿し、肉体が大きくなる魔物もいれば、その生物特有の能力を持つ厄介な存在もいる。
食事の為だけに狩りを行うのではなく、魔力を喰らう為に襲いかかる危険な存在であり、アヴァロニア国内では比較的珍しくもない存在だ。
「おう、状況は?」
「動く気配はないようですが、明らかにこちらに気が付いていますね」
「こっちが風上だからな。匂いに敏感な狼型なら、そりゃ気付くか」
俺――レイル・オルヴィス――の声に前方を警戒していた騎士の一人が短く答えた。
囲まれるのは厄介だが、少数で動いているせいで逆に身動きが取れんな。
侍女隊の侍女は護身程度に戦えるが、それはあくまでも嗜みの領域を出ない。狼型の魔獣を相手にできる程じゃあない。
「遊撃に『双翼』が動いてくれています」
「おいおい、あいつらは一応団長の護衛だろうよ」
「ははは……。まぁ団長は強いですし、護衛する必要なんてないと思いますけどね」
「そりゃそうだが、一人じゃ限度ってもんがあるんだよ。ま、今回ばかりは助かるが」
膠着してただ待つより、こういう時はさっさと手を打っちまった方がいい。
狼型の魔物は狡猾で、群れで狩る。
下手すると夜まで粘られて視界が悪い中で戦うハメになる。
本来なら危険な役回りだが、あの二人は抜きん出ているからな。
まぁそんな『双翼の戦乙女』が二人がかりでかかっても倒せないのがウチの大将な訳だが――と、そんな事を考えていると周りの連中が緊張した様子で背筋を伸ばした。
噂の団長様がこっちまで来たらしい。
「レイル、どうする?」
「団長んトコの二人娘がもう動いてるらしいですぜ」
「そうか。なら事態は動くだろう」
「だろうな。よし、下手に打って出るより守りを優先する。三人一組で二組、遊撃に出せ。他は襲撃に備えるように」
「はっ!」
短いやり取りではあるものの、それだけで事足りるのが赤竜騎士団だ。
団長と二人娘を遊撃に回し、俺が実質的指揮を担うっつー定石を無視したやり方だ。
普通なら団長を守るのが当たり前だが、個の実力が抜きん出ているからこそできる芸当だが、これ以上の適材適所はねぇんだよな、これが。
「――きゃああぁぁぁッ!」
突如として後方から聞こえた悲鳴に振り返れば、侍女の一人が狼型の魔物に追われ、背を向けて駆け出すところだった。
逃げるのは正しい。
その場で尻もちついて動けなくなるよりは余程マシだ。
だが、今回の相手は――狼にそれはダメだ。
狼は背を向けた獲物に戦意がない事を悟ると、そいつを執拗に狙う。
向かい合ってくれた方がいっそ膠着状態が生まれて時間を稼げたってのに、魔物は侍女を獲物と定め、その距離を詰める。
魔法――ダメだ、こっちに真っ直ぐ走るような動きのせいで、侍女の女に当たっちまう。
接近して――いや、それももう間に合わないだろう。
僅かな逡巡をしながらも、俺はその場から一気に魔物へ向かって駆け出した。
最悪、この侍女が一撃喰らってしまうのは仕方ない、その後に間に合えば命は助かる可能性も高い。
他の侍女を守る為にも、いずれにせよこのまま迷ってる場合じゃねぇ……ッ!
「――あ……ッ」
恐怖から腰が抜けかけていたのか、もつれるように侍女の女が転ぶ。
情けない声をあげたのは、恐らく自分が何故転んだのかも理解できないままに態勢が崩れたからだろう。
狼型の魔物に向かって即座に腰から短剣を引き抜いて投擲するが、魔物は俺をしっかりと視界に収めていたらしく、上体を下げてあっさりと躱した。
そのまま失速する事なく、侍女の女へと向かって飛び上がる。
ダメだ、間に合わない――と、そんな風に思った俺の視界に、変なものが飛び込んできた。
先端に輪っかを作った、ロープ、か?
それは見事に魔物と侍女の間に飛び出し、獲物を捕らえるチャンスと考えた魔物がすり抜けようとした瞬間だった。
魔獣の首に引っ張られたロープの輪っかがみるみる縮まって、ついには魔物の首にピッタリと巻き付いた。それでも勢いそのままに魔物は侍女へと飛びかかっていて、あと数センチのところでガチン、と音を立てて噛み付きが空振り、情けなく引っ張られた。
ビィィン、と音を立てながら伸びるロープの根本を見れば――、そこには無表情のまま立っていたルナが、竜車のロープを短くしたのか、その光景を見つめていた。
それでも倒れた侍女を狙って狼が再び顔を近づけるが、ロープの長さがそれを許さず、さらに引っ張られたせいか首が締まっているらしく、涎を撒き散らしながら再び狼が仰け反った。
…………なんかあれだ。
飼い犬がリードに繋がれたままじゃれつこうとして届いていない、みたいな。
そんな光景にしか見えないんだが。
ともあれ、魔物とて馬鹿じゃない。
ロープが繋がる先、つまりはルナへと振り返り、標的を変えたかのように駆け出し、そのまま飛びかかった。
――ヤベ、気が抜けた!
慌てて追いかけようとしたところで、狼が飛びかかり。
ルナに鼻先と喉を捕まれ、背負い投げされ、竜車に強かに背中を打ち付けた。
ルナは迷う事なく護身用にと渡された短剣を手に取ると、その短剣を仰向けになったまま倒れた一瞬をついて、狼の喉に深く突き立て、小さな身体を重しにするように体重をかけてみせた。
……おいおい、マジかよ。
冷静過ぎるっつーか、慣れてねぇか……?
いや、そもそも人形とか言われてたんだよな? 戦い慣れてるはずねぇだろ?
なんだよあれ、俺でもあんな真似できねぇよ。
飛びかかる狼の鼻先掴むとか、どんなだよ。
迷いなく短剣突き刺して、しかも体重かけるとか殺意高すぎんだろ。
しかもあれ、よくよく見れば刺し口捻って傷口広げてやがるし……。
やがて動かなくなった狼を見るや、ルナが立ち上がり、こちらに向かって振り返る。
その姿は、返り血に濡れているのに、美しく思えた。
「――レイル様、完全に死ぬ前にこの狼の血抜きをしたいのですが」
「食う気かよ!? いや、魔物の肉は美味いけどな!? 今この状況で第一声がそれっておかしいだろ!?」
「心の臓が止まる前に血を抜かなくては、味が落ちて価値が下がりますが?」
「そういう問題じゃねぇよ!?」
小首を傾げるルナにツッコミを入れ、思わずどっと疲れた気がして肩が落ちる。
そういえばコイツ、そういうヤツだわ。
さっきも団長に「身体を休めるように求められた」を「身体を求められた」とか言いやがったし、何かとズレてんだよなぁ……。
「――副団長! ご無事ですか!?」
「おー、大丈夫だ。とりあえずそっちの侍女隊の子、連れてってやれ。あと周辺の警戒頼むわ」
「はっ!」
短く指示してルナを見れば――ルナはすでに首に繋がっていたロープを外し、狼型の魔獣の後ろ足を縛り上げ、いつでも吊るせるように準備してやがった。
近寄ってきた俺に気が付いたのか、ルナが振り返り、こちらを見上げる。
「準備はできましたので、あとは吊るす場所だけ教えていただければ吊るします」
「いや、お前、今襲撃受けてんのに呑気なの?」
「襲撃、ですか? どう見ても終わりかけだと思いますが」
そう言いながらルナが街道横の林道を指差した先、そこからイオが歩いてやって来るのが見える。
すでに警戒していないようで、いつもの朗らかな笑顔――ただし血のついた細剣を手に握っている――を浮かべて、だ。
そんなイオがルナに気が付いたのか、珍しく目を見開き――笑みを消して即座にこちらに詰め寄った。
「ルナ、怪我は!?」
「ありません。これは返り血ですので」
「返り血……?」
そこまで言われてルナが目で指した先に横たわる魔物。
それを見て、イオが再び笑みを……いや、コイツ目が笑ってねぇんだが……!
「ルナ、これは~?」
「夕食の足しになるかと、血抜きするところですが?」
「えーっと、そうじゃなくてね~……? これをやったのは、まさかルナなの~?」
「はい。襲ってきたので一思いにブスッと」
「……一思いにブスッと……? えぇと、レイルさん?」
「いや、正直俺も何が起こったのか説明しにくいんだが……」
そう言いながらも見たままを説明していくと、イオは困ったように眉尻を下げた。
「あなたはまだ『選定の儀』を受けていないのですから、無理をしてはめっ、ですよ~?」
「――は?」
「『選定の儀』を受けないと狩りをしてはならないのですか?」
「しちゃダメ、と言うより、できない、が正しいんですけどね~……」
「お、おい、ちょっと待ってくれや。するってーと、ルナはまだ〈才〉もねぇのか?」
「……? 奴隷でしたから、受けていませんが」
……マジかよ。
そもそも『選定の儀』を受けた者とそうでない者では、身体能力が違う。
確かに『選定の儀』は〈才〉を与えられるものだが、そもそもそれだけじゃねぇ。
神の祝福を受け、肉体的にも強くなる。そうして『器』として肉体の基礎が出来上がったところに〈才〉を授かる、ってのが『選定の儀』の全貌だ。
ぶっちゃけて言えば、神の祝福がメインで、どっちかと言えば〈才〉はその副次効果に他ならない。
「……いや、その細っこい身体で魔物を投げ飛ばすなんて無理だろ?」
「あれは勢いをそのまま利用しただけですので、私自身の力は大して使っていません」
「……いやいや、下手すりゃ死ぬってのに冷静過ぎんだろ。誰だって恐怖して萎縮するもんだ。戦い慣れてるとか場数を踏まなきゃ慣れるもんじゃねぇぞ」
「……? 恐怖、とは?」
…………この子、もしかしたらヤバいんじゃねぇか?
そんな事を考えながらイオに目を向ければ、イオもまた同じ事を考えたのか、苦い笑みを浮かべてそっと視線を逸らしやがった。