3-9 魔法研究塔と今後について Ⅰ
「――ついに来たにゃー! 私の名が世界に轟くにゃー!」
「分かりましたから先生、黙ってください」
「あ、ごめんにゃ。この溢れ出る衝動を言葉にせずにはいられなかったにゃ」
冒険者登録をした翌日。
私とエリーはついに魔法研究塔と名付けられた新たな施設に足を踏み入れ、ようやく本格的に始まる事になる魔法陣研究と魔道具研究生活を迎えようとしていました。
ニーナ先生の迸る情熱を冷静に制したヘンリーさんですが、彼もまた柄にもなく目を輝かせており、その目はこれから始まるであろう日々――によって生み出されるであろうお金――に胸を躍らせている事が見て取れます。
塔の内側に足を踏み入れ、最初に私達を出迎えるのは一階ロビーです。
ここには守衛として詰めてくれている方々の他に、塔の案内係として配属された方等もいますが、さすがに今日から本格的な業務開始という事で、どこか浮ついた空気が流れているようにも思えました。
ですが、そんな方々も奥からやって来た人物に気が付くと、途端にピリッとした空気を纏うように気持ちを切り替え、心なしか背筋を伸ばしているようにも見えます。
そんな人物の登場に私達も思わずそちらに視線を向けると、その人は私達に向かって踵を踏みならぬようにコツコツと音を立てながら近づき、柔和な笑みを浮かべました。
「お待ちしておりました、この魔法研究塔の主であらせられるルナ様、エリザベート・ファーランド様。並びにお付きの皆様」
「私の立場が付き添いに下がってるにゃ!?」
「私はルナ様とエリザベート・ファーランド様、並びにお付きの皆様のサポート兼報告業務を王室より命じられております、アナスタシアと申します。お気軽にアナとお呼びください」
「無視されたにゃ!?」
優雅に一礼してみせるアナさんは、女性でありながらパンツスタイルにジャケットを羽織った男装の麗人を思わせる方でした。
しかしサポート兼報告業務とは、なかなかにストレートな物言いですね。
「――つまり、市井に流すべき情報かどうか。それに秘密裏にわたくし達が何かを作り出し、利益を独占しようとしないかを見張る役目、という訳かしら?」
「概ね間違ってはおりません。国費の多くが投資されておりますので、相応の監視の目が必要になるのは必定です、エリザベート様。今回の件につきましては、国の上層部も多くの期待を寄せておりますので。私がこうしてやって来たのもまた必定と言えるでしょう」
「重々承知しておりますわ。そこまで言っておいて自分が選ばれたと言い張れるなんて、あなた、ずいぶんと有能なようですわね」
「謙遜するつもりはございませんので、正直に申し上げれば、当然、とお答えさせていただきましょう。エリルナ――げふんげふん、御二人を支えるだけの実力があるからこそ、私はここに来たのですから」
何故か途中で咳き込んだようでしたが、堂々とした物言いは自信に裏打ちされていると感じ取れるものがありました。
そんなアナさんへと視線を向けていると、彼女は私の視線に気が付いて微笑んでみせました。
「ルナ様は王立学園の生徒ですが、すでに魔法陣研究科と魔道具研究科という授業は完全免除となります。今後、ルナ様はこの魔法塔の研究主任となります。エリザベート様とその他の皆様はルナ様の助手という名目になりますが、そちらも同様に単位取得は免除という扱いになっております。延いては、国立研究機関に所属している研究者として給金も発生します。そちらはお送りしてある契約書をご覧ください」
「わ、私はどうなるにゃ……!?」
「ニーナさんは塔の責任者となっていただきます。そのため、色々と勉強していただく予定です」
「にゃんですとっ!? 研究! 研究はできにゃいのにゃ!?」
「研究に参加できるかどうかは勉強の進捗次第ですので、その辺りはニーナさんの熱意と努力次第、とだけ言っておきましょう」
「うぐぅ……、がんばるにゃ……!」
見事に飴と鞭といった様相を呈しているのですが、ニーナ先生は気が付いていないのでしょうか。要するに、「好きな事をしたかったら業務をしっかりこなしなさい」と遠回しに言われているのですが……。
エリーはもちろん、無口さんもヘンリーさんもそれには気が付いているようですが、言わないようにしているようですね。
「では、ルナ様。それにエリザベート様。専用の研究室までご案内致しますので、こちらへどうぞ。ニーナさんも専用研究室への立ち入りは可能ですが、まずはクロさん、ヘンリーさんと一般研究区画となる第三層までの案内に別の者をつけますので、そちらに同行してください」
「わかったにゃ。ルナっち、あとでそっちに行くにゃ!」
短く挨拶をしてから離れていくニーナ先生達を見送ると、アナさんが私とエリーを先導する形で歩き始めました。
「――ルナ様。この塔の最高責任者は表向きにはニーナさんとなっていますが、本来であればそれは、紛れもなくあなた自身です。その事をご自覚しておりますか?」
周囲に人影がなくなったあたりで、アナさんが私達の前を歩きながら前を見つめたまま口を開きました。
「そうなのですか?」
「古代精霊言語の解読に成功し、あまつさえ魔法陣の意味すらも解き明かしたのは他でもないルナですもの。言い方は悪いですが、ニーナ先生にはある意味、囮になってもらっているという事ですわね」
「エリザベート様の仰る通りです。そこについてはルナ様もご自覚くださいませ」
「分かりました」
「結構です。本来なら、御身を危険に晒す事は国の損失となりかねませんので、騎士科はもちろん、冒険者としての活動も控えていただきたいところなのですが……それでは“殲滅姫”に相応しくありませんし」
ぼそりと最後に何かを付け加えていたようですが、エリーも私も聞き取れない程に小さな声でしたので、顔を見合わせて小首を傾げてしまいました。
そんな私達には気付いていないようで、前を歩くアナさんは口元に手を当てて咳払いすると、再び続けました。
「これからご案内するのは、ルナ様の専用研究室です。立ち入りを許されているのは、ルナ様とエリザベート様、そしてニーナさんと私のみとなっております。中から招き入れられない限り、他人が入れない特殊な部屋となっています」
「そんな事、どうやって……? まさか超古代遺物ですの?」
「その通りです。特殊なカードキーがなければ立ち入りできぬよう、扉には超古代遺物を利用しています。外部への資料の持ち出しも禁止となりますのでご注意ください」
「もしも持ち出そうとしたら?」
「警報機が作動し、その時点で塔内の人間は全員、持物検査の対象となります。その間、塔のありとあらゆる扉は閉じ、出入りは不可能となります」
ふむ、ずいぶんと徹底しているようですね。
それ程までにアヴァロニアも力を入れているという事なのでしょうが、何かの誤作動によって出入りできなくなる事はないのでしょうか。
……まぁ、いざとなれば消滅させてしまえば問題ありませんが。
「塔内は全五層となります。第一層と第二層にて学生を受け入れ、第三層には研究員用の研究スペースと実験室が用意されています。第四層には塔の責任者であるニーナさんのお部屋と、特殊実験室等もありますね。第五層は全てがルナ様、エリザベート様の専用居住スペースと実験室、研究室となっています」
「……聞き間違いかしら。なんだか途轍もない話が聞こえたのだけれど……」
「いいえ、現実ですよ、エリザベート様。研究に夢中になって寝泊まりできる場所は必要という声がありましたので、そちらには専属侍女のいる居住スペースもございます。オレリアという少女ですが、ルナ様はご存知ありませんか?」
「オレリアさんですか。なるほど」
「あら。ルナ、知り合いなの?」
「アヴァロニアへとやって来た時に親しくなった侍女の一人ですね」
確か、残念殿下付きになるとかで会って以来、そのまま私も白百合寮に移っていましたので会ってはいませんが……今や残念殿下は王族から外れていますし、オレリアさんは新たな配属先に異動する必要があったという訳ですね。
明るい方で私も嫌いではありません、と付け足してエリーに説明すると、エリーも納得したように頷きました。
「ルナが親しい相手なら、わたくしも異論はないわ。もともと王城務めならしっかりと仕事もこなせるでしょうし、いっそわたくしもタウンハウスじゃなくてこちらに住んでしまおうかしら」
「でしたら、私も白百合寮ではなくこちらに移ってしまった方が楽そうですね。騎士科の訓練棟からも近いですし、いちいちエリーに白百合寮に立ち寄ってもらう必要もなくなりますし」
「それなら、一緒に住んじゃう?」
「――ぶはっ」
エリーの冗談混じりの一言に反応したのは、前を歩いていたはずのアナさんでした。
口元――というよりは、なんとなく鼻を押さえているようにも見えますが、ぷるぷると震えながら壁に手をついて足を止めています。
「え、ちょ、え? マジですか? エリルナがついに同棲? しかも他人には足を踏み入れられない禁断の園? え、ちょ、大丈夫? 私、妹に嫉妬で殺されるんじゃ……?」
ブツブツと呟きながら何かを心配しているらしいアナさんですが、ちらりと透明化したままついて来ているアルリオに目を向けると、アルリオが呆れたような気配を返してきているので、放置で構わないでしょう。
学園からたまについて来ている方々に対するものと同じ反応をしていますし、同類か何かなのでしょうが、特に害はありませんし、放置でいいでしょう。
僅かに待たされる結果となりましたが、アナさんが復活して再び歩き出して数分。
私達は巨大で硬質な素材で造られ、幾何学的模様を刻んだ巨大な門の前へとようやく辿り着きました。
「――こちらが、超古代遺物の“門”です。このカードキーを持って扉に触れていただければ、“門”が開きます」
そう言いながら手渡された、不思議な四角いカード。
そちらには名前が刻まれており、その下には円となっている部分と、その円から伸びる幾つかの線が魔法陣を彷彿とさせるような形で彫刻されていました。
「では、ここの主となるルナ様――どうぞ」
アナさんに言われてカードキーに触れながら扉に手を当てると、カードキーが淡い光を放ち、それに呼応するかのように扉に光が奔り、ゆっくりと“門”が開かれていきました――。




