1-6 精霊
奴隷として生きてきた私が王宮の外の出る事はありませんでした。
せいぜい、王城の中を歩く際に見える外の景色と、幼い頃に住んでいた村の景色を微かに憶えているといった程度でしかありません。
ですので、フィンガル王国からアヴァロニア王国へと進む道は、まるで物語の中に入ったようで不思議な感覚でした。
まぁ、特に楽しみとか、そういった感情は湧きませんでしたが。
フィンガル王国から見て、アヴァロニア王国は北西にあたります。
自然が豊かなアヴァロニア王国はフィンガル王国よりも大陸の内陸にあたります。
陸路で向かうのであれば、深い森や険しい山々を超える必要がありますので、今回の旅程は海を利用して山脈を迂回する、と聞かされています。
陸路であれば倍程もかかる行軍日程になりますが、船を使えば半減されるという点もあって、皆さんは港町を最初に占拠し、そのまま王城へと攻め込むというルートを取ったそうですし、それが正解でしょう。
まぁ、陸路よりは正しい選択だと私も思います。
何せフィンガル王国は、海に対する価値を一切考えようともしていない国ですからね。
それでも制圧する必要があったのであれば、大変だったのではないでしょうか――と訊ねれば、イオ様が笑いました。
「港町アルベトの制圧は簡単だったのよねぇ。私達がアヴァロニアからやって来たというのに、攻め込まれたという意識どころか、いっそ珍しいものが来たと見に来たようなものだったもの~」
「そうだな。まぁ無駄な争いを回避できたと考えれば悪くはなかったが、拍子抜けだったのも事実だ。海から入り込まれる可能性を一切考えていないとは思わなかったが」
イオ様、アラン様が言うように、民には危機感がなかったというのは正しいでしょう。
フィンガル王国ではあまり漁業は盛んではありません。
航海技術が発展したのはここ五十年程の事ですが、フィンガル王国はその価値を考えず、攻め込まれる想定はもちろん、交易にすら手を伸ばそうとはしていませんでしたから。
その背景には、フィンガル王国の王族が昔魚を食べて命を落としたとかで「海は呪われている」ぐらいの認識が根付いているからだそうです。
そもそも土地が肥沃であった事もあって、海産物を食そうという発想には至らず。
他国で船が開発され航海技術が発展している最中も、「そんなものに頼らずとも我が国の食料は豊富だ」と、努力を鼻で嗤うような姿勢を貫いていたのだとか。
孤高を気取り、世界から取り残されているという現実に気付かなかったのでしょう。
「ところで――竜車の中でこうした仕事をするのは普通なのでしょうか?」
「えーっと……、普通とは言えないわね~……」
「この竜車は魔道具だからな。普通の幌がついた馬車等とは全く違い、高価かつ貴重な代物だ。今回の遠征では一般的な馬車を利用してこちらに来たが、後続組がこれを使ってこちらに来たという訳だ」
「なるほど」
現在竜車に乗っているのですが、当たり前のようにアラン様、イオ様が書類仕事をなさっています。本で書かれている旅と言えば、一般的には竜車ではなく馬車ですし、そもそも馬車と言えば、揺れるものであると学んだのですが、まったくその気配がありません。
てっきり本の知識は古い知識なのかと思いましたが、この竜車自体が常識的ではなかったという訳ですね。
「そういえばルナよ。『隷属の首輪』が外れて以来、体調に変化はあるか?」
「変化、ですか? いえ、これといって何も。強いて変化を挙げるのであれば、ずっと首元についていた首輪がなくなった事自体に違和感を覚えるといったものでしょうか」
今は代わりに鈴のついたチョーカーをアリサ様からつけられています。
ペットの首輪みたいにしか思えませんが。
「ふむ……、そうか。ならば良いのだが、何かあったら遠慮せずに言うように」
何かあるものなのでしょうか。
そう訊ねてみるも、「そもそも『隷属の首輪』に関する情報がないので、正確には分からない」と返ってきました。
何もない可能性もあるとの事ですので、気にしない事にしましょう。
私に与えられた仕事は、基本的にアラン様とイオ様、アリサ様付きの侍女役でした。
紅茶を所望されれば紅茶を用意しながら話をするだけの、侍女とは到底言えないような仕事です。他の仕事はマリア様が他の侍女隊の皆様に割り振っていらっしゃいますので、そこに私のような新参を組み込むのは難しいのでしょう。
ともあれ、そんな風に平和に竜車で進むこと、三日程。
私達はアルベドにて宿で一泊した後、そのまま魔道帆船へと乗り換え、海へ。
魔道帆船もまた大型の魔道具の一種です。風と魔力を動力にして進む船ですが、こちらはさすがに揺れました。
船に酔った方々の介抱に借り出されましたが、私は特になんともありませんでしたね。
そうして、私達は海で二日ばかり揺られ、ついにアヴァロニア王国内へと足を踏み入れ、港町カサンディアへと到着しました。
「――アラン殿下万歳!」
「――英雄のご帰還だ!」
「――戦乙女のお姉様がたよ!」
アラン様やイオ様、アリサ様に黄色い歓声が向けられ、騎士団の皆様もどこか誇らしげに船から降りていきます。
さすがにあの御三方は目立つからと侍女隊に紛れるように歩きつつ――むしろ侍女隊の皆様に包囲されているような状態ですが――、私も船から降りました。
『――――――』
「ルナさん?」
ふと何かが語りかけてくるような不思議な声が聞こえて顔をあげ、足を止めた私に、マリア様が声をかけてきました。
「今、何かに話しかけられたような気がしたのですが……」
「何かに……? まあ! それはもしかしたら精霊に見初められたのかもしれませんね」
「精霊に、ですか? 精霊は契約しなければ接触が難しいと伺っていますが」
「えぇ。精霊の多くは契約者にのみ感情を伝える事ができる程度になります。ですが、上位の精霊になると、会話を交わす事ができるとも言われていますから。そういった上位の精霊に気に入られると、声をかけられる事もあるのですよ」
「そうですか。多分空耳だと思いますが、話しかけられるようだったら失礼のないように気をつけます」
「……普通は飛び上がるぐらい喜ばしいお話なのですけど、ね……」
しかし、そうですか。
そうなると、精霊はこちらを見ている、という訳ですね。
こちらは見えないのに相手からは見えている、と。
「つまり、精霊とは一方的にこちらを見る事ができる覗き魔なのですね」
「違いますよっ!?」
『――――!?』
おや、また何か――抗議されたような印象を受けるおかしな音が聞こえてきたような気がしましたが……。
ふむ、判然としません。やはり空耳なのでしょう。
そんなやり取りをしながら船から降り、再び竜車に乗り込みました。
さすがにこのカサンディアはアルベドとは比べる程もなく栄えており、海の玄関口という役割も果たしているそうで、町の中の移動だけであっても馬車や竜車を使うのが一般的だそうです。
すでに赤竜騎士団と侍女隊が来る事は通達してあったそうで、カサンディアの軍用施設までの道程は常に人が溢れ、パレードが続いておりました。
「ルナ、これだけ人がいっぱいいる所に出た事なんてなかったでしょ? 疲れたりしていない?」
「疲れる、ですか……? いえ、特に肉体労働もしていませんし、疲れは感じていませんが」
「あー……、そっか、そうよね。ルナはそういうタイプよね……」
アリサ様が何か納得したように呟きながら、竜車に取り付けられた窓――これ外からだと窓がどこにあるか分からないのです――から民衆を見ました。
「まぁ、アリサの言う通りルナにとっては珍しい光景だっただろうね。何か感想はあるかい?」
「そうですね……――」
感想と言われましても、特にはありませんね。
ただ、強いて言うのであれば……。
「――腐りかけの果実に群がる虫のようですね、ここまで集まっていると」
「「辛辣ッ!?」」
今は冬を越えて春です。
これから夏になると、どうしても何処からか入ってきた虫が群がって、いざという時のために取っておいた食べ物に群がるので困る時期だなぁ――と思いながら、私は窓の外で盛り上がる人々を眺めていました。
本日の投稿はここまでとなります。
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次回投稿予定 → 9/11 19時