3-1 Prologue Ⅲ
新章 人形少女と二人の神子 投稿スタートします。
「――その後、学園にいるルナという“精霊の愛し子”はどうだ?」
「……申し訳ありません。僕はどうにも敵視されてしまったようで、なかなか近づく事ができず……。大司教であらせられるフラム様にも釘を刺されてしまっていますし、どうにも……」
椅子に座った初老の男性。
見た目だけならば年を感じさせるが、その眼光は若かりし頃と同様に鋭く光を宿し、目の前で立ったまま項垂れる少年――ロレンソを射抜くように向けられていた。
「ふむ、フラム大司教か。大司教の分際で、聖下にはずいぶんと気に入られているようだ。あまり今は大きく動くべきではないな」
「しかし猊下。あの御方は――ルナ様はただの“精霊の愛し子”ではありません。猊下の掲げる大義を聞けば、きっと賛同なさってくれると……」
「口を閉じよ、ロレンソよ」
「――ッ、申し訳、ありません……」
猊下――そう呼ばれる役職につく者は多くはない。
教皇の補佐という形で任ぜられるたった五人の枢機卿の一人こそが、ロレンソが報告している相手であり、直属の上司である男であった。
「大司教フラムはいずれ枢機卿として取り立てられるであろう。今彼奴に睨まれては面倒事に巻き込まれかねん。しばらくは無闇に接触せず、改心したふりをして行動を正し、機を待つべきだろう」
「……かしこまりました」
「よろしい。では、下がりなさい」
「はっ! 失礼します!」
部屋を出ていくロレンソを見送って、枢機卿の男は一人残された室内でしばし考え込む。
微塵の動きもなく、ただただ椅子に腰掛けたまま瞑目して思考を巡らせる姿は、まるで時間が止まっているかのように思える光景であったが……やがて、男は目を開け、「誰か」と小さく声をあげた。
刹那、室内の影が伸び、その中から滲み出るように一人の男が姿を現した。
「――ここに」
「先程の小僧を消せ。相手は生ける半神、教皇聖下だ。今の内に、彼奴が汚点となる前に動かねば、気取られかねん」
「承知しました。方法は?」
「事故にでも見せかければ良かろう。近く、学園では恒例の行事があったはずだ。そこで処分してこい」
「はっ」
再び影の中へと一歩下がれば、その場に現れた男は消え去った。
「……せっかく“神子”を集めているのだ。ここでいらぬケチをつけさせる訳にはいかぬ」
◆
アヴァロニア王立学園。
数多くの学科と、他国の追随を許さぬ最先端の知識が集う場所として有名なこの学園は今、新たな建物がほんの数週間足らずで建てられたという話題で賑わっていた。
「……『魔法研究塔』……。あのような建物を、この国は僅かな期間で建てられるというの……?」
アヴァロニア王国の隣国、アズリア王国から留学にやってきている一人の女子生徒が、王立学園敷地内に新たに建てられた塔――『魔法研究塔』を遠目に捉え、思わず足を止めて呟いた。
少女の目に映る、白亜の塔とでも言うべき白を貴重に造られているであろう塔。
塔という呼び名が相応しく円柱状の造りをしており、まるで要塞のように城壁で囲ってあるような区画であった。
広大な学園敷地内に悠然と佇み、いざという時には立てこもる事もできそうな程である。
裏を返せば、正門以外からでは容易に足を踏み入れる事すら許されていないとも言えるが、最先端の技術を開発するのであれば、それも当然と言えば当然の措置である。
かの塔について、噂としての情報は流れていた。
曰く、魔法陣と魔道具を新たに創るという専門の研究機関。
曰く、国内外問わず、学園の生徒であれば来年には新たな生徒も募集する予定である。
曰く、アヴァロニアが国を挙げて支援している。
そのどれもが、あくまでも大仰な――それこそ、学園の生徒達が好き勝手に語らう根拠のない噂だと聞き流していたものだが、こうして塔の威容を目の当たりにしてみれば、それらを一笑に付す事は憚られた。
そんな塔へ吸い寄せられるように近づいた少女は、ちょうどその入口で数名の生徒が門の内側から出てくる姿が見え、思わずそちらに目を向けた。
――あれは、この国の王族問題に関係していた二人?
数名の生徒の中に見知った顔を発見して、少女は二人の少女を注視する。
一人は、ストロベリーブロンドの美しい髪を靡かせ、一挙手一投足にまで洗練された仕草が似合い、背筋を伸ばした姿が絵になる少女――エリザベート・ファーランド。
ファーランド公爵家の一人娘であり、文武両道、才色兼備の御令嬢ではあるが、婚約者であった元王族のジェラルドとの間に起きた騒動をきっかけに、社交界では多少評判に傷ついたものの、それでも多くの令嬢を味方につけられるだけのカリスマを持った少女である。
しかし、留学生の少女はそんなエリザベートよりも、もう一人の生徒――肩口まで伸びた髪に紫紺の瞳。決して変わらない表情のない少女であるルナに対する注目度の方が高かった。
「……あまりにも似ているわ」
――あの日見た、死神様に。
そう心の中で付け足して、少女は当時の事を思い返していた。
王都の空を舞う、漆黒の大鎌を携えた死神。
その姿を見た者の多くは、死神というお世辞にも吉兆を齎す存在とは程遠い存在を思い浮かべ、再び姿を見る事がないようにと怯えていると言う。
そんな市井の民とは対照的に、神話を知る者であれば、その反応は神に対してあまりにも失礼だと憤る。
死神という存在は『生と死、破滅による再生』を司る月の女神ルナリアの使いとして有名であり、一説によればルナリア自身がそんな存在であったのではないかという説も有力視されているのだ。
創世教は王都の空に現れた死神については調査中であると口を噤んだまま沈黙を貫いているため、そもそも死神を見たと口にしている者が嘘をついているのではないかという世論に押し流されつつあるが、少女は確かにその目で見届けていた。
そして何より、少女は――ルナこそが“自分と同じ存在”であると理解していた。
「――まさかこの国で“お姉様”と会えるなんて、これも縁なのかしら」
『やめておきなさい、ヘンリエッタ。あの御方が本当に“表裏”の女神であるのなら、近づく事は推奨しません』
脳内に響いてきた声に、少女――ヘンリエッタは小首を傾げた。
『どうしたというの、レベッカ? あの御方こそが、“私が神であった頃”のお姉様なのでしょう?』
『だからこそ、です。ルナリア様はお世辞にも、誰かと必要以上に接する事のなかった御方です。下手に近寄ろうとしても、おそらく興味の対象にすらなれないのではないかと』
念話を繋げてきた“天使”レベッカの見解は正しい。
ルナにとってもそれが生来の気質故なのか、或いは神子となる前――女神ルナリアであった頃から受け継いだものなのかは定かではないが、ルナにとって“興味の対象”に人が選ばれる事は珍しい程だ。
身体的な特徴や言動から渾名をつけて呼称するのは、そもそも本人に対して興味を持てず、そういった分かりやすい符号をつける事で認識している証左であった。
レベッカは思う。
もしもルナに対し、ヘンリエッタがバカ正直にも「自分も神子なのです、お姉様」等と口にしたところで、ルナリアであった頃を知る――とは言っても数度見かけた事がある程度でしかなく、面識のない相手でしかなかった――レベッカが予想する回答は「そうですか」の一言であっさりと終わるだろう、と。
――ルナリア様……いえ、ルナ様の周りは常にアルリオ様がいらっしゃいますし、おそらくアルリオ様は私とヘンリエッタの存在に気が付いていらっしゃるはず。なのに接触しようともしてこない事を考えれば、私やヘンリエッタの存在などルナ様にお教えする価値はないと判断されたのでしょう。
レベッカの考えとは裏腹に、ヘンリエッタは面白い事を思いついたとばかりに口角をあげた。
「――そうだ。いいこと、思いついちゃった」
短く告げてくすくすと笑うヘンリエッタが踵を返し、離れていく。
王侯貴族が迫る魔物の暴走現象に追われる中。
それぞれの思惑が蠢動している事に、この時はまだ誰も気が付いてはいなかった。




