1-5 マリア・フルールの感想
――アラン・フォン・レッドフォード王弟殿下と言えば、英雄でございます。
我がアヴァロニア王国が誇る最強の牙、第一騎士団――赤竜騎士団の団長であり、【剣術/特級】の〈才〉を持ち、【火】の契約精霊を持つ御方。八年程前の飛竜討伐戦での八面六臂のご活躍以来、その人気は留まる事を知りません。
あの討伐戦は、先王陛下が崩御される二年前でした。
当時より病で苦しんでいらした先王陛下でしたが、だからこそ次代の王を担ぎ上げるべく二分しかける事となりましたが……あの御方は王位継承権を自らの意思で破棄なさり、お兄様である現王陛下を支えると宣言。それにより、現王陛下と王室の権力は盤石なものとなりました。
そんなアラン王弟殿下を支えるのが、『双翼の戦乙女』と名高いイオ様とアリサ様です。
イオ様は、長い金色の髪はふわりと揺れ、優しさを湛えるような、少々下がった目尻に浮かぶ青みがかった碧色の瞳と、口元のホクロがどこか妖艶さを醸し出していらっしゃいます。
そんな見た目通り、普段は優しげな笑顔を浮かべ、どこかおっとりとしていらっしゃるイオ様は、まるで聖母様のようだと殿方に囁かれておりますが、それは甘い認識でございます。
戦となれば冷徹にして冷酷。あの笑顔に対し、まったくもって笑っていない細められた瞳に映る冷たい光を宿す姿に、わたくしは思わず魅せられたものです。
そしてアリサ様は、そんなイオ様とは対照的で冷たい印象を与える美女。肩口で揃えた銀色の髪に、少々釣り上がった勝ち気な性格を表すような切れ長の青い瞳。他者を寄せ付けにくい、いわゆるツンデレ……コホン、少々尖った物言いですが、その実、優しい御方でございます。
イオ様が聖母様を思わせる容姿なら、さしずめアリサ様は小悪魔といったところでしょうか。
一見すればアラン殿下の寵を争っていそうなものですが、あの御二方はアラン殿下の事は恋愛対象になく――というよりも、そもそも恋愛に対して興味がなさそうです――、アラン殿下自身もまた、今まで浮いた話は一切ありません。
――――そんな方々からの申し出だからこそ、この遠征隊筆頭侍女であるわたくし――マリア・フルールはもちろん、我ら侍女隊の面々は「一人面倒を見たい女性がいる」と聞かされ、思わず耳を疑いました。
――どのような美姫なのでしょうか。
――隠された姫君?
――ついに殿下の春が!?
様々な憶測が飛び交ったものですが……。
しかしイオ様、アリサ様によってルナという少女の来歴を聞かされ、絶句しました。
それはもう、軽々しく推測していた噂を口にしていた自分達の胸に突き刺さるような、酷い現実でしたから。
かく言うわたくしも、侍女隊の娘達を諌めてはいたものの、そういった妄想をしてしまった一人です。思わず懺悔したくもなりました。
波乱万丈、等と言う程の生易しいものではありません。
生きている事が奇跡、そう表現した方が似合う程に、ルナという少女が置かれていた環境は凄絶でした。感受性の高い少女は顔を真っ青にして、共感する能力を持った者は嗚咽する程の、あまりにも悲惨な過去。
不幸中の幸いは、この腐った国の王侯貴族は平民を家畜として扱っていたため、性的な目で見る事がなかった点。そして栄養もろくに与えず、ガリガリに痩せ細り、女性らしさというものを感じさせる事がなかった点というのも幸いしたようです。尊厳については守られていたようだと聞いて、僅かに安堵しました。
「――栄えある赤竜騎士団にそのような愚か者はいないと思いますが~、あの子にもし不埒な真似をする者、性的な目で見る者がいるようでしたら~……」
「私達に報告なさい。――去勢してやるわ」
ひぇっ、と思わず声が漏れそうになりましたね。
イオ様の周囲には風が舞い、アリサ様に至ってはなんだかバチバチと音を立てながら雷光が弾けています。どう見ても戦闘モードです、本当にありがとうございます。アリサ様に至っては、言葉を濁してすらいらっしゃいませんね。
「その……ルナという少女ですが、大丈夫なのですか……?」
情緒面で不安もあるけれど、わたくしが気になったのはむしろ仕事に関してでした。
侍女仕事とは、体力勝負な側面がございます。立ち続け、多くの洗濯物をこなす――つまりは濡れて重みのある布等も多く運びますし、当然料理道具等の運搬も侍女の仕事です。そういった仕事ができる程の体力があるとは到底思えません。
「あの子は基本、私達と団長付きであるマリアの補佐にしてあげてちょうだい。というより、その方が助かるのよね」
「わたくしの、ですか?」
「そうですね~。あの子の能力は、むしろ侍女よりも文官が欲しがりますし~」
「文官が、ですか……?」
「あの子、凄く知識が豊富なのよ。恐らくだけれど、ウチの下手な文官なんかよりも、ね」
それは、普通に考えれば有り得ない話です。
この国は判りませんが、我がアヴァロニア王国の文官になるとなれば、それこそ凄まじい努力が必要となります。そこに地位等は一切必要なく、ただただ勤勉さが求められ、しかしその地位についたとしても、怠惰になればあっさりと首を切られてしまうような、そんな厳しさが常に存在しております。
「……買い被りでは、ないのですか?」
「確かにあの子を妹のように考えているけれど、いくらなんでも贔屓目で見てそんな事は言わないわ。仮にも王女教育って言えば、腐ってもこの国では最高峰ではあったのでしょうね。しかもあの子、書庫の本をある程度読破して知識を蓄えている。それに……」
「あの子はどうも、我が国の『調停者』としての側面についても理解があるようですね~」
「な……ッ!?」
『調停者』の情報は表に発表していない情報です。
この国の人が――いえ、我が国においても平民が知る情報でさえありません。
「あの子は、書庫でその情報を手に入れたと言っていたわ。けど、それらしい記述は見つかっていないのよ……普通の本からは、ね」
「どういう意味でしょう……?」
「まだ確定じゃないし、確認していないからなんとも言えないわ。でも、とりあえず国までは面倒を見てあげてね」
――――そんな事を言われて、それから数十分程。
わたくしを筆頭に侍女隊は集められ、イオ様とアリサ様の間に立つ小さな少女――ルナさんを初めて見ました。
黒い髪は烏の濡羽色を思わせ、人形のような整った顔。丸く色の濃い紫紺の瞳は無機質で、感情を一切浮かべておらず、それがさらに人形のような雰囲気を強く感じさせます。
普通、慣れない者がこういった場で自己紹介するとなれば、僅かにでも緊張します。それが笑顔であろうが萎縮であろうが、そういった差異は必ず出るものです。しかし彼女にはそのような当たり前が通じていないのか、心ここにあらずとでも言いますか……そんな空気を纏っているようです。
その空気を人形のようだと揶揄する者も、薄気味悪いと顔を顰める者も我が侍女隊にはおりません。ルナさんの特異な環境は皆すでに知っておりますから。
「さぁ、ルナ。自己紹介してくれる?」
アリサ様に促され、ルナさんがこくりと頷きました。
痩せ細っている、というのは事実なようで、まだまだ身体は健康体ではありません。痩せ過ぎている、といった程度に留まっていますが、やはり侍女隊は務まらないでしょう。
そんな事を考えながらルナ様を見つめていると、ルナ様は口を開きました。
「――元奴隷のルナです。今はルナという名を与えられていますが、人形、ブス、奴隷、下僕のどれかでもわかりますので、どうぞお好きなものをお選びください」
「「ルナ!?」」
「はい、なんでしょう?」
思わず言葉を失ったわたくし達を他所に、イオ様とアリサ様から声をあげられ、小首を傾げるルナさん。
何故怒られているのか分からないといった表情は、無表情ながらにきょとんとしているのが窺えて、余計にあの子は、育った環境にも関わらず、まったく世間擦れしていないのだと認識させられました。
そんなやり取りに苦笑するアリサ様の、滅多に見せない柔らかな笑顔に侍女隊の若い娘達が思わず見惚れていましたが、ふとアリサ様がキッとこちらを軽く睨めつけました。
「言うまでもないけれど、この子はルナ、よ。さっきこの子が言った呼び名で呼んだりしたら、どうなるか分かっているわね……?」
パチンと音を鳴らして弾けた雷光と、背筋を走るゾワリとした寒気。
それが意味するところに気付かない我が侍女隊などではなく。
ブンブンと音が鳴りそうな勢いで、侍女隊の皆が頷いたのは言うまでもありませんでした。
――……なんとなくルナさんのせいで、これから色々振り回されそうな気がする。
そんな予感がしたわたくしでした。