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人形少女は踊らない  作者: 白神 怜司
幕間 Ⅱ
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閑話 薔薇姫と殲滅姫 Ⅱ

「――始めッ!」


「うおおおぉぉぉッ!」


 大剣を構え距離を詰めるラルフを眼前に見据えたまま、エリザベートはふっと軽く息を吐きながら上体を倒し、ラルフのそれとは比べるべくもない速度で間合いを詰めにかかった。


 長柄の武器は間合いを詰められてしまっては力を十全に発揮できない。

 そんな純然たる事実を理解しているからこそのエリザベートの動きではあるが、自分の身体よりも圧倒的な巨躯を誇るラルフを前に、いざそれが頭で理解できていようとも、実践できるかと問われれば多くの者が躊躇う事となるだろう。


 しかし、エリザベートは躊躇わない。

 速度で圧倒せんと駆け出したエリザベートへと振るわれた大剣は、確かにその瞬間にはラルフがしっかりとエリザベートの姿を捉えている事を物語り、直撃する――はずだった。


 あと一歩踏み込んでいれば確実に直撃していた一撃は、急制動してみせたエリザベートの鼻先を掠め、しかし髪一本すら巻き込む事すらできずに虚空を斬り裂いた。


「――バカな……ッ!」


「大振りが過ぎますわね。隙だらけですわよ?」


 細剣を振るったエリザベートの剣はラルフの大剣をさらに押し出すように弾いた。

 大剣の特性上、拮抗しようとすれば大剣の重みと振り回す膂力では群を抜く性能を発揮できる。しかしながら、振るった方向からさらに加速させるように押し出されてしまっては、動きを止めるには時間がかかる。


 苦肉の策として巨躯を利用した体当たりを敢行しようとラルフであったが、ラルフの鼻先を嫌味にならない程度にエリザベートの香水が香る程度しか届かず、すれ違うように身体を回転させたエリザベートの細剣が、ラルフの腕と足を斬りつけた。


 とは言え、ラルフは鍛え抜いた身体の持ち主である。

 浅いと言える程度の傷を数カ所に刻んだ程度では到底戦いに決着がつくはずもなく、エリザベートは再び距離を取り、細剣を風切り音を奏でながら振るい、油断なくラルフを見据えていた。


「降参なさいまして?」


「フン、何を言うか。この俺の筋肉がこの程度で悲鳴をあげるはずもない! それどころか、歓喜に打ち震えているぞ、エリザベート嬢ッ!」


「……だったら、その震えを歓喜ではなく驚愕にしてあげましょう」


 軽く表情を引き攣らせたエリザベートは本音を隠したが、ラルフのセリフは戦いの行く末を見守っていた他の面々は判りやすいぐらいに「うわぁ」と声を漏らしていた。


 舞うように戦うエリザベートと、豪快な戦い方を好むラルフ。

 まるで対照的な戦法を取る二人では、たった一撃が形勢を逆転させる可能性もある事は、ラルフはもちろん、エリザベートもまた理解している。当然、そこで油断する程ファーランド公爵令嬢として生きてきたエリザベートは甘くはなかった。


 結論を言ってしまえば、細心の注意を払いつつも手数で攻めるエリザベートにラルフの猛撃は届く事なく、勝敗は決した。

 非殺傷結界を出てきたラルフは負けに悔しげに表情を歪ませる一方で、次に鍛えるべき筋肉の部位を思案しているというマイペースぶりを発揮しており、戦法を変えるという発想には至っていないようで、周囲を呆れさせていた。


 一方で、エリザベートはここ最近で妙に増えてきた、騎士科の魔装持ち近接戦闘クラスの見学者から向けられてくる声援に応えて軽く手を振ると、そちらに背を向けて疲れた様子でため息を零した。


「まるで見世物ね」


「ま、否定はできないわね。実際、見学料を払ってくれている訳だし。騎士科としては少ない予算に臨時収入が入ってくれているおかげで、備品を色々と更新できて嬉しい悲鳴があがってるって話よ」


 ぽつりと呟いたエリザベートの呟きに答えたのは、ジーナであった。


「そんな真似をしなくても経費は十分にあると思ったけれど?」


「備えあれば、ってヤツよ。ほら、魔物の暴走(スタンピード)が近いって言われている以上、学園としても色々とお金が必要なんじゃないかしらね。それが善意で集まるっていうんだし、アタシらにとっても設備が整うのに越した事はないじゃない?」


 それに――と付け加えて、ジーナはルナを顎で指した。


「あなたの相棒は一切気にした様子もないんだしね」


「……相棒って……。まぁ、ルナはああいう類を気にするタイプではなさそうだもの。実際、あの子は最近騎士科の財政が潤ってくれているおかげで、食堂でお肉が増えたっていう事実だけを素直に喜んでいるわ」


「それはいいんじゃない? 好きなものを好きに食べられなかった訳だし、ちょっとぐらいは、さ」


 ルナの境遇については、先のジェラルドらとの騒動を通じて学園に通う多くの生徒に知られている。

 そのためか、ルナに気に入られようとする者はともかくとして、ルナを小動物のような何かと勘違いしているような女子生徒が食べ物をルナに与えようとしたりと、さながら近所の犬猫を懐かせるような行為に及ぶという事態に陥っていた。

 もっとも、ルナ自身は「食べ物をくれる」という事実だけがあり、くれた相手に興味を持たないため、残念ながら餌付け行為は実を結ぶ事もないようではあるのだが、それを知るのはルナとの付き合いが長いエリザベートぐらいだろう。

 そもそもの話、ルナは知らない相手に対しては興味すら抱く事がないのだから――と考えて、エリザベートは苦笑を浮かべた。


「どうしたの?」


「いいえ、なんでもないわ。ほら、始まるわよ」


 非殺傷結界の中へと足を踏み入れるルナと対峙するのは、クラウスであった。


 実力だけで言えばクラウスは上位の実力者と言えるが、相手がルナとなるとそれが通用するかは正直に言っても厳しいところがある、というのがエリザベートの所見であった。

 ルナの戦い方にセオリーといったものが存在していない。大鎌という特殊な形状の武器である事も相まって常識が通用しない上に、何よりルナの発想が読めないというのも型破りさを助長している。


「では、ルナ嬢。決して殺しかねない攻撃はしないようにね」


「善処します」


「善処じゃなくて徹底しろよなっ!?」


「……あー……、うん。クラウス、頑張ってくれ」


「俺を応援するぐらいならルナを止めろよな、先生!」


「前向きに検討しよう」


「……あぁっ、もうっ! わぁーったよ! やられなけりゃいいんだろっ!」


 どうにもルナという存在がいると緊張感が保たれないと言うべきか、そんな会話が飛び交う。

 赤竜騎士団員であり、騎士科魔装持ち近接クラスの担任を受け持つコンラッドの合図によって、二人の戦いは始まった。


 ――珍しい。

 ルナとクラウスの二人の動きを見つめるエリザベートが抱いた感想は、まさにその一言に尽きた。


 いつもならここぞとばかりに色々と試すような勢いで動くルナが、『下弦の月』を手に持ったまま何か違和感を覚えたかのように小首を傾げ、動こうとしない。

 対するクラウスもまた、ルナが何をやらかすのかと様子を見ているせいもあってか、お互いに動こうとはせず、奇妙な空白の時間が生まれていた。

 これにはエリザベートだけではなく、戦いを見つめている生徒達も何が起こっているのかとざわつき始めていた。


 しかし一方、正面からルナと対峙しているクラウスが抱いている印象は、それらを見つめている者達とは全く異なる印象を抱いていた。


 ――何かがおかしい、と。

 クラウスとしては先手必勝を狙って動いても良かったのだが、生来の生物としての本能と呼ぶべきものが警鐘を打ち鳴らしているようにさえ思えてならなかった。


 ルナの魔装は、ハッキリと言ってしまえば不気味な代物だ。

 まさに死神を彷彿とさせるような、命を刈り取る為だけに殺傷能力に特化したかのような大鎌と、揺らめく光を放つランタン。

 戦闘が始まると同時に、普段はただただ無愛想で無表情なルナという少女の印象が、まるで冷徹かつ無慈悲な処刑人かのように思えてしまうのは、ひとえにルナが感情の希薄な少女であるが所以に起因しているものでしかなかった――はず(・・)だった。


 しかし、今はどうだろうか。

 一見すれば隙だらけにも思えるルナの姿は、しかし不用意に近づけば己の首が落とされるような未来を幻視させられる。


 ざわつく外野の声は次第に大きくなっている。

 外野の立場にいたのなら自分とて声を大きくして揶揄する事もあるだろうが、それでもクラウスには足を踏み出す事ができなかった。


「ふむ……試して、みますか」


 唐突に、ルナが一言を発した。

 刹那にぞわりと悪寒を感じてクラウスは咄嗟に横に跳ぶとほぼ同時に、()に回転した大鎌がクラウスの立っていた箇所に向かって飛来した。


「く――ッ、相変わらずメチャクチャやりやがるな、ちくしょう!」


 叫びながらも戦いが始まったと理解したクラウスが顔をあげると、ランタンを手に持ったルナがすでにクラウスのもとへと肉薄していた。

 相変わらずじゃらじゃらとけたたましい音を奏でる、ランタンと大鎌を繋ぐ鎖はどこまでも伸びているように見えて――クラウスは気が付いた。


 ――違う、あれは引き戻してやがるッ!

 かつてジーナとの戦いの中で、突如としてルナへと大鎌が戻っていく姿を思い出し、クラウスはさらにルナから離れるように横へと跳んだ。


 その選択は正解であり、同時に不正解ですらあった。

 ルナへと引き戻された大鎌はルナの手に何事もなかったかのように受け取られ、正面から駆け出すように肉薄していたルナに、横に跳んで態勢を崩すクラウスという絶好の攻撃の機会を与えてしまう事となる。


 それでも、クラウスは男としてあっさりと負ける訳にはいかないと歯を食いしばりながら片足で態勢を整えつつ、反撃に躍り出た。

 振るわれた剣は肉薄していたルナの身体をあっさりと斬り裂いた。


「――は?」


 非殺傷結界の向こうでは悲鳴が聞こえていたが、しかしクラウスは狐につままれたような気分であった。

 しかしそれは、苦し紛れに振るった剣があっさりとルナに当たってしまい、その身体を斬り裂いてしまったから――ではない。


 振るった剣が“一切の感触なくルナの身体を斬ったから”だ。


「――なるほど、【幻月】とはこういう効果でしたか」


 動きを止めたクラウスの背後、死角となった箇所から突然飛び出てきた大鎌の刃。そして同じく、背後から突然聞こえてきたルナの声に、クラウスは言葉を失った。

 斬り裂いたはずのルナは黒い靄のように揺らめいて消え去っており、迫っていた大鎌が飛来してくるであろう位置にルナが立っているのだから。


「……なんだ、そりゃ……」


「さあ? なんとなく使えるような気がしたので、使ってみました」


「……冗談じゃねぇ。降参だ」


「そ、それまで!」


 戦況を見守っていたコンラッドの声に、ルナが『下弦の月』を消し去って非殺傷結界の外へと歩き去っていく。

 唖然としつつもルナを見送る周囲の面々とは対照的に、どうにも腑に落ちない気分で非殺傷結界を出たクラウスは、ちょうど近くにいたラウレンツへと声をかけた。


「なあ、ルナのやつ、今何をしたんだ?」


「……分かんねぇ」


「はぁ? 外から見てただろ?」


「見てても分からねぇんだよ……。お前に向かって投げた大鎌が戻ってきて、お前が剣を振った瞬間、黒い靄が出てルナ嬢が消えた。んで、飛んできた大鎌がピタリと動きを止めたと思ったら、そっちも黒い靄になって、ルナ嬢になった。……分かるか?」


「……分かんねぇ」


「だろ……?」


 ただ――とラウレンツが小さく付け加えた。


「大鎌を投げるあの瞬間、あのランタンがぼんやり光ったように見えたんだよなぁ……」


「いつも光ってんじゃねぇか」


「違ぇんだよ。金色の光じゃなくて、なんか青っぽい光に見えた」


「……なんだ、そりゃ」


「……さぁな。つかルナ嬢、意味分からな過ぎにも程があるだろ」


 ラウレンツの評価に対する頷きは、その話を聞いていたラルフとクロからも返ってくる事となったのであった。


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