2-27 決戦 Ⅳ
「――ふ、ふふ、あはははっ」
一連の流れを見守っていると、ついにエリーが声をあげて笑いました。
その姿を、まるでついに気が触れたかとでも言いたげに見つめる残念殿下ら一行と、勝ちを確信したとでも言いたげにほくそ笑むエレオノーラ様。
しかし、当然そんなはずはありません。
そのまま目を細め、扇子で口元を隠して殿下へと視線を向けつつ、ドレスに備えつけられた小さなポケットに手を入れました。
「ジェラルド様、それは本音ですのね?」
「あぁ、そうだ。偽りの愛に生きるなんて、僕にはできない。アメリアと共に生きると決めたんだ」
キリッとした顔で宣言なさっていますね。
あまりのキメ顔っぷりにエリーがどんどん無表情になっていっていますよ。
怒りで、ではなく、単純に呆れて、ですが。
「その為に、わたくしとの婚約を破棄する、と」
「そうだ。自分の手を汚さずに周囲を操り、アメリアを陥れているようなお前と一緒になる事はないッ!」
そのセリフ、エレオノーラ様にぐっさりといきそうですけど。
エレオノーラ様はおくびにも出さずに見守っていらっしゃいますね。なかなかの役者ぶりです。
あ、このお肉美味しいですね、ちょっと多めにいただいておきましょう。
僅かな沈黙が流れ、エリーがため息を吐きました。
「では、そうなさっていただいて結構ですわ。あなた様の発言を以て、婚約破棄は成立。――同時に、ジェラルド様の王族身分の剥奪が、今の宣言によって正式に決定致しましたわね」
――これが証拠です。
そう付け足しつつエリーが取り出して開いた紙は、偽造の許されない国王直筆のサインと玉璽が押された勅書。
記されている内容は、今しがたエリーが言った通りのものです。
「――え……?」
「こちらに書いてあります通り、”王族としての自覚が足りず、義務を放棄した者”としてジェラルド様の王族身分は現時刻を以て剥奪されます。同時に、王族としての義務を王命なく放棄した事により、これまでジェラルド様の生活にかかってきた税と我がファーランド公爵家への慰謝料が借金となりますわね。ローレンス様にご試算いただきましたが、王国白金貨にして一枚と、王国金貨七十枚ですわ」
占めて金貨百七十枚、ですか。
一般的な四人家族が一年間に不自由なく暮らすのに必要なお金は、金貨にして三枚程と言われています。
これに王家で受けた教育、食費、衣服や装飾品を含めた諸々と合わせて七十枚では少なすぎるとは思いますが、それでも個人にとってはなかなか支払うのが難しい金額ですね。
ファーランド公爵家への慰謝料として王族ではなく“個人”で金貨百枚――つまり白金貨一枚ならば、妥当と言えば妥当な金額なのでしょう。
もっとも、これが王家と公爵家での慰謝料であったのなら、その数十から数百倍の白金貨が動く事になるだろう、とはローレンス様の言でしたが。
あくまでも王族身分を剥奪された個人に対するものであり、婚約そのものが名ばかりの綺麗なものだったからこそ、その程度で済んでいるのでしょう。
「な、んで……」
「なんで、とは? ジェラルド様が王族の身分を剥奪される事についてですの? それとも、あなたが今まで当たり前のように使っていた民の血税が、借金となって降りかかる事を仰っていますの?」
「そ、そんなのどっちも――!」
「王族たる者が役目を放棄しておきながら、甘えるのもいい加減になさいませ!」
エリーの言い分はごもっともで、残念殿下もさすがに口を噤みました。
さすがにエリーが声を荒らげるとは思っていませんでしたので、私も危うくお肉様を一枚、味わいきる前に呑み込みそうになってしまいましたね。
危ないところでした。
「王侯貴族にとっての婚約とは、個人的な感情で決めるものではありません。民の血税で生きているわたくし達は確かに贅沢を許されていますが、それは将来的に貴族として民へ還元し、時には国の為に率先して死ぬ事すら必要だからですわ。その義務をみだりに放棄するのであれば、本来は斬首されてもおかしくはありませんのよ? この程度で済んだのは、ひとえにジェラルド様が十五歳という、まだ成人になったばかりだからに他なりません」
さすがに顔を蒼くする残念殿下ですが、アメリアさんもまた呆然としていますね。
せっかく“王子様との身分を越えた恋愛”とやらに興じていたのかもしれませんが、平民と王族が、平民に功績もなく結婚する等、普通に考えればまず有り得ません。
よく物語に使われる「その後は王子様と結婚し、幸せに暮らしましたとさ」という締め括りは、王子様が“王子様”のままとは限らない、という訳です。
そしてもう一人――この陛下のあまりの行動の早さについて行けず、呆然としているのがエレオノーラ様ですね。
せっかく自分だけはうまく取り入り、周りを誘導して手を汚さずにいたというのに、肝心の取り入った相手が没落してしまっては意味がありませんからね。
まさか王家が“この程度の問題”に介入してきて、あまつさえ王位継承権を持っている王族の身分を剥奪するという強力な手札を切られるはずがないと思い込んでいたのでしょう。
せいぜい王位継承権の剥奪に留まる、とでも踏んでいたのでしょうね。
――あなたはやり過ぎたのですよ、エレオノーラ様。
他者の傀儡となって踊らされた残念殿下は、今後二度と社会的に信用される事はありません。
貴族社会で致命的とも言える瑕疵――色によって正体をなくす、という評価を受けてしまった残念殿下に、もはや再起の道は残されていないのですから、身分を剥奪されるのは当然と言えば当然です。
それ程までに、アヴァロニア王家は徹底しているのですよ。
今回の騒動で、国内の全ての膿を出し切ると、そう決意されているのですから。
再び騒動を起こしかねない存在を許す等という、そんな甘い処分は有り得ません。
「さて、これだけで終わり、なんて甘いはずもありませんわ。ジャック様、こちらは“もしも殿下の行動を諌めないのであれば渡していただきたい”と言われ、預かっていた手紙ですわ。どうぞ」
茫然自失として佇む残念殿下の再起を待つつもりはなく、エリーが次へと進みました。
取り出された封筒にはジャック様の家であるグランジェ伯爵家の封蝋。
呆然としつつも震える手で受け取り、手紙の内容に一通り目を通していくにつれて顔色が悪くなっていくのが見て取れます。
「……婚約は破談。降格に、廃嫡……」
ぽつりと呟いたジャック様の手から落ちた手紙を拾い上げると、ジャック様の婚約者であるレイナ様も横から覗き込んできました。
ジャック様の軽率過ぎる行動により、グランジェ伯爵家は子爵家へ降格。同時に領地没収とジャック様の廃嫡が決定。
学園も退学の手続きが済み次第、領地に戻るように、と力強い筆跡で書かれた文字。
それらを読み終えたのか、レイナ様が意地の悪い笑顔を浮かべました。
「まあまあ、大変ですわね? 婚約も破談になったようですし、あとはどうぞご自由になさってくださいな。さようなら」
まぁ、そうなるでしょうね。
レイナ様の反応はごく自然な、当たり前の成り行きです。
いい気味だと言いたげに颯爽と去っていくレイナ様を横目に、さらにエリーが続けました。
「続いて、シリル様にはこちらですわね」
「――失礼する」
エリーが一枚の紙を見せつつパチンと指を鳴らすと、会場の扉が開かれました。
入ってきたのはコンラッド先生と数名の赤竜騎士団の騎士の皆様ですね。
突然の闖入者に驚く他の生徒の方々には目もくれず、シリル様へと歩み寄るなり、エリーが手に持っていた紙を受け取りました。
「令嬢誘拐を企て、ならず者を雇ったとして身柄を拘束せよとの命令が出ています。ご同行いただけますね」
問いかけるような言い回しですが、そこに拒否権などあるはずもありません。
シリル様は力なく項垂れ、闖入してきた赤竜騎士団員の内の二名に連行されていきました。
「あぁ、失礼。エレオノーラ・ランベール子爵令嬢」
「――ッ、な、なんです、の……!?」
このタイミングで自分にも水を向けられるとは思ってもみなかったのでしょう。
強張った声をあげるエレオノーラ様に、コンラッド先生が続けました。
「ランベール子爵家の強制立入り調査が入っている。アレッタの密輸を含む違法取引の数々についてだ」
「――……ッ、それは……。申し訳ありませんが、御力にはなれませんわ……。私は家の一切に関与を許されていませんでしたので」
「ふむ、そうか。しかし、キミにも取り調べを行うようにと言われていてね。はいそうですかと引き下がる訳にはいかないのだよ」
「え?」
「キミの〈才〉が甘言を用いて他者を誘導する類のものだという話があがっているものでね。まさかキミ自身が関与していないとは思うが、“他人を誘導する力を持つ人間”となれば、多少は調べておかなくてはならないものでね」
「な……ッ!」
「色々と取り込み中のようだから、そちらが落ち着いたら外へお願いするよ」
そんな言葉を残して立ち去ろうとするコンラッド先生が、私とエリーに向かってパチリとウインクしてみせました。
コンラッド先生は赤竜騎士団所属ですから、今回の騒動の黒幕としてエレオノーラ様がいる事は知っていますし、敢えて彼女の〈才〉をこの場で暴露してみせたのでしょう。
本来、〈才〉は他人に知らせるものではありませんが、〈才〉は創世教会の司教以上の役職にある方が行う儀式で得られるものですので、当然危険性のある〈才〉は国に報告される事となります。
私の場合はついつい呟いてしまって教える結果となりましたが、本来は司教には報告する義務があるそうですし、不可思議な犯罪には〈才〉を用いた危険性があるので、関与しているであろう関係者の〈才〉持ちは真っ先に疑われるものです。
コンラッド先生の狙い通りと言いますか、エレオノーラ様の〈才〉がそういった代物であると知るなり、周りの生徒達が「そういえば」とエレオノーラ様と話した際に感じた違和感を口にし始め、場は騒然となりました。
「エレオノーラ様っていつもアメリアさんを庇っていたよな……」
「殿下とかにも声かけられてたし、もしかして……」
「いやいや、さすがにそれはないだろ。……ないよな?」
「でも、アメリアさんがイジメられていて可哀想って、そう言ったり……。それにエリザベート様が酷い真似をしてるって、私、エレオノーラ様から聞いた気がする」
「あ、あぁ、俺もだ……。あの人が言うんだから本当なんだって……え……?」
「じゃあ何か? 俺らも騙されてたって事かよ……!」
「どうなんだよ、エレオノーラ・ランベール!」
「薔薇姫の横で小動物みたいにお肉ばっかり食べてる殲滅姫、マイペース過ぎんだろ……」
瓦解していくエレオノーラ様が築き上げてきた信用。
砂上の楼閣とも言える、見栄えばかりを整えてきた信頼が足元から揺らぐ事になってしまった今、エレオノーラ様に対する目は猜疑心に染まったものばかりとなってしまったようです。
しかしそんな中、エリーが口を開きました。
「――お黙りなさい」
じわじわと広がっていた混乱を、エリーの鋭い一言が一瞬で制しました。
「いくら〈才〉があったとしても、たかが噂に左右され、主体性もなく翻弄されていたのは自分達が未熟であった証です。それを棚に上げて彼女だけを責めるような卑劣な真似は、わたくしが許しませんわ」
「え……?」
バツが悪いのか口を噤んだ周りの野次馬生徒。
そんな彼ら彼女らを見て、きょとんとしたようで、けれどそれでも自分が助かる筋道があると考えたのか、エレオノーラ様が表情を明るくさせたところで、さらにエリーが続けました。
「あら、勘違いしないでくださる? わたくしは卑怯者が嫌いなだけですわよ。そして、わたくしにとって一番嫌いな卑怯者とはどういった存在か……あなたなら分かるのではなくて?」
「ち、違う……違うッ、違いますわ、エリザベート様! わたくしは何も……!」
「えぇ、そうね。あなたは確かに“何もしなかった”。ただただ自分の都合の良い方向に周りを誘導して、高みの見物を決め込んだまま他者を見下し、操り、嘲笑いながら過ごしてきただけですわね」
「そ、れは……ッ!」
「見苦しくってよ、エレオノーラ・ランベール。一介の子爵令嬢風情が、由緒正しきファーランド公爵令嬢であるわたくしに向かって、何を勘違いして演出家を気取っているのかしら。片腹痛いにも程がありましてよ」
おぉ、なんだかエリーが本当に物語の中にいる悪役令嬢のように見えますね。
扇子をびしっと突き付けて語るエリーに、思わず私もお肉様を食べながら見入ってしまいます。
「わたくしを蹴落としたいのなら、少しぐらい骨のある役者と舞台を揃える事ね。現実を見る事すらできない“恋愛ごっこ”等という、手垢まみれで面白みも深みもない浅はかなテーマ。頭の悪い登場人物と、三流もいいところのあなたという演出家だなんて、公爵令嬢のわたくしには役不足でしてよ?」
「……ッ!」
「出直してきなさい、と言いたいところだけれど……終幕ですわね。わたくしを踊らせたいのなら、せめてルナぐらい破天荒な子がいないと物足りませんでしたわね」
「もきゅん?」
お肉様が口の中を満たしているので、声になりませんでした。
ざまぁ展開、まだ続きます。




