2-26 決戦 Ⅲ
高等科新入生パーティーとは何かと言うと、有り体に言えばただの食事会というのが現実的なところでしょう。
先程からわたくし――エリザベート・ファーランド――の横で次々に目新しいお肉料理を見つけてはもきゅもきゅと頬張り、無表情なのに何故か満足そうで幸せそうなルナを見ていると、彼女こそが本当の意味で唯一パーティーを楽しめている一人なのだろうと思わずにはいられません。
ルナにも色々説明しましたが、学園は社会の縮図。
ここにいるのは、将来のお互いの家が担う役目、持つ領土、商売上。それらの敵味方となるであろう子息令嬢同士の交流の場でもあり、高等科ともなればそういった意味合いを孕んだ付き合い方というものが考えられるようになるもの。
もちろん、そうした関係も学園の通う時代に改善し、お互いに関係を良い方向へと移し、発展した方々もいますが、それは稀な例と言っても良いでしょう。
ファーランド家は公爵家です。
貴族以上王族未満という立ち位置ですし、学園に入っても面倒な勢力争いに巻き込まれずに済みやすく、せいぜいがすり寄るような輩に相応の甘い扱いをしつつ、けれど蔑ろにし過ぎない程度に接する、というのが目標だったというのに……。
まったく。
思えば、ずいぶんと想像していなかった方向に転がったものですわね。
まさか“恋愛”などという代物に振り回される事になるなんて。
ジェラルド様との婚約は、まだわたくしが幼少の頃――先王陛下の時代にお父様との間で取り交わされたものです。
言い方は悪いですが、当時は第三王子であったジェラルド殿下との婚約に“旨み”は少なく、強いて言うのなら王家と公爵家の結束力が高いと周知させ、先王陛下の治世で揺らいだ王室の権力を強める、というものが狙いであったと聞いています。
一部ではわたくしと殿下がお互いに一目惚れした、なんていうお話もあるようですが、わたくしにそのような感情は一切ありませんでした。おおかた、わたくしと殿下の婚約を少しでも劇的に演出するため、お父様と先王陛下との間でそのように捏造したのでしょう。
詰まるところ、今回の婚約破棄によって多少わたくしの名に醜聞が流れる可能性はあるものの、わたくしとしては歓迎こそすれど拒む必要などなく。実際、先王陛下が崩御された今となっては、我がファーランド公爵家としては“破棄してしまった方が都合が良い”という話を、つい先日の誘拐騒動の一件でお父様には告げられました。
さすがにお父様も今回の騒動では黙って看過できなくなったようです。
――「ふぅん、そんな真似をしてくれているんだね、ジェラルド殿下は。うん、分かったよ、エリー。婚約破棄してくれるっていうなら、そのお言葉に甘えさせてもらおうじゃないか。なに、後はお父様に任せてごらん? ――そんなクソガキ、地獄を見せてやろう」。
お父様が怒る姿は見た事がありませんでしたが、あれは間違いなくお怒りでしたわね。
ともかくそんな訳で、わたくしのファーランド公爵家も、陛下やローレンス宰相閣下も婚約破棄については同意なさっているのですし、後顧の憂いはありません。
場を眺めるわたくしと、また新たなお肉料理に舌鼓を打つルナ。
パーティーを盛り上げる為の催し、という意味もあったのか、司会進行役を担っている男子生徒が拡声魔道具を手にしました。
《――あー、テステス。しっかり聞こえているみたいで何よりですね! では、早速ですがこれからダンスタイムに入ります! 婚約者がいらっしゃる羨ましい方々はともかく、この機会に気になっている異性を誘ってみましょー!》
そんな一言と共にノリノリな雰囲気を出そうとしていたようですが、ちらりと執務科の教師に目をやれば、完全に顔から血の気が引けていますね。
おそらく、これは元々の予定にはなかった、その場の勢いに任せた突発的なイベントのつもりなのでしょうが……よりにもよってこんなものを選んでしまうとは。
拡声魔道具を持っている男子も、さすがにホール中の音という音がピタリと止んで空気が悪くなった事に気が付かないはずもなく、予想外な事態に目を白黒させています。
きっとあの方、平民ですわね。
男子ですし、噂に疎いタイプなのでしょう。
自分で言うのもなんですが、わたくしと殿下が婚約しているという事は貴族社会では知らない方がいない程度には有名です。
そして同様に、わたくしと殿下の間に起こっている“騒動”を知らない女子はいませんし、貴族家に連なる者ならば男子でも皆知っています。
――婚約者や恋愛というワードを極力使ってはならない。
そんな不文律を。
今の学園内で“婚約者”と“恋愛沙汰”というのは必然的にわたくしと殿下の騒動を彷彿とさせるようで、わたくし達の前でそういった態度や話題は避けるように気を遣われている、という訳です。
そしてそれは何もわたくしと殿下だけの話ではなく。
アメリアさんによって誑かされているシリル様とジャック様、そしてルシエンテス財務卿子息のロレンソ様の婚約者にも気遣ったものです。
そんな状況で、こんな催しをすればどうなるか。
「――私達をバカにするのも大概にしなさいよ!」
怒声と共にパチン、と乾いた音が鳴り響きました。
そちらを見やれば、頬を押さえて倒れ込むアメリアさんと、元々気が強い方だとは思っていましたが、シリル様の婚約者であるオベール伯爵家の令嬢であるミラベル様の姿が見えました。
ミラベル様を中心に、ジャック様とロレンソ様の婚約者も付き従っているようですね……。
よりにもよってこのタイミングで手をあげてしまうなんて、と頭が痛くなります。
彼女達は公爵令嬢という立場のわたくしが殿下を諌める事で、どうにか怒りを抑えていましたからね。
それがこういう場で、しかも何も考えずに殿下らに庇護されるように囲われながらやって来たアメリアさんに対し、怒りを堪えるのも限度があります。
そんな中で先程の司会進行役の言葉もあって、彼女達は大手を振って”婚約者”のもとへと向かい、その勢いのまま、といったところでしょう。
せめて騒動が決着してからならば、被害者として手をあげてしまうのも大目に見る事もできたのですが……。
今の状況で、しかも他の生徒が見ている前で先に手をあげたとなれば、彼女達ばかりを庇う訳にはいきません。
ちらりとエレオノーラ様を見てみれば、この騒動は利用価値があると踏んだのでしょう。
隠しきれない愉悦を滲ませ、口角をあげています。
「ミラベル! お前、何を……ッ!」
「またそうやって、シリル様はこの女ばかり庇うのですか!? 婚約者である私がいるというのに、私には会おうともしないで、いつも……!」
「ジャック様もそうですわっ! 何が将来は立派な騎士になる、ですかっ! 婚約者を蔑ろにして他の女に現を抜かす立派な騎士なんて聞いた事もありませんわっ!」
「ロレンソ様―、やっほー」
モンテス子爵家の御令嬢、ジャック様の婚約者であるレイナさんの剣幕に、アメリアさんを助けようとしたのか前に出てきたジャック様ですが、しどろもどろなご様子。
……ロレンソ様の婚約者は確か、変わり者と名高いマルシェフ伯爵家のナイナさんでしたわね。
なんだか久しぶりに友達に会った、ぐらいな感覚でのほほんと手を振っていますわね。
なんだかこのままでは泥沼化してしまいそうですし、わたくしが動いた方が良さそうですわね……。
「ルナ、行きますわよ」
「もきゅもきゅ」
「……まぁ、口出しするなと言ったのはわたくしですし、好きに食べていて大丈夫ですわよ」
「もきゅん」
お肉の乗ったお皿を持つルナを引き連れる形で、わたくしも騒動の原因となっている集団へと歩み寄ります。
他の生徒もわたくしが近づいている事に気が付いたようで、人垣が割れていきました。
「――何を騒いでいるのかしら?」
「何をって……――ッ、エリザベート様……!」
レイナ様が怒りのままに噛み付く勢いで言葉を発しかけて、わたくしが相手だと気が付いて言葉を呑み込みました。
心なしかシリル様とジャック様がほっとしたような表情を浮かべているように見えますが、わたくしはあなた方を助けに来たつもりはありませんわよ?
「ミラベルさん、レイナさん、それにナイナさんも。アメリアさんの一件は私が預かると言っておいたはずですわね?」
「ですが……っ!」
「アメリアさんは貴族社会のルールを理解されていませんわ。そんな彼女に知らぬものを即座に把握し、守れというのは無理な話。だからこそ、わたくしは彼女が懇意にしている殿下にルールを教え、守らせるようにと諌めていますわ。それは理解してくださっていたはずですわね?」
貴族社会のルールとは、生まれてから徐々に学んでいくものです。
細かく挙げていけば、それこそ枚挙に暇がない程度に多く、しかしそれらを知らなければ恥を掻く事になるからこそ、貴族家の子息令嬢は日々の生活の中でルールを学んで生きてきます。一朝一夕で身につけられる代物ではありません。
だからこそ、わたくしは貴族社会を生きてきたアメリアさんではなく、貴族の模範となるべき殿下を諌めてきたのです。
共にいるのであれば、守りたいのであれば、しっかりとあなたが教え導くのが道理なのだと。
彼女達にも、怒りのままにアメリアさんに当たるような真似をすれば、それはあなた達の品格を貶める事になるから、と止めてきました。
「……お言葉ですが、エリザベート様。いつまで経っても変わらないままではありませんか……! 婚約者に放っておかれたまま、周りからも腫れ物扱いなんて、こんなの耐えられませんわ……!」
「落ち着いて、ミラベルさん。事情は周知されていますわ。あなたや皆さんに非がない事は、然るべきのち、わたくしがしっかり証明します」
「だからって……! エリザベート様は悔しくないのですか……!」
「レイナさん。思う所がないと言えば嘘になりますが、それでもわたくし達が抑えなければなりませんわ。それに――婚約者や夫の不始末を許すのは、良妻の条件と言いますでしょう?」
緊迫する空気をほんの少しだけ緩めるべく、柔らかく言い放ってみせれば、ミラベルさんとレイナさんもまた、少しだけ気持ちが落ち着いたのか、ふっと力なく表情を緩めてくださいました。
「さすがはエリザベート様、器が大きくいらっしゃる」
「それにしても、このような騒動をいつまで続ける殿下は……」
「いえ、アメリアさんもいい加減ちゃんと学ぶべきよ」
「薔薇姫様、尊い……ッ!」
何やら周囲の注目が集まり過ぎてしまいましたが、ここは一旦仕切り直しとするべきでしょう。
そう考えて、向こうの集団の長とでも言うべきジェラルド様へと振り返ったところで――殿下が口を開きました。
「――相変わらず、周囲を操る事だけは上手いようだな……エリザベート」
「……は?」
「そちらの三人をうまく誘導しておいて、場を収めてみせた自分を評価させる。なるほど、自分の手を汚さずに他人を利用するお前の考えそうな手口だ。そうやってアメリアを孤立させ、周囲を味方につけるような非道な手口を、この僕が見過ごすとでも思っているのか?」
……キリッとした顔で言われましても、まったく心当たりがありませんわね。
そんな事を思って呆けているわたくしに、殿下はそのキリッとした表情のままにわたくしを指差し、堂々と告げました。
「――エリザベート・ファーランド! 婚約者という立場がお前を増長させているのかもしれないが、もう我慢の限界だ! 僕とお前の婚約は、破棄させてもらう!」
…………なんなんですの、この茶番。
いえ、何を言っているのかは理解できます。
結局のところ、ジェラルド様にとってわたくしはどこまでも“悪役令嬢”なのでしょう。
「僕は真実の愛を見つけたんだ。アメリアこそが、僕が本当に愛する女性だ」
「殿下……!」
アメリアさんも何やら感極まった様子で殿下に支えられて立ち上がりましたけれど、さっきまであなた、叩かれたのに呆然として見過ごしていた相手ですのに、よくもまぁそんな盲目的に縋れますわね。
殿下は殿下で、真実の愛、ですか……。
いえ、それを決して馬鹿にしている訳ではありませんが、殿下についてはもう馬鹿としか言いようがありませんわね。
まるで悲恋の主人公のような物言いですし、わたくしが嫉妬に狂っているかのような言い分なのですが、わたくしには一切そんな感情はありませんわよ?
――ならば、わたくしも“悪役令嬢”に徹してあげた方がよろしいのでしょうね。
もっとも、わたくしは陳腐な“悪役”ではなく、純然とした真実を告げる事で、悲恋に酔っている二人の淡い魔法を解くという悪になる事になりますが。
意を決して、わたくしはゆっくりと口を開きました。
次回、ざまぁラッシュ




