2-23 人形少女の抱いた感情 Ⅳ
荒くれ者――そう呼ばれるようになってから、男達の行いはまさに名を表すかのように危険なものばかりに傾倒していった。
裏の仕事というものは、常に人手も足りなければ、真っ当に生きる者らにとっては接触する方法すら分からない、というのが実状である。もちろん、大手を振って「ここが裏仕事屋です!」といった看板を立てている者はいないのだから、当然と言えば当然だが。
故に二流とも三流とも呼ばれるような男達、魔物が蔓延る町の外で山賊やら盗賊となる気概もない者らは、必然的に小間使いのように扱われる事が多い。
今回シリルというお貴族様のお坊ちゃまが得た伝手を利用して回された仕事とは、要するにそんな二流三流に流れてくるような酷く簡単なお仕事であった、という事だ。
本来、ただの小悪党でしかない傭兵くずれの男達。
そんな男達が、国の最高貴族である公爵の娘に手を出したのは、ひとえに報酬に目が眩み、何故か指示された場所に行くだけで標的が一人でいるところに出くわしたからこそ成功したという、いかにも作られた状況下であったからに他ならない。
貧民街こそ存在していないが、後ろ暗い者らが集まる区画というのは人が多ければ当然出来上がるものであり、アヴァロニア王国の王都アヴァロンにもそういった受け皿のような区画は存在している。
そんな家の外に木箱を置いて座り込んでいる男は、見張りを命じられて退屈さと暇を持て余しながら、大きな欠伸をした。
――ありゃあいい女だった。
つい先程、眠っているフリをしているエリザベートに悪戯しようと考えた男は、退屈しつつも下卑た妄想を膨らませていた。
白磁のように透き通る肌に整った顔立ち。
まだどこか幼さは残るものの、あと数年もすれば匂い立つような美女になるだろう、というのが、男がエリザベートに対して抱いた印象だった。
未だ早熟ではあるものの、そんな美女候補の美少女相手に触れる事すら許されなかった事が悔やまれた。
そんな妄想に駆られ、欠伸ついでにふと目を閉じ、次に目を開いた瞬間だった。
そこには漆黒の大鎌を手に持つ、黒い髪の少女が佇んでいたのだから、男は思わず目を見開く羽目になった。
「あ……あぁ? なんだ、嬢ちゃん? こんなとこ――」
問答無用とはまさにこの事であった。
男が立ち上がり、まさに少女――ルナへと問いかけようとしたところで、男は鈍重な何かが唸りをあげながら振るわれ、襲ってきた事にも気付かず、その首と胴体が泣き別れする事となった。
さながら噴水のように噴き上がった返り血すら浴びずに、今しがた生み出した死体にすら見向きもせずに、ルナは目の前の建物――パスの繋がったアルリオがこの場所にいると理解して、僅かに目を眇めた。
「――【消滅】」
ただの一言で、目の前の家を守る門とその先にあった建物の扉が消え去った。
突然の事に何が起きたのかと慌てふためく男達の声を聞いていると、ふと倒れた死体から半透明ながらも揺らめく炎のような何かが、左手に持つランタンの中へと吸い込まれていくのが見えて、ルナは小首を傾げた。
内側には今しがた吸い取った魂とでも言うべきそれと似たような、金色の光を放っていたはずのそれは今、青い炎となって揺らめいており、心なしか何故か己の胸の内に「やっと一つめ」といったよく判らない満足感が芽生えた事に気が付いて、ルナはランタンを顔の前まで持ち上げた。
「……集めた方が良さそうな、そんな気配ですね」
ふむ、と一つ頷いたルナがランタンを持った左手を下げ、意識を切り替えた。
アルリオを通したパスというものは、先程までは位置の把握は曖昧であったものの、近づいてみれば何処にいるのかがハッキリと理解できた。
入り口側から見て、右上の角。
窓がないようで、壁に覆われたその向こう側にアルリオがいる。
つまりそこにエリザベートがいると踏んだルナが、動き出す。
その場で踊るようにくるりと一回転――大鎌を投げ付けた。
相変わらずじゃらじゃらと鎖が揺れて奏でる音を耳にしている内に、ルナが投げ付けた大鎌は建物の二階部分の一角に突き刺さった。
その瞬間、「ひいいぃぃっ!?」とアルリオが叫ぶような何かが聞こえた気はするが、ルナは気のせいだと思う事にしたようである。
直後、ランタンを手に持ったルナが駆け出し、飛び上がる。
同時に再びじゃらじゃらと音を立てながら大鎌との距離が縮まりだし、壁に突き立った大鎌に向かってルナが引っ張られるように中空を駆けた。
大鎌を引き寄せるだけではなく、大鎌に引き寄せられるようにして強引に移動する。そんな移動手段を用いてみせるルナであったが、なんとなく“それができる”という確信が彼女にはあった。
凄まじい速度で壁へと近づいていく中、ルナが再び【消滅】と小さく呟けば、目の前に迫っていた壁は黒い霧のような何かに変わって消え去り、慣性でルナが部屋へと飛び込むような形となった。
突如として壁がなくなった室内へと飛び込み、勢いを殺すため、手に戻った大鎌を床へと突き立てる。
勢いを殺すべく突き立てた大鎌が、脆く薄汚れた室内の床をあっさりと貫き、滑りながら床に一条の切れ目を入れて、ようやく動きを止めた。
「――エリー、迎えにきました」
ぽかんと大口を開けて目を真ん丸にするエリザベート。
彼女の身体に傷一つない事を改めて確認した後で、ルナが一言告げてみせれば、襲撃を受けた男らの怒号が遠い世界の出来事にように思える程に間の抜けた空気が流れた。
「…………えっと、色々と言いたい事があるのだけれど……なんだか挙げるとキリがなさそうだから、今は遠慮しておこうかしら……?」
「そうですか。――では、害虫駆除をした後でお話を聞かせていただきますね」
「害虫っ!? ちょっ、ルナ!?」
「アルリオ、私とエリーを浮かせてください」
「はいっ!」
半ば空気のように気配を消し、あわよくば自分に気付かないままでいてくれてもいいと思っていたアルリオであったが、ルナにそんな気遣いは不可能であった。
言われるままに風精霊へと命令を下し、ふわりとエリザベートと自分が浮かんだ事を確認すると、ルナが呟く。
「――【消滅】しなさい」
先程までとは打って変わって、今度はエリザベートの囚われていた建物もろとも、さらに門の内側の範囲全ての大地が数メートル単位で消滅した。
ルナの力が及ばない生き物がどうなるかと言えば、必然的に消滅して掘り下げられた大地に投げ捨てられる形となり、あちこちから突然の出来事に困惑する叫びや、打ちどころが悪かったのか骨を折って痛みに叫ぶ者らが投げ出された。
あまりの光景に絶句するエリザベートとは対照的に、アルリオは目の前の光景を生み出したルナをちらりと見やる。
ルナの目は冷たく、投げ出された男達をまるで虫けらか路傍の石でも見るような目をしたまま睥睨しており、どちらが狩人でどちらが獲物かを物語っている。
――……これなんて屠殺場?
アルリオが心の中で呟いた言葉は、幸いにも口を衝いて出さずに済んだ。
「アルリオ」
「は、はいっ! あなた様の下僕はここに!」
「――水を」
「はい! ……えっ?」
「この穴の中を水で満たしなさい」
情け容赦も逃げ場も与えない一言であった。
ぎょっとしたのは、何もそんなルナの一言を命じられたアルリオだけではなかった。突然起こった、あまりにも有り得ない光景に呆然としていたエリザベートもまたその一人であり、同時に中空に浮かぶルナらに気が付き、目を向けていた男達もまた一緒である。
「女と、兎……?」
「お、おい、やべぇぞ! 早く登れ!」
「なんだよこれ! 滑って掴めやしねぇぞ!」
「どうなってんだ!」
彼らが放り込まれた円柱状の大穴は、先日レイルの足元にルナが突拍子もなく発動させた凹凸の消滅が施されている。短剣や手に持っている武器を突き立てて掘り崩そうにも、つるりと滑っていく。
綺麗に円柱状に消滅された穴の中で叫ぶ男達という、少々滑稽とも言える姿を眺めながらも、アルリオは命令を拒否するつもりもなかった。
――こわい。
今のルナはかつてのルナリアであった頃のような、絶対的な上位存在だと自覚させられるような威圧感があり、そんな相手にフザけた態度を続けられるようなアルリオではなかった。
兎の前足をくるんと振るえば、見えない精霊らが力を行使した。
中空の何もない数カ所の空間から一斉に放水された水が容赦なく男達に襲いかかり、足先から膝へ、膝から腰へ、腰から首へとみるみる水位を増していく。
結果として、足のつかない、それでいて捕まる場所さえもない、町中に生み出されたプールもどきが生み出され――ルナが無情に告げた。
「あの程度では死にきれませんね。アルリオ、かき回しなさい」
男達は“かき回される”事となった。
というのも、水を注いだだけでは浮いていられる事もできるのが人という存在である。ならば水流を勢い良く回転させてしまえばどうか、というルナの悪魔的発想が炸裂しただけの事であった。
「うわぁ……」
エリザベートが思わず引き攣った表情を浮かべるのも無理はなかった。
「お、おぼぉっ、れ、る……!」
「ぶえっ、む、虫が! 顔に……!」
「…………」
ルナの【滅】は生物に作用しない。
つまるところ、建物という存在が消され、そこに潜んでいた生命もまた一緒にかき回されてしまう事になるため、人と様々な生命が仲良く溺れていく構図がそこには生み出されている。
そんな彼らを淡々と眺めるルナの横で声をあげたエリーと、先程から身体の中に棒でも立っているのかと言いたくなる程にピンと背筋を伸ばしたままのアルリオという、不思議な光景が出来上がっていた。
それらを見て言葉を失ったのが、遅まきながらに駆け付けた赤竜騎士団の騎士らであった。
町中で“空飛ぶ大鎌を携えた死神少女様”の目撃談という謎の証言を耳にしつつ、しかし伝令からそれがルナであると聞かされ、行方を追ってきた先に広がるのがこの光景であるのだから、言葉にならない。
そうこうしている内に水の中から次々と魂が浮かび上がり、ルナの左手に持つランタンがそれらを吸い上げるように吸収し、青い炎が揺らめいていた。
◆ ◆ ◆
自分が自分ではないような感覚、と言えば良いのでしょうか。
エリーが拐かされたと聞かされ、それからは何か熱に浮かされているような、衝動に駆られているような不思議な感覚を味わいながら、一人でこの場へとやって来ました。
左手のランタンが吸い上げている“私が刈り取った生命の魂を囚えている”と思われるランタンの炎を眺めている内に、徐々に“怒り”というものが鎮まっていくのを実感しました。
人を大鎌で殺した事。
そして今もなお苦しめている事に、私はこれといった感傷すら抱く事はありません。
相手が敵であると明確に判断した場合、特に何も感じなくなるのが私という存在の本質なのでしょう。
そんな事を考えている内に、視界の隅に近寄ってくる人影に気が付き、そちらに視線を向けました。
「あー……、その、なんだ。嬢ちゃん、無事か?」
「えぇ、エリーは無事に救出できました」
声をかけてきたのはレイル様でしたが、そんなレイル様よりも先にエリーが私の名を呼びながら抱き着いてきました。
「ルナ! あなた、なんで一人で来たのよ……! あぶな……くはなかったけれど、心配するでしょう!?」
「エリーが拐われたと聞いて、つい飛んできてしまいました」
「……ごめんなさい。でも、あなたがそんなに急いでやって来てくれて、嬉しかったわ……」
文字通りに王都の上をひとっ飛びしてやって来ましたからね。
なんとなく伝わっていないような気がしなくもないですが、意味合い的にも間違っている訳ではありませんし、放っておいて構わないでしょう。
「アルリオ」
「はいっ!」
「助かりました。そろそろ止めていいですよ」
「……ほっ、良かった……」
なんだか確認するようにこちらを見つめてから、アルリオが安堵したような声を漏らしつつ精霊に命令を下しました。惰性でまだ渦を巻いているように見えますが、それでも徐々に勢いが弱まってきているようですね。
「レイル様、背後関係を洗い出すのであればどうぞ。まぁあれだけ水の中で回したので、洗ってあると言えなくもありませんが。洗い出すだけに」
「……いやいやいや。笑えねぇよ、それ……。つか、生きてんのいるのか?」
おや、貴族ジョークを見習ってみたのですが、失敗だったようです。
難しいものですね。
「……ルナ」
「はい」
「……ありがとう」
ずっと抱き着いたままだったエリーの、ぽつりと零した一言を聞いて。
私はようやく、エリーを取り戻せたのだと実感したのでした。
――――もっとも、まだ黒幕を潰していませんが。
ぽつりと一言告げると、アルリオはもちろん、エリーまでぎょっとした風にこちらを見つめてきました。
死神様の襲撃




