2-22 人形少女の抱いた感情 Ⅲ
本日2話めの更新です。
まだ前話をお読みになっていない方は、お気を付けください。
こんにちは、シリアス!
酷い頭痛に、身体の芯から冷えているような不快な感覚。
エリザベートがそんな感覚から逃れるように目を覚ましたのは、見慣れない薄暗い一室であった。
――……やられましたわね。
事ここに至って自分が拐かされたのだと気が付いたエリザベートであったが、かと言ってわざわざ取り乱す程、エリザベートは弱くはなかった。
自分の両手は背中側に回されて縛られており、足もまたしっかりと縛られてしまっている事を冷静に確認すると、深いため息を吐き出した。
――短絡的……いえ、衝動的にわたくしを狙ったにしても、稚拙に過ぎますわね。わたくしをどうにかしたいのなら、眠っている間に殺すべきでしたわ。
はたして、公爵令嬢を手に掛ける度胸がないのか、それとも怖気づいた結果監禁するという選択を選んだのかは定かではないが、あまりにもやり口が杜撰であり、敵ながらどうにも“甘ちゃんだ”という印象を抱かずにはいられなかった。
しかし、そこまで考えてから、ふと気が付いた。
もしやこれは、“口封じの為の誘拐”ではなく、“誘拐された公爵令嬢を助けて罪を帳消しにする為の偽装誘拐”ではないだろうか、と。そう考えれば自分が生かされている理由も理解できた。
どうしたものか、とエリザベートは短い時間で思考を巡らせた。
舌を噛み切り、全てをご破産にしてしまうのもまた一興かとも思ったが、それでは前者であった場合に敵側の利になりかねない。しかし後者であれば、無事に救出されてしまっては、敵方の狙い通りの展開ともなって面白くはない。
そうして行動を決めかねているエリザベートの耳に、何者かが扉に近づいてくる足音が聞こえて、エリザベートはそのまま眠りに落ちている振りをした。
「……チッ、まぁだ寝てやがる」
「眠り薬の効果は人によるからな。慣れてなきゃ、あと一刻程は起きねぇよ」
「なら、ちょっとぐらいは悪戯してもバレねぇだろ?」
「バカ言うな。もし事の最中に目が覚めてみろ。魔装か契約精霊で何されるか分かったもんじゃねぇよ。下手に触れるな、このままにしておけ」
「つまんねぇ仕事だな、おい」
「そう言うなって。金はたんまりいただけるんだ。うまい酒と商売女で我慢しとけ」
相手は二人、どちらも賊か傭兵かは判らないものの、ろくでもない男共であった。
彼らが再び部屋を離れた音を確認してから、エリザベートは煩わしい程に激しく脈打つ心臓の音を誤魔化すようにそっと深呼吸して、目を開けた。
尊厳を踏み躙ろうと近寄ってきたところで、一人は殺す。
そんな決意を密かに固めていたエリザベートにあったのは、恐怖ではなく初めて人を手に掛けるという行いに対する緊張であった。
そもそも貴族令嬢であり淑女であるエリザベートが、貞操を守る、結婚する相手にしか身体を許さないというのは当然である。
何よりも己を穢そうとしてくる相手に一切の容赦をするつもりはなかった。
もっとも、それはエリザベートが己に言い聞かせている心音の理由でしかない。
本音を押し殺してはいるが、エリザベートは恐怖で泣き叫びたいという少女らしい感情を、そういった嫌悪と殺意によって誤魔化しているに過ぎなかった。
そんなエリザベートの真後ろで、突然光が弾けた。
「――いやぁ、無事で何よりだね」
「あなたは……ルナの兎さん……?」
「アルリオだよ。本来なら人間なんかによろしくされたくもないけれど、ルナ様の大事な友達となれば話は別だからね。よろしくね、エリザベート」
ころんと転がるように振り返る羽目になったエリザベートの目に映った、真っ白な兎――アルリオは、ルナの前では見せないよう心がけるようになった尊大な態度を隠しもせず、エリザベートへととてとてと近寄った。
「でもまあ、良かったよ。キミが無事で、傷つけられている様子もなくて」
「あら、心配してくださったの?」
「心配、ね……。うん、確かにそうだね。……ルナ様がブチギレてるから」
「……は?」
想像もつかない言葉をかけられて、エリザベートは思わず情けない声を漏らした。
――ルナが、ブチギレている?
感情すら滅多に見せようともせず、にこりと笑う事もない、あのルナが?
呆気に取られて言葉を失うエリザベートへ、アルリオは気にした様子もなく――と言うよりも、いっそ恐怖に身を震わせながらぷるぷると震えつつ続けた。
「あれはやばい……やばいよ、ホント……。ルナ様がブチギレたせいで、今は赤竜騎士団が必死にキミを探しているけれど……多分、ルナ様の方が早くここに来る」
「ど、どういう事ですの?」
エリザベートの問いに、アルリオはほんの少し前の出来事を思い返した。
◆
――――エリザベートが拐われた。
その情報がルナの耳に入ってすぐ、アルリオは主であるルナの異変に気が付いた。
というより、その場にいた誰もがルナの纏った空気が一変し、下手に声をかけようものなら即座に「あ、これ殺される」と察した、とも言える。
ルナは何も言わずに魔装を具現化させ、表情を心なしかいつもよりも無に徹し、目を細めて周囲を睥睨した。
身体から噴き出る黒い靄――神であった力と人間としての魔力が融合した魔力は誰の目にも見える程に可視化されており、手に持つ大鎌はルナが握る長柄から染み渡るように黒く変色し、もはや死神様のご降臨といった様相を呈していた。
――逃げたい。
アルリオが抱いた感想は、その一言に尽きた。
「――アルリオ。エリーの居場所は?」
まるで大鎌を身体の内部に突き刺され、そのまま斬り裂かれたような錯覚に陥った。
ルナの口調こそは変わらないものの、これは“問いかけ”等という生易しいものではなく、どこまでも冷たく無慈悲に“答えなさい”と命令されているといった物言いであった。
当然アルリオにそんなルナを誤魔化せると考えられるはずもなく。
アルリオは恥も外聞もなくルナの目の前で横たわり、平伏した。
「げ、げげげ、現在捜索中でありますですっ!」
「……分かっていますね?」
「はいいぃぃぃっ! 王都内の全精霊に命令して捜索していますので、すぐにでも!」
「結構です。見つけ次第、あなたはエリーを守りなさい」
「え、えぇっ!? に、人間を――」
「アルリオ。……分かって、いますね?」
「全力で守らせていただきますっっっ!」
不満を口にする事など許されなかった。
いつもの調子で人間を守る事を否定しようとしてきたアルリオに返ってきたのは、ルナの「口答えするな」という有無を言わさぬ冷たい視線であった。
――あ、これ僕死ぬ。
そう思ったアルリオを誰が責められるだろうか。
即座に周囲の精霊全てに『天使権限』を用いて命令を発動、アルリオもまた逃げるように姿を消し、その場を後にしたのであった。
そんなルナの異変に気が付いたのは、不幸にもその場に居合わせていたイオとアリサ、そしてアランの三人であった。
魔道具開発関連で放課後に登城していたルナが、赤竜騎士団の訓練場へと挨拶しにやって来たため、いつもの調子で会話をしている最中に唐突に始まったのが、目の前のこれであった。
「……えっと、ルナ……?」
「エリーが拐われたそうですので、ちょっと殺ってきますね」
「待て待て待てっ! 赤竜騎士団、集合! しゅーごーっ!!」
アランにしては珍しい程に取り繕う余裕もなくなった呼びかけに、一体何事かと訓練中に騎士らが駆け寄り――そこに立つのは、見た目はどう見ても禍々しい死神様。
――そこに集合とか、マジで無理。
歴戦の猛者をして、心を折るのに十分過ぎる御姿である。
思わず足を止めた赤竜騎士団一行の視線を受けて、アランははっと我に返ったかのように、逆に団員らが待つ場所へと駆けて行った。
一方で、その場に残されたのがイオとアリサである。
二人はルナとは親しい付き合い方をしてきた上に、それをルナ自身も受け入れてくれていたと自負しているだけあって、ルナの明らかな怒りに対して若干引きはしているものの、それでも逃げ出す程ではないと感じていた。
「ルナ、あなた……怒って、いるのね?」
「……この燃え滾るような感覚と、けれど冷たく底冷えしているような何かが混在している胸の内を“怒り”と言うのなら、そうでしょう」
怒りというものを的確に表現してみせるものだ、とイオは素直に感心すらしていた。
ましてルナは、そんな自らの“怒り”に我を忘れている訳でもないようで、冷たく底冷えしている何か――つまりはどこまでも冷静な部分を持ち合わせているというタイプである事がよく理解できた。
「怒りに駆られている人間に落ち着けなんて言っても、効果はないって事ぐらい理解しているわ。だからルナ、冷静に怒りなさい。その怒りを爆発させるのは、明確な敵の前だけで十分なはずよ」
アリサの言葉は実に的確な助言であり、心のどこかで冷静さを保ち続けていられるルナにとっては非常に共感しやすい考え方であった。
実際、アリサは“そういうタイプ”の人間であるからこそ、ルナの表現から自分とルナの怒りに対するものがどこか似ているのだろうと理解していた。
イオはどちらかと言えば激しく燃え上がるような炎と言うよりも、どこまでも冷徹になるタイプであるだけに、アリサやルナのようなタイプとは異なっている。故にイオもここで自分が言葉を投げ掛けたところで意味がないのだと、アリサという親友がいるからこそ十分に理解していた。
そんな二人とのやり取りはともかく、ルナは己の内側で渦巻く激情の殺し方が分からず、どうにも持て余した様子で大鎌をくるくると回し始めた。
旗から見れば「殺る気」にしか見えないそれらの動きに顔を蒼くした赤竜騎士団が動き出して程なく、アルリオからルナへと念話が入った。
『――シリルとかいう男の子が荒くれ者を雇ったみたいですっ! 精霊情報ですが、潜伏先も割れました!』
『……シリル様が?』
『はいっ! エリザベート様は無事なようですので、僕は護衛に入ります!』
それだけ言われてアルリオは一方的に念話を切ってみせたようで、念話が行われる際に感じられる近くにいるような気配が消えていくのをルナは実感していた。
アルリオにここ最近命じていたのは、エレオノーラの監視である。
実質的にジェラルドら一行が動くとは思ってもみなかったというのが本音であった。
それぐらいの気概があるのならば、そもそも“恋愛ごっこ”というものに夢中になるような愚かな真似はしないだろう、と。
主であるルナと同様に、アルリオもまたエレオノーラとシリルの接触を深く考えていなかった。
もっとも、その意味合いは少し異なっている。
せいぜいが「また何か吹き込んでいる愚かな人間と、それに操られる愚かな人間」という、元々持っている人間に対する無関心ぶりが、こういった事態を想定させなかったのだ。
いくらルナには従順であっても、アルリオが人間そのものに興味を抱いていない以上、それらの機微を察しろというのは土台無理な話ですらあった。
――さっさと潰してしまった方が良かったのでしょう。
アルリオから齎された情報と真相を理解した上で、ルナがそう考えるのも至極当然であった。
エリザベートはうまく折り合いをつける方向で片付けるつもりであった。
実際、アランを通してジークへと奏上された報告に対し、ジークは理解を示してくれたのだ。だが、今回――公爵令嬢の誘拐ともなれば、それさえもどう転ぶかは判らない。
結果として、情け容赦なく手を下していれば、この騒動は未然に防げたのではないかと考えると、甘かったのだと言わざるを得ない。
――後悔している暇はありませんね。
思考を切り替え、ルナはアルリオから齎された情報と、アルリオとの間に繋がったパスを通してアルリオの居場所であり、エリザベートの居場所をイオとアリサへと伝えると、その場から歩きだした。
「ちょ、ちょっと待て、ルナ! 至急馬を手配するように伝えてある! 馬車で移動した方が早い!」
「いえ、“いちいち迂回するのは面倒”ですから――飛びます」
「「「――は?」」」
『アルリオ、風の精霊に力を貸してもらってください。飛んでいきます』
『は……? え、あ、ハイ。了解ですっ!』
直後、ルナの周囲に暴風が吹き荒れた。
まるで【風】の精霊と契約した者が数名がかりで強引に現象を引き起こしているかのような強風は、徐々にルナを浮かび上げ。
「え……? ちょっ、ルナ、ま――っ」
「では、行ってきます」
アリサの制止の声も虚しく、浮かび上がったルナはまるで弩弓から放たれた矢のように空へと射出された。
「……うそん」
「……なんでもアリね、あの子……」
余談ではあるが、この日、王都アヴァロンでは空を舞う死神の姿が目撃されたと、かなりの騒ぎになった。
さようなら、シリアス!
シリアス「解せぬ」




